36 異世界ラ帝の求道者
☆
「ワシは白エルフの町の中まで入らんことにしとくけえ、悪いがこっから歩いて行ってくれんか」
黒エルフ親父にそう言われた俺たちは町の近くで馬車を降り、歩いて目的地に向かうことになった。
「私の家から港町までは父に馬車を借りることにする。あなたはこのまま自分の島に戻ってもらっても構わないぞ」
白エルフ娘の提案を黒いオッサンは素直に受け入れ、ここでお別れとなった。
「じゃあな。乗せてくれてありがとさん」
「お世話になりました。まな板、見つかるといいですね」
「おう。あんさんと嬢ちゃんも元気での」
黒いオッサンを見送り、俺たちは町に入る。
「そう言えば探しもの、尋ね人と言えばさあ、アタシのおじいちゃんも、ひょっとしたらこの世界に飛ばされてるかもしれないって話なのよね」
すみれが思い出したように厄介ごとをまた一つ重ねてくる。
「お前の爺さんってのは知らんな。池袋の店にはいなかっただろ?」
こいつの実家の店はラーメン将軍である青葉てつや、その奥さんである青葉ゆすら、そして従業員としてすみれや他のバイトの若い兄ちゃん、姉ちゃんがいた記憶しかない。
毎日やたら繁盛しているから、たった一店でも店員は結構多い店だったが、爺さんが働いているというのを見たことはなかった。
「うん。アタシの父さんが小さい頃に生き別れになってるらしくって。青葉一風って名前なんだけど、何となくでいいから佐野も気にしておいてよ」
「覚えてたらな。次から次と面倒な話が増えたら俺の脳では処理しきれん」
まずは一つずつだ。亡くなった刺繍のご婦人の忘れ形見という娘さんの情報を手に入れよう。
☆
「ドワーフとヒトの間に生まれた女性、か……」
白エルフ娘の実家。白エルフ族の中でも実力者の邸宅であり、とてもデカくて立派だ。
長旅や野宿、馬車泊の疲れをここでゆっくり癒したいのはやまやまだが、来てさっそく男前な白エルフ親父に話を聞いてみることにする。
「私たち人間の一般的な女性は50歳前後で子供を産めなくなるんです。あのお婆さんが90歳くらいだったから、ここ最近生まれた、ってわけではないと思います」
すみれが人間女性の妊娠出産に関する補足情報を付け加える。
若くても40代、場合によってはもっと年齢を重ねているかもしれない。
ただ、こいつらエルフは長生きしすぎてるから時間の感覚がアバウトなんだよな。十年前も五十年前もエルフ親父にしてみると大差ないかもしれない。
そもそもこの世界の一年が俺たちが暮らしてきた地球の一年と同じであるという保証もないのだ。
ドワーフの村で味噌とか醤油とか作ってるときに季節と日数をカウントした限りでは、大きな違いはなさそうに感じたがな。
「私も長生きしているので、ドワーフとヒトの間にごくまれにそういう話がある、と言うのは聞き及んでいるよ。ただ、実際に私がそうした出生の誰かに会った、と言う経験はないな」
空振りか。
情報が手に入らないなら、せいぜい金持ちの豪邸で飯と風呂と温かいベッドをタカってから出発するとしよう。
「父さま、それならば『狭間の里』はどうだろう?」
白エルフ娘が聞き慣れない言葉を口にする。
「あそこは、ダメだ。行きたいと言っても許可はしないぞ」
親父が厳しい顔で娘をたしなめる。
「どんなところなんですか?」
すみれの疑問に、ふーっとため息をついてから白親父は説明した。
「どんな種族でも、はみ出し者と言うのはいるものだ。ドワーフに生まれたがドワーフの社会で生きづらい者、エルフに生まれたがエルフの社会で上手くやっていけない者、獣人族でも小人族でも、種族問わずそういう者たちは必ずいる。そんな連中が放浪の果てにたどり着き、寄り集まって暮らしているのが狭間の里だよ」
ドヤ街みたいな地域だな。俺の生まれ育ったところもその近所だが。
「黒エルフも似たような発祥の言い伝えがあったんじゃないか」
親父の説明に、俺は前に聞いた黒エルフの誕生伝説を重ねた。
罪を犯して島流しにされたエルフが、その島の中で独自の変貌を遂げたのが現在の黒エルフだとか、なんとか。
「黒の一族は、あれはあれでまとまりや規律を保ち、龍神崇拝と言う信仰で仲間同士結びついている。それに、島流しに遭ったエルフと言うのは粗暴犯ではなく政治犯なのだよ。エルフ社会を良くしようという気持ちは同じでも、やり方、考え方が違うので異分子として排除された存在なのだ。もともとの性状が無秩序で反社会的と言うわけではない。罪を犯したと言うよりは、政争に負けて居場所を追われた者たちの末裔と言うのが本来のところだ」
エルフ社会もエルフ社会で、人間のようにドロドロした部分はあったようだ。
黒エルフの先祖が「罪を犯して島流しにされた」という伝説も、白エルフ側が自分たちの政治的正当性を主張するために作った都合のいい作り話、脚本なのかもしれないな。
ちなみに白エルフの宗教は木々や草花、山林や大地に数多く存在する自然精霊信仰なのでいわゆる多神教であり、ドワーフたちの精霊信仰とほぼ同じである。
ドワーフたちは土や石の精霊を上位に置き、白エルフたちは樹木や花の精霊を上位に置いているというだけの違いだそうだ。
それに対し、黒エルフは龍神信仰を宗教活動の中心に置いているので、多神教的精霊崇拝とは少し性格が異なる。その辺の違いが仲たがいの理由なのか。
「こっちの世界も何だか世知辛いわね。まあ新宿や池袋よりは平和なんだろうけど……」
すみれの意見に俺も同意。
