第2話

クロエはいま生きている人生の、その前の記憶がある。

前世だとか転生だとかではない。逆行というやつだ。

自分は死んだのだ・・・と理解した瞬間、何故か五才の自分に戻っていた。

あれは悪い夢だったのだろうかと思った瞬間、不意に襲う胸の痛み。

恐る恐る寝間着の釦を外し胸元を見れば、胸の真ん中に十㎝位の長さでみみずばれの様に皮膚が赤く盛り上がっているではないか。

一瞬にして蘇る、恐怖と刺された時の痛み。全身に鳥肌がたち、悲鳴を上げそうになった口をとっさに両手で抑えた。

そして、いつもと何ら変わらず乳母のケイトが笑顔で現れた時には、たまらず大泣きをしてしまっていた。

自分の我侭と無知の所為で巻き添えを食らって死んでしまった大切な人が生きている事にただただ混乱し、しばらく涙が止まらなかった。


現実を受け入れ周りを見れば、前の人生と何ら変わらぬ状況の中に自分がいる事に、絶望もした。

だが、冷静に考えればこれはチャンスだとも思った。

前は何もせずにただ流される様に生きていた。何も考えず決められた道をただただ歩いているように。

でも今は、精神年齢が二十才であり未来が分かる。二十才までという限定的な未来だけれど、変えられるかもしれない。その先の人生を迎えられるかもしれない。

前の生とは違い、小さな希望がまだあるのだと自分を奮い立たせた。


クロエの置かれている状況は前の生と全く同じだった。

彼女には二卵性双生児の妹ロゼリンテ・フルールがいる。

王太子夫妻である両親に彼女だけが溺愛され、生まれ落ちてすぐにクロエはいないものとして扱われた。

その理由は彼女の容姿が大きく関わっていた。

妹のロゼリンテの容姿はフワフワした金髪に少しくすんだ緑色の目をしていてとても愛らしく、母親にそっくりだった。そして性格も甘やかされて育てられた所為か、母親同様我侭に育っていた。

それに対しクロエは祖母でもある王妃に似て、真っ直ぐな黒い髪と深く何処までも透明なサファイアブルーの瞳をしており、女神と謳われるほど美しい容姿をしている。

彼女の母でもある王太子妃のマルガリータは王妃であるルナティアを蛇蝎の如く嫌っていた為、見たくもない人間と同じ容姿をしているクロエを、例え腹を痛め産んだ子でもそばに置く事を拒んだのだ。

クロエにしてみれば嫁姑の確執に完全にとばっちりを受けただけなのだが、国王を支える側近からしてみればマルガリータの人と成りが大きな問題なのであり、どんな扱いを受けようと自業自得なのだと冷めた目で見ていた。

さらに、娘であるクロエに対する態度も相まって、マルガリータに対する評価は地にめり込んでいるのが現状だった。


マルガリータは侯爵令嬢であったにも関わらず、教養もマナーも全く身についておらず短慮で、とてもではないが人の上に立てるような人間ではなかった。

そんな悪評高い令嬢と一人息子であり時期国王となる予定のジョージが恋仲になってしまった。

当然、国王であるフィリップ、王妃のルナティアはもとより、他の貴族は大反対だった。

ただのマナー知らずであれば教育すればいい。だが、マルガリータに関わる話はほぼ男関係の醜聞しかでてこなかったのだ。

周りの反対などものともせず、障害があるほど燃え上がるのが恋というもので、息子であるジョージは頑として譲らない。

国の事を思えば反対なのだが、ジョージ以外に王位継承資格のある者がおらず、苦渋の選択により致し方なく結婚を許した。

そして足りないものだらけのマルガリータに対し、未来の国母となる為の厳しいお妃教育が始まった。

当然、彼女はすぐに根を上げジョージに泣きついた。

己の出来の悪さを棚に上げ、王妃への恨み言を連ねながら。

ジョージも妻可愛さに母親に抗議はするものの正論でやりこめられ辟易していた。そんな板挟み状態に苦しむ彼は次第に両親とは疎遠になり、親子関係が悪化の一途を辿る事となる。

そんな中で生まれたクロエ。生まれてすぐに乳母へと渡され、王太子等が住む離宮から出され、国王が住む王宮へと移されたのだ。

公式な行事以外顔を合わせる事のない両親と妹。

前の生では「何故自分だけ?」と、悲しい気持ちが心のどこかにあった。

妹だけが親元で愛され、彼らが自分を見る目はとても冷たかった。特に母親の目が。

だが、今世はそんな眼差しや向けられる憎悪の感情などに一切心が揺れる事はない。

国王夫妻である祖父母の元で厳しくも愛情深く育てられたクロエは、前とは違う道を歩むために足掻くと決めたその日から、親に対する情など一切もたなかった。

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