第6話
自分が案内された部屋は、やはり前の生と同じ部屋だった。
だが通された部屋の内装に、またも度肝を抜かれ眩暈を起こしそうになる。
かつてのこの部屋は、皇帝の曾祖母が使った時のまま、調度品は最高級の物ではあったが、どこか古びた物ばかりで若者が好む様な部屋ではなかった。
しかもクロエが最後を迎えたのもこの部屋。心臓をドキドキさせながら入ったのだが、別の意味で心臓がドキドキしてしまった。
全てが真新しい調度品になっており、若い女性が好みそうなデザインで纏められていた。
それよりも一番目についたのが、壁紙。
壁も天井も白で統一されているが、入り口正面の壁のみアクセントとしてクロエの瞳の色であるサファイアブルーが使われ、そこには一輪の薔薇が銀色で描かれていた。
よく見れば白の壁紙にも、銀色の小さな薔薇が底模様の様に描かれており、クロエは呆然と立ち尽くすしかない。
――――銀の薔薇・・それはイサークの花紋。
フェルノア帝国の王家には必ず花紋が与えられる。
前皇帝エドリードは黄金の百合を。そして現皇帝のイサークは銀の薔薇を。
その伴侶は必ず夫の花紋を身に付けなければならないのだ。
それはアクセサリーだったり、ドレスの刺繍だったりと。
だが、この部屋全てがイサークの花紋で満たされている。前の生でもこんなことは無かった。精々、身に付けるもの位だったのに。
「・・・あの、この部屋は・・・・」
口元を引きつらせながらエレナに問えば、
「はい、陛下のご命令で、クロエ様が使われる全てにご自身の花紋をと」
そう言いながらうっとりとほほ笑んだ。まるで「愛されてますね!」とでも言いたげに。
その様子に益々クロエの表情は引きつっていく。
なかなか現実に戻れず呆然としているところへケイトとリンナが現れ、荷物を運び込む指示をし、後は我々がやるという事で夕食の時間まで自由になるよう手配していた。
「姫、大丈夫ですか?」
遅れてやって来たダリアンに思わず「なんか、変だわ!」と、弾かれた様に飛びついた。
「まぁまぁ、姫様。これだけ運命を変え、この年で帝国にやって来たのです。前と同じわけが無いのですよ」
ケイトに当然のように言われ「そうね」としか返せないが、何かが引っかかるのだ。
「でも、おかしいと思わない?あの二人がどうしてリージェ国の間者ってばれたの?リージェ国の王女は?陛下に求婚してないの?」
「その件に関して、私に付いてくれた侍女に聞きました」
荷ほどきはリンナとダリアンに任せ、ケイトがお茶を用意してくれた。
「侍女は間者の名前は記憶していないようですが、夫婦としてこの屋敷に入ったそうです。ですが六年前当時のエドリード皇帝陛下が皇都に流行りだした魔薬を調べていくうちに、この屋敷を管理している彼等に行き付いたそうなのです」
「魔薬・・・って・・・」
「はい、ミロの花です」
クロエの心臓がドクンと大きく跳ね、胸の間に残るみみずばれの様な跡がチリチリとうずきだした。
ミロの花とは、その根から人の身体に有害な薬物が抽出でき、それを体内に取り込めば気分が高揚し、接種しすぎれば幻覚幻聴の症状が現れ、症状が進んでいくにつれ自分の意思など無くなり、最終的には廃人同然となり衰弱死してしまう怖い薬物だ。
初めは媚薬として出回っていたのだが、その中毒性は高く値段も高価。それを手に入れるために犯罪に手を染める人間も少なくない。
まるで悪魔のような薬だと囁かれ『魔薬』と、その怖さを知る者達に呼ばれていた。
当然この世界で禁止薬物に指定されており、栽培する事も加工し売りさばく事も禁止されていた。
だが、それを商売にしている闇の人間もいる事は確かで、リージェ国は裏では国家事業の如く栽培加工し、各国へと密売しているのだ。
表向きは農業国家のリージェ国。その裏ではこの世界の闇を牛耳る暗黒国家と言われていた。
よってリージェ国の売人、間者は世界各国に放たれていて、今回の帝国での事件は正に氷山の一角だと言われている。
「彼等はミロの花をこの屋敷の庭で栽培していたようなのです」
「・・・・まさか、あの可愛らしい甘い匂いがする・・・花?」
