閑話 アリア様の従者と
ギルド長のデニールは、長年の友人サウスに頭を下げられていた。
「頼む!」
「え~、やだよ~。あの従者様、底が知れねぇんだもん。怖いし~」
2人だけなのでふざけてみたら、いい歳して馬鹿な口調を使うな、と叱られた。
「頼む。従者様から伯爵に話が行けば、冗談抜きで、リックの命が危ないかも知れないだろう」
「そこまでやらないと思うがね、あの従者様は。人が良さそうだったぞ。だが…仕方ない。貸しにしとくからな」
「……すまん」
サウスが不安に思う気持ちも分かる。
あの従者様は無茶を言う人物ではないと感じたが、リックの言動は余りにひどい物だった。『不問にする』と言われても、その言葉のまま受け取ってはいけないだろう。なんらかの誠意を見せなくてはという、サウスの焦りを感じる。
デニールは、サウスと共に頭を下げる覚悟を決めた。
サウスがギルド長室を出て行った後。デニールは、従者様と初めて顔を合わせた時の事を思い返した。
部屋に入って来た時は、12~3歳にしか見えない少年が、本当に噂の従者様なのか疑問に思った。だが、案内した職員がギルドカードで年齢を確認、Cランクになっていると教えてくれた。
物腰は柔らかく、こちらに対する態度も丁寧。居丈高な態度など、取りそうにない。伯爵家でも従者として認められているだけあって、理路整然とした話し方で自らの旅を説明し、追加で調査依頼が来ると教えてくれた。
この少年。アリア様の従者になる前は、どこで何をしていたのか、全く知られていない。この領地で冒険者登録をしていないのだけは確かである。
昨年アリア様の従者であると通達されてから、とんとん拍子にランクを上げた。
ドラゴンから剣を贈られ、グリフォンをテイムしたと知っただけでも驚いたのに、先日マクドナフから届いた報告書では、オークキングを倒し、新たな魔獣をテイムしたと記載されていた。
魔獣使いはそれほど珍しくないが、強力な魔獣をテイムしながら剣の腕が立つとなると、規格外にも程がある。
マクドナフからの報告書を見るまでは、アリア様に仇なす存在ではないのか、と危惧する気持ちが大きかった。
ずっとお側に人を置かなかった、アリア様の従者。グリフォンをテイムした、底知れない力のある16歳の少年。
伯爵とアリア様が認めた人物と分かっていても警戒した。危険な人物ではなかろうか、と。だが──。
改めてデニールは、マクドナフからの報告書を読み返す。
アリア様のサイクロプス討伐は、いつもの事だと流し読んでいた。目を止めたのはこちらだ。従魔を連れたアリア様の従者が、単独でオークキングを倒し、従魔達と共に群れの殲滅にも協力したと。
これだけ目立つ活躍をした少年が、あのアリア様と行動を共にしているのだ。他領へ出た時の事を危惧するのは、当然だろう。知ったところでどうこう出来る訳でもなかろうが、知らせて欲しいという気持ちは理解できた。
だが、何故『嫁』?
このふざけた形容詞はなんだ?
従者様に、報告書に納得したと、暗に嫁の部分をほのめかしてみれば、表情は引きつったかに見えたが、特に激昂するでもなく流された。
今夜、しっかりと人物を見極めさせて貰おう。
デニールは心に決めた。
サウスとデニールは立ち上がり、揃って頭を下げていた。
リックの未来の為に赦しが欲しい。サウスの緊張と思いが伝わって来る。デニールも、リックの父親とは長い付き合いだ。馬鹿な真似をした若者だが、ここで潰れて欲しくはなかった。
「……はぁ」と、従者様のため息が響いた。
サウスは恐る恐る稜真の顔色を窺い、デニールは「従者様?」と、稜真に問いかけた。
「頭を上げて座って下さい」
困ったような口調で言われた。思えばこの従者様は、部屋に入った時から、怒りは全く見せていなかった。
「俺はあの時言いましたよ。サウスさんの謝罪を受け入れる。そらの一撃を入れさせてくれれば、リックの事も不問にすると」
「確かに聞きましたが、それだけでは謝罪にはなりません」
サウスが正しい。本来なら、あれだけで赦してはいけないのだ。こちらとしては、ありがたいが。
「教育をし直してくれるのでしょう? それでいいですよ」
そう言って、ふわりと微笑んだ。部屋の空気が温かいものに変わる。
緊張がほどけたデニールは、サウスと共に椅子にもたれかかった。
酒を酌み交わしながら話す内に、サウスもデニールも『リョウマ』と呼び捨てにするようになった。面と向かって話していると、顔立ちはともかく、その落ち着きや雰囲気は16歳には思えなかった。話をすればする程、何故か同世代にも思えて来る、なんとも不思議な少年である。
