第198話 マーシャのお願い

 稜真がマーシャと手を繋いで食堂に行くと、サラダとパンがテーブルに並べられていた。全員揃ったと見た女将が、温かい料理を運んでくれる。

 今朝のメニューは、山羊のチーズとベーコン、香草入りのオムレツだ。ナイフを入れると、とろりとした中身があふれ出す。少し癖のあるチーズが香草の香りと相まって、口の中で絶妙のハーモニーを奏でる。皿にあふれた卵はパンで拭った。少し硬めの香ばしいパンと卵が絡み合って、絶妙の味わいに変化する。


 マーシャ用はとても小さなオムレツを、わざわざ作ってくれていた。いつもは、ももか瑠璃に手伝って貰うのに、1人で食べ切る事が出来て、マーシャは満足そうだ。




 外は雨が降り出していた。

 アリアの勘では、2~3日は続くらしい。


 村での用事は片付き、いつ出発しても良さそうだと思っていたが、雨が山と川へ与える影響も確認しておきたい。何よりも雨の中を移動すれば、きさらとメリッサが濡れてしまう。

 稜真とアリアは相談し、雨が止み、周辺の調査をするまで滞在する事にした。

 昨日、村の子達と一緒に楽しそうに遊んでいた姿を思うと、マーシャにとっても良い事だろう。


 雨で鬱々としそうなものだが、稜真以外の面々の表情はにこやかだ。


「うふふふ~。マーシャったら、お利口さんなんだから!!」

「はい、素晴らしいですわ!」

 内緒で出かけた事で腹を立てていた瑠璃は、美味しい朝食のお陰でもあるが、すっかり機嫌が直っていた。マーシャは照れくさそうに笑みを浮かべる。


「いや…、俺は構わないけど、そんなに楽しみなのか?」


 マーシャのお願いとは、『えほんをよんでほしい』だったのだ。

「きのうあそんだとき、みんながもっと、リョウマおにいちゃんのおはなしを、ききたいっていってた。オルガのうちに、えほんがいっぱいあるの」

 オルガは村長の娘で、兄はジェドだ。男の子向けの絵本も、女の子向けの絵本も何冊もあるらしい。


「そんなにたくさんあるなら、毎日、村長さんちで朗読会だね! お昼の後がいいかな~」

「毎日? 毎日じゃ飽きる子も出るだろうに」

「そんな子はいないって!」

「そうですよ!」

 アリアとイネスが力強く言った。瑠璃とマーシャとそらも頷き、もももぷるんと揺れる。


 稜真はもう1つお願いをされていた。手伝ってくれた子供達へ、お礼にクッキーを作りたいから教えて欲しいと言うのだ。


 宿の主人に厨房を貸して貰えないか聞くと、快く許可してくれた。


 イネスもクッキー作りを手伝う気満々である。

「そらもお手伝いしてくれるかな?」

『そら、できる?』

「そらにしか出来ないよ」

『やる! そら、おてつだい、やる!』


 はい!とアリアが勢いよく手を上げた。

「私も手伝う! ……のは…止めときます…」

 イネス以外が、一斉にアリアを見つめたのだ。ももが、へちゃりと床で潰れている。


 瑠璃がアリアの服を引っ張った。

「アリアお姉ちゃんは、私と村長さんにお願いに行きましょうね。場所がお借りできるか聞いて、絵本を選ばなくてはなりませんわ」

「そうだね! 内容を厳選しないと!」

 厳選と言う言葉に、稜真はそこはかとない不安を覚える。


「……瑠璃、アリアを頼む」

「任せて下さい」




 アリアと瑠璃は、早速村長の家に向かった。

 雨具は、フード付きのレインコートだ。水をはじく魔獣の皮で作られている。稜真とアリアは冒険者活動を始める時に購入していたし、その他の面々の分は、アリアが抜かりなく町で手に入れている。