前はこの離宮に追いやられ、落ち込んだ気分を変えようと良く庭を散策していた。
そんな時、広い庭の奥まったところに甘い香り漂うピンクの小さな花畑を偶然見つけイズに聞いた事があった。
「これは他国の花でとても貴重な物なのです。根をすりつぶすとこの匂いとはまた違う濃厚な甘い匂いがして、香水などに用いられるのです」
何も知らないクロエは、単純にそうなのか・・・と納得してしまった。
あの日、私を殺しに来たあの人からも甘い匂いが漂っていた。
開け放たれていた窓から、あの花の匂いが流れてきたのだと思っていたけれど、思い起こせば熟れすぎた果実の様な濃厚な匂いだった気がする。
「私の死はあの花の匂いだったわ・・・」
膝の上で強く握られていた手を、ケイトが優しく包んでくれる。
「もう、大丈夫ですわ」
その言葉に、ほっと肩から力が抜けた。
「あの二人の他にも協力者がいて、地下に潜っていた人間もほぼ殲滅されたと言います」
「まぁ・・・」
「前皇帝のエドリード様が捕縛した人間全てをリージェ国に強制送還したそうです。勿論、洗いざらい吐かせた後ですが」
相当な拷問だったと言われています、とちょっと顔を引き攣らせた。
「リージェ国は初めはシラを切っていたようですが最終的に認めたようです」
帝国の軍事力は他国と比べるまでも無く、強大で最強である。リージェ国など、あっという間に陥落してしまうだろう。
「今後、帝国に手を出さないという意味と謝罪を含め王女のアドラ姫を人質として嫁がせると提案があったようです」
「アドラ姫・・・」
甦るのは、夫の腕に自らの腕を絡め、勝ち誇った様に歪な笑みを向けてくる美しい女の顔。
「ですが、犯罪国家の姫などをこの国に入れてしまえば、何をされるかわかったものではありませんからね。考える余地もなくお断りしたようです」
当然だろう。犯罪国家の姫を嫁にもらえば、帝国の品位を落とすことと同じなのだから。
「ですが、あちらのお国事情云々より、アドラ姫が陛下に好意を抱いてしまい、何かにつけて帝国に来ようとしているようです。まぁ毎回、国境で追い返されてるようですわ」
その言葉に思わず無表情になる。
そんなクロエにケイトは優しく微笑んだ。
「姫様。確かにまた帝国に嫁がなくてはいけなくなりました。ですが、運命は大きく変わりましたでしょ?」
「えぇ、分かってる・・・・分かっているの。でも・・・・怖いの」
愛されていると思っていた。だけれど、あんなにあっさりと切り捨てられ、殺された。それが例え魔薬が絡んでいたとしても。
それにその時は農作物の不作による食料危機で、国を揺るがす大問題も起きていた。
だから食料援助の為にアドラ姫を娶る事は仕方が無いなのだと、頭では分かっていても心が拒絶したのだ。
彼女に触れた手で触れられることが、我慢ならなかった。
だから、離宮に追いやられた時は、悲しかったがどこかほっとしていた事も否めない。
「私ね、陛下を信じられないの。今が前と違っている事は分かってる。でもね・・・・彼の顔を見ると、どうしても最後のあの時が思い出されて・・・恐怖しか、ないの」
五年前の『花祭り』で皇太子だった彼を見た時、まるで昨日のことのように、鮮明に自分の最後が甦ったのだ。
そして何故、此処に彼が居るのかとも思った。前の生では、嫁いで初めて彼に会ったというのに。
前とは違う出来事を沢山体験してきた。だから、きっと運命は変わってるのだと思っていたのに・・・・
震える身体を宥める様に自分で自分を抱きしめると、ケイトが被さる様に優しく抱きしめてきた。
「姫様、大丈夫です。今世は私達がお守りしますから。一刻も早くここから出て、四人でどこかで静かに暮らしましょう」
とても嬉しい言葉なのに、本当に逃げられるのだろうか・・・と、一抹の不安を感じずにはいられない。
この部屋に咲き誇る銀色の薔薇が、まるで彼の執着の様に感じてクロエの心をかき乱すのだった。
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