稜真の方も、飲むにつれ口調が砕けていた。
面白くなり、新人をからかう為の酒を飲ませてみれば、一気に飲まずじっくりと味わう。やけに酒を飲み慣れている。
ひと口飲んだ稜真は、上唇をぺろりと舐めた。その仕草に艶めかしい物を感じてしまい、思わず頭を振った。サウスも呆然と稜真を見ているので、自分と同じ物を感じたのだろう。
「どうしました?」
稜真は不思議そうに聞いて来る。
「…いや、飲み慣れてるなと思ってな」
サウスはそう答えた。
「俺は、嫁の意味が分かった気がする」
デニールが感じた通りに言うと、稜真は机に突っ伏した。その姿が可愛くて吹き出した。
「どうしてそこで、嫁が出てくるんですか!?」
「いやその、そこはかとない色気がだな」
「……俺に色気がある訳ないでしょうに」
本人はそう言うが、人を引きつける、なんとも言えない魅力があるのだ。
男性ながら、美しいと形容できる冒険者も数多く見て来たデニールだが、存在感で言うと稜真の方が上だ。周りを温かい空気が包んでいる。
マクドナフの冒険者が、稜真を慕う気持ちが理解できた。殺伐とした生活を送る冒険者は、この空気に癒されたのではなかろうか。嫁うんぬんに関しても、それだけ慕われた証拠なのだろう。
デニールは、マクドナフのギルド長の狙いが分かった気がした。
報告書にはキーランと署名されていたが、報告書を回すには、ギルド長の許可がいる。新しい町を任された、まだ若く、切れ者と噂のギルド長。
これまでの情報に加え、新たな報告書を読んで稜真を警戒したデニールも、『嫁』の1字があるだけで警戒が薄れた。それを狙ったのだろう。新たなギルドとの軋轢を、少しでも減らす為に。──もっとも本人は不本意だろうが。
憮然とした表情の稜真は、いい酒の肴である。
稜真が酒を更に冷やしているのに興味をそそられ、自分達の酒もやって貰った。サウスも自分も、生活魔法は使えないのだ。
(お? これは…)
酒の風味を殺す事なく、冷たさが更に味を引き立てている。興に乗って、全部冷やしてもらうと、その美味さに飲むペースが上がった。グラスが空になると、稜真がすかさず注いでくれる。
酒の肴が少し物足りなかった。追加で注文するかと思ったデニールだったが、気が変わった。いい肴が目の前にいるではないか。デニールはニヤリと稜真を見た。
「……なんです?」
「嫁について、詳しく聞いてなかったなって思ってよ」
「まだ蒸し返します!?」
「サウスも気になるだろ?」
「…まぁ、確かにな」
「くっ……。ギルド長にお弁当を渡したり、オーク討伐の時に料理を振舞ったりしていたら、受付嬢にいいお嫁さんになると言われて…。それから、何故かギルドに広まったんですよ…」
稜真は不承不承、説明してくれた。
「報告書を書いたキーランを恨みますよ…。領内のギルド全部に知られているなんて…はぁ…」
「ん? 書いたのはそいつだろうが、許可を出したのはギルド長だろう。なぁデニール」
「ああ。ギルド長の許可も得ずに、回される事はあり得んな」
「ふ…ふふ…。そうだったんですか…。キーランだけを締めるつもりでしたけど、ギルバートさんのせいで…。お返しをする人が、増えました…ね…」
含み笑いをして、黒いオーラを出す稜真には引いたが、マクドナフのギルド長は若いのだから、こんな試練くらい乗り越えられるだろう、とデニールは酒を飲み干した。すかさず稜真が酒を注いでくれる。
「…リョウマの料理か。私も食ってみたいな」
意外と食い意地の張っているサウスが言った。確かに、稜真の料理の腕は気になる。
「少しなら持っていますけど…。ここで出すのは不味いですよね?」
デニールが身を乗り出した。
「お? お前、アイテムボックス持ちか! ここは持ち込み可だ。ほれ、とっとと出せ!」
稜真は肩をすくめながら、料理を出してくれた。
「お酒のつまみになりそうな料理は、鳥の唐揚げとメンチカツくらいかな」
デニールの態度に呆れていたくせに、真っ先につまんだのはサウスだ。
「美味いな…」
「お前、こりゃあ嫁言われても仕方ないだろ~」
「返して下さい! 片付けますから!」
デニールは取られないように、皿ごと抱え込んでやった。
「大人げないですよ!?」
「はっはぁ! 1度出した物を取り上げる方が、大人げないぞ~」
「お前ら、どっちもどっちだ。ほれ、リョウマ。これ食ってみろ」
サウスが自分の前にあった、山菜の和え物をフォークで刺し、稜真の口元に突き出す。