 足には同じ皮で作られた長靴を履いた。

 雨粒がころころとコートの上を流れるのを、瑠璃はじっと見つめていた。


「面白いですわ」

「雨の日は雨の日で、楽しい事あるよね!」

「アリアは雨も気にせずに、走り回りそうですわ」

「……瑠璃、早く行こう」

「やったのですね?」

「どんな絵本があるのか、楽しみだよね~」

「アリア?」

「早く早く!」

「手を引っ張ったら、転んでしまいます!」


 きゃいきゃいと言いながら歩く2人を見送り、稜真は食堂に戻った。




 見送りをしている間に、テーブルは片付けられ綺麗に拭かれていた。

 お昼の仕込みの邪魔にならないよう、生地作りは食堂のテーブルを使う。昼に出す料理はオーブンを使わないと言うので、生地が出来たら貸りる予定だ。


 稜真はアイテムボックスから、材料と用具を取り出した。

「そら。しばらくは見学していてね」

『はーい』


「マーシャは粉を振るってくれるかな。こうやって、とんとんって」

「うん」

 稜真が見本を見せと、マーシャはすぐに飲み込んで手を動かす。上手に振るっていても、少量の粉はテーブルに零れる。すると、ももが張り切って吸い込むのだ。


 次に稜真はボールに入れたバターを生活魔法で柔らかくし、量った砂糖を入れた砂糖を入れる。

「イネス。白くなるまで混ぜてくれるか?」

「はい!」


「──リョウマおにいちゃん、おわった」

「次は卵を割って混ぜてくれるかな」

 マーシャは手際よく卵を割って混ぜる。卵の殻は、口を開けて待ち構えているにやった。


「リョウマさん。こんな感じですか?」

「うん。いい感じだね。マーシャ。混ぜた卵を、イネスのボールに3回に分けて入れてくれるかな。イネスはその都度、よく混ぜ合わせてくれ」

「うん」

「はい!」


 そんな風に指示をしながら、ココアを入れた生地と、プレーンな生地を2種類作った。

 マーシャは母親の手伝いもしており、危なげなく稜真の指示に従った。そしてクッキー作りは初めてでも、イネスはさすがに手際がいい。


 出来た生地を完全に混ざらないように合わせ、マーブル状にした。そして丸く棒状にした物を何本も作り、薄い布で包む。


 次に稜真は、金属製の器に水を入れた。

「そら、この水を凍らせてくれるかな」

『はーい』

 そらは水にブレスを放った。水は、カチカチに凍り付いた。

「そら、すごいね」

 マーシャに言われ、そらは胸を張った。


「ありがとう、そら」

 稜真は、布に包んだクッキー生地を氷の上に並べて蓋をする。アイスボックスクッキーだ。宿には冷蔵の魔法具がなかったので、そらに頼んだのだ。


「これで少し時間を置くっと」

「リョウマおにいちゃん。これは?」

 イネスとマーシャに指示をしながら、稜真は別の生地も作っていたのだ。


「違う種類のクッキーも作ろうと思ってね。マーシャ、イネス。木の実とドライフルーツを入れて、さっくりと混ぜてくれるかな。組み合わせは任せるよ」

 稜真は木の実各種と、ドライフルーツ各種、小さなボールを幾つも取り出した。そら用に、木の実を見かけると、つい購入してしまうので様々な種類を大量に持っていたのだ。


「たくさんある…」

「マーシャ。木の実だけとか、ドライフルーツだけとか、色々作ってみようよ」

 2人は真剣に話し合いながら、組み合わせを考え始めた。


 仲良く考えている様子を微笑ましく見守る稜真の前には、口を大きく開けるそらとももがいる。

「お手伝いありがとう。そら、もも」

 稜真はおやつに取り分けた木の実とドライフルーツを、そらとの口に入れてやるのだった。




 色々な組み合わせで、木の実とドライフルーツを混ぜ終えた生地を、イネスとマーシャはバターを塗ったオーブンの天板にスプーンで落として行く。天板は何枚もあったので、2人が並べ終えた物を稜真がオーブンに入れた。


 混ぜた生地を天板に並べ終えれば、次は冷やしておいたクッキー生地だ。

 イネスが厚さ5ミリ程にカットし、マーシャが天板に並べて行く。そうしている内に第1弾のクッキーが焼き上がり、食堂に甘い香りが漂った。


「お疲れ様、マーシャ。イネス」


 調理を始めてから、結構時間が経っている。特にマーシャはずっと、椅子の上に立って作業をしていたので疲れているだろう。

 本人は「たのしかった」と笑顔だ。


 稜真は焼き立てのクッキーを皿に取り、紅茶を入れる。もちろん、そらとももの分もある。


「ちゃんと、クッキーになってる」

 マーシャは早速齧りつく。

「おいしい」

「美味しいです!」

「うん、美味く出来たね」


 残りも、食堂の昼営業が始まる前には焼き終わるだろう。


「リョウマさん、お菓子まで作れるなんてすごいです! 教え方も手際いいし、なんでも出来るんですね」

 イネスが稜真に尊敬のまなざしを向ける。


「そんな訳ないさ。失敗する事も多いよ」

 稜真は肩をすくめた。特にスキルに関しては、反省だらけである。

「それに俺だって、料理で失敗した事もあるぞ」

「そうぞうできない」

「俺も」


「料理初めて間もない頃だけど、とろみをつけたスープを作ろうとしてな。具が煮えたし、片栗粉を水で溶いて、鍋にどぼっと…」

「どぼっと?」

「そう。どぼっと入れて、そのまま放置」

「…え? 混ぜないでですか?」

「そう」

 とろみをつけるには、水で溶いた片栗粉を入れる。ただし、混ぜながらは基本だ。


「母に聞いたレシピを、初めて作った時だったんだよ」

「それって、どうなるんですか?」

「ははっ! 鍋の底に半透明の塊が出来たよ。もちもちしてて、ある意味美味しかったけど、とろみはつかなかったな」

「混ぜながらじゃないと、そうなるんだ。ぷっ! そうか、リョウマさんも失敗するんだ」

 マーシャには良く分からなかったようだが、楽しそうに笑う稜真とイネスにつられて、くすくすと笑っていた。






(せっかくワイバーンが退治されて、今日からは山へ行けると思ったのになぁ…)