その和え物は苦みがあり、好き嫌いのある料理なのだ。デニールは苦手だったし、若い稜真も苦手だろうと、サウスの分しか出されていなかった。
サウスは、酒の飲み具合から、稜真が好むと感じたのだ。稜真は素直に口を開けた。
「美味しいですね」
顔をほころばすのが、なんとも言えず可愛らしかった。
年齢に見合わない落ち着きがあるかと思えば、年相応以下に可愛らしい所を見せる。容赦がないかと思えば、甘いくらいに寛容だ。
ただ言える事は、内に入れた者にはどこまでも優しいのだろう。なんとなく、自分達も含んで貰えた気がして、くすぐったい思いがする。
デニールは職員から、稜真とリックが手合わせするまでの経緯を聞いた時、どうにも分からなかった理由が、今分かった気がした。
リックがギルドを疑う発言をした事が原因だったのだろう。魔鳥のブレスに関しても、従魔に関して言われた事のお返しだった。どちらも、自分が言われた事へのお返しではない。
気の短い者ならば、全てがアリア様のお陰だろうと言われた段階で、手が出ていただろうに。
(なんと言うか……、こいつは先が思いやられる奴だよ)
デニールは唐揚げをフォークで突き刺し、稜真の口に押し込んだ。
「むぐっ!?」
口いっぱいの唐揚げに文句も言えず、こちらを睨みながら、もごもごしている顔が面白かった。
ようやく口の中の唐揚げを飲み込み、憮然としている稜真に、デニールは再び聞いてみた。
「お前、本当にあれですませてくれるのか?」
「何回言わせるんです…。俺は構わないと言ってるでしょ? アリアがどれだけ領民に好かれて、敬われているのか知っていますからね。見た目がこんな俺が側にいれば、突っかかって来たくなる気持ちは、分からなくもないです。──ギルドのトラブルも何回目やら…」
遠い目をする稜真が、少し気の毒になる。
「ところでリョウマ。従者様って、どんな事やってるんだ?」
サウスが聞いた。
「どっちのでしょう?」
稜真は首を傾げた。ここまでの会話で、アリアが伯爵令嬢だと2人が知っているのは伝えてある。
「どっちも聞きたいな」
「お嬢様の時は、執事について礼儀作法、書類仕事を含めた伯爵様の手伝い、学園用の勉強、料理をして、乗馬、ダンス、武術訓練……。冒険者の時は、身の回りのお世話と、食事の支度、手合わせして修行。後は、宿題が大量に出るので、寝る前に勉強…ですかね」
「そんなにやっているのか…」
サウスが驚いているが、デニールも驚いた。何よりも、文句も言わずにこなしている稜真にだ。
「…宿題ってなぁ、なんだ?」
「見てみます?」
稜真は宿題用の本を、アイテムボックスから取り出した。テーブルに積み上げられた本の山は、軽く見上げる量がある。
「1度にではないけど、入学までに全部覚えるように、まだまだあるからと言われています。はは…」
「従者様も大変なんだな…」
サウスが気の毒そうに言うと、稜真は笑って見せた。
「大変だけど、新たな知識を得るのは楽しいです」
楽しいと言える稜真には言葉もない。リックの奴には、どれだけ稜真が努力しているのか、話してやらないとな、デニールは思う。何も言わずに酒杯を傾けているサウスも、同じ思いでいる事が伝わって来た。
酒を酌み交わしながら、色々な話をしていると、部屋を温かい空気が漂う。
リックと対峙していた時は、あれだけ冷徹な空気を纏っていたのに。こちらに気を許してからの、この温かな空気はなんだろう。
いずれかの神の加護を持っているのかも知れない、デニールはそう感じた。
(──癒やしの女神かねぇ?)
神の加護を頂いていたとしても、それが周りにも影響を与えるとは、余程の寵愛を頂いたのだろう。神の加護がある者全てが、周囲に影響を及ぼす訳ではない。
稜真の場合は、本人の資質も大きい気がする。気を抜いている時の、人の良い、どこか緩い雰囲気は本来のものだろう。
稜真に微笑んで酒を注がれると、味もさることながら、その雰囲気にも酔わされる。この部屋を包む柔らかな空気に、今日の疲れも取れる気がした。
──まさか、こちらが潰されるとは夢にも思わなかった。
思い起こせば、稜真が酒を注いでいた表情は、どこか悪戯っぽいものだった。
「してやられたな…、デニール」
「ったく! サウス、今度リョウマが来たら、知らせろよ」
「ああ、もちろんだとも」
稜真の再来を心待ちにする、サウスとデニールであった。
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