 雨で中止になり、ジェドは鬱々として自室の窓から空を睨んでいた。村長の息子であるジェドは、雨の日は勉強をするように言われているが、どうにも気が乗らないのだ。


 そんな時、「お兄ちゃんの絵本を見せて!」と、オルガが部屋に飛び込んで来た。

「どうしたんだよ。お前、乱暴な話は嫌いだと、いつも言ってるくせに」

「アリア様達、雨の間は村にいるんだって。その間、毎日リョウマさんが絵本を読んでくれるって!」

「ほんとか!? やった!」

「だからお兄ちゃんの絵本を選ぼう! リョウマさんに読んで貰うお話は、お姫様や精霊の話よりも、勇者様や騎士様のお話がいいもん」

「おお! 珍しく意見が合うな。兄ちゃんの勇者様、格好良かったよな」

「うん! 格好良いお話を選んで」

「任せとけ!」


 村長は、子供達の為に自宅を解放する事を、快く承諾してくれた。兄妹は絵本を選んだ後、手分けして友人宅に話を伝えに回ったのである。






「できた」


 焼き上がったクッキーは、マーシャが心を込めて小さな紙包みに入れ、配れるように準備をした。

 クッキーの1部は厨房の使用料に、宿に提供した。甘いにおいが漂う食堂にやって来た客が、「いい匂いがする」と騒いだからだ。マーシャが作ったと聞いた客に口々に褒められ、照れくさそうなマーシャが可愛かった。


 午後2時。村長宅の広間には子供達が集まった。


「子供はともかく、どうして大人がいるのかなぁ…」

 稜真はため息をついた。その肩には、そらとが乗っている。きさらは留守番だ。


 引率の母親だけでなく、男性もいるのだ。

「娯楽のない村ですからな。皆、楽しみにしているのですよ。私も昨日は楽しませて頂きました」と村長が笑った。


 主役の子供達は床に座り、大人は壁際に立っている。

 小さなテーブルの上には水の入ったコップが置かれ、絵本が積み上がっている。積み上げすぎだろう、と稜真は頬が引きつった。しばらく雨が続くから、きっと明日以降の分なのだろう。


 稜真は椅子に腰かけ、適当に上からとった絵本を、ざっと下読みした。登場人物を把握し、頭の中で、ある程度の役付けをする為だ。


 元気な少年、真面目な騎士、謎の魔術師。

 登場人物は男性ばかりである。おまけにあからさまにではないが、男同士の友情に焦点を置いた話だ。試しに他の絵本も手に取ったが、どれも同じような話ばかりである。


「……これ、誰が選んだの?」

「ジェドとオルガが選んだのを、私が厳選しました!」

「やっぱりアリアが噛んでいたか…」

 額を押さえる稜真に、アリアがうそぶいた。

「意見を言っただけだも~ん。瑠璃だって、納得してたも~ん」

「普通の絵本でしたわ。何か問題がありますか?」

「……問題があるとしたら、アリアの脳内かなぁ」

「ひどっ!?」


『おねえちゃ、びょうき?』

 そらが首を傾げる。

「ある意味、ね」

 気を取り直して稜真は立ち上がった。


「さて、雨の日に集まってくれてありがとう。最初のお話は──」


 読んでいると、最前列で聞き入っているアリアと目が合った。こちらを見ているようで、全く見ていない、熱っぽさを感じさせる目だった。




 朗読を終えた稜真は、子供達に囲まれている。


(うふふ~。子供向けの絵本も様々だよね~。騎士の友情物とか、師弟物とか~。これから毎日、こんな近距離で稜真様の朗読が聞けるなんて…。うふ、うふふふふふ)


 怪しい笑いを浮かべるアリアにそらは戸惑っているが、1人で笑っているので突っ込みは入れられずにいた。


 そんなアリアの耳に届いたのは、引率のお母様方の話だ。


「子供向けのお話なのにドキドキしたわ…」

「あなたも? 何かしら、このときめきは…」

「男同士の友情が、こんなにも素敵だなんて思ったのは初めて…」

「どうしてこんなに胸が苦しいのかしら…」


「はっ!? 仲間の気配を感じる!!」

 そそくさと立ち上がろうとしたアリアの頭を、子供達の包囲をすり抜けた稜真がすかさず押さえつけた。──嫌な予感がした稜真は、囲まれつつもアリアから目を離していなかったのだ。


「アリアお嬢様。今、BL方面の仲間を増やそうとお考えでしたね?」

「な、なんで分かったの!?」

「もしそのような事をなさったら、どうなるか……。おわかりですね?」


 稜真の、ある意味殺気を帯びた声に、「も、もちろんですぅ」と、アリアは泣く泣く仲間集めを諦めたのであった。



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