「粗暴で無秩序で信仰も持たない連中が集まって暮らしているのが『狭間の里』なのだよ。あの連中は、仲間や一族と言う意識をそもそも持っていない。同じ領域に住んで暮らしている集団でしかないんだ。だから内部で争いも絶えないし、なによりあそこには忌まわしきオークもいる。大事な一人娘をそんなところに行かせるわけにはいかない」
白親父は、この話はここまでだ、と言う雰囲気で言葉を切った。
要するに修羅の国なわけね。
ならず者の掃き溜めエリアと言うなら、貴重な情報の一つや二つは手に入りそうなものではある。
しかしいかんせん危険が過ぎるのでスルーすべきだろう。君子危うきに近寄らずと昔の人も言ったことだしな。
「不穏な話はここまでにして、どうかゆっくり旅の疲れを癒すといい。湯を用意させるよ。遠慮なくくつろいでもらいたい」
親父さんの厚意に甘え、俺たちは風呂と温かいベッドを得ることになった。
お礼に滞在中の炊事くらいは手伝わせてもらうとしよう。
☆
この屋敷には風呂場が合計でみっつあるという。
親父専用の風呂、娘専用の風呂、そして屋敷の使用人たちが使う風呂。贅沢な話だ。
「ジローどのには私が普段使っている浴室を使っていただこう」
白親父にそう促されて、説明を受けた風呂場に入る。
湯煙の先は、桃源郷だった。
「スミレ、これはエルフの森でも数年に一度しか咲かない花の種子から長い年月かけて集められた油だ。髪の手入れに使うものとしては最高品質で、ぜひスミレの美しい髪に使ってもらいたい」
優しげな手つきですみれの髪にオイルを塗る白エルフ娘。
「ええ~そんなのもったいないよ! アタシ向こうにいたときずっと安物のリンスインシャンプーだったし! あ、でもすごくいい香り~」
芳香に包まれ、とろんとした表情を浮かべるすみれ。
「長旅や調理で疲れているだろう。体も私が洗ってやる」
ヘチマか海綿かわからないが、なにやら柔らかそうなスポンジ状の物体ですみれの柔肌が撫でられる。
プリンと白いまな板がいちゃついていた。
ここにキマシタワーを建てよう。
おなご二人が俺の侵入に気付き、目が合う。三者、動きがフリーズする。
「スマン、間違えた」
「あ、ああああああアンタ、絶対殺す!! ちょん切ってやるーーーーー!!」
「スミレ、剣なら貸すぞ。やってしまえ」
物騒な叫び声を背に、脱兎のごとく退散。とりあえず脳内ハードディスクにはしっかり保存済み。
☆
「やれやれ、風呂くらいゆっくり入らせてほしいもんだ」
事故であり不可抗力であり些細なミステイクだということを、大事な部分が体とお別れする寸前で理解してもらった俺はやっと自分の入浴タイムを得た。
「そうじゃな。この屋敷の風呂は快適じゃ。あわただしく入っておったのではバチが当たるというものぞ」
俺の独り言に応える形で、何者かから話しかけられる。
「おい、なんでお前がここにいる」
性格のヒネ曲がった童女、龍神のかまどが俺がくつろいでいる浴槽に入り込んできた。
もちろん、全裸で。着てないし履いてないし、おまけに生えてない。
細かく描写すると大人の都合で指定がかかるので、細部は省略せざるを得ない!
「細かいことは気にするでない。器の小さい男め」
「小さくねえって言ってんだろ。つーか、なんの用だよ。しかもここは男湯だぞ」
「狭間の里には行かぬことにするのか? そこでお主のような者が求められてると知っても行かぬか?」
「だからなんの話だ。わかるように喋れ」
イマイチこいつの話は要領を得ないというか、順序や段取りをすっ飛ばし気味である。
「虐げられた者、疎外された者、罪を犯して逃げている者、あそこには様々な者たちがひしめいておる。おそらく、生まれてこのかた、食事を美味だと感じたことすらない者もいる」
「……なんだと?」
メシを美味いと思ったことがないなんて、生きててそんな不幸なことがあるだろうか。
少なくともメシは生きてる限り食わねばならないものだ。それが幸福でないなら、生きることの幸福を大部分、味わっていないことになる。
「おい、くっつくな」
浴槽の中で俺の体に小さい背中を預けてくつろぐ龍神のかまど。
「ちょうどいい背もたれじゃ。動くでないぞ。わらわの肩を揉むことは許す」
「許してもらう必要ねえっての。揉んでもらいたいならエステにでも行け」
この世界にそんなものがあるかどうかは知らない。
「全く気の利かん男じゃて」
そう言って龍神のかまどがくるりと自分の指を回すと、俺の両手が自分の意志とは関係なく勝手に動き出し、全自動肩もみマシーンと化した。
「こら、人の体を勝手に使うな。自動で動いてても結局疲れるのは俺なんだぞ」
「あ~そこそこ、その肩甲骨の周辺が……」
ヘブン状態に入ってしまったらしく俺の抗議は聞き入れられない。
「ったく。一緒に風呂に入るならもっとムチムチなお姉さん系がいいのによ。なにが楽しくてこんなつるぺたクソガキのお守を俺が……あぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!」
不用意な発言をしたら、体中に電流のような刺激が走った。
「口の聞き方に気をつけよ」
「今のもお前の仕業かよ畜生!」
「そうそう、お主と一緒に行動しておるエルフの娘っ子な、あれには優秀な精霊魔法の適性がある。父親が甘やかして過保護にのんびり育てているのか、その方面を伸ばすことに興味がないのかは知らぬが、今のままでは宝の持ち腐れじゃ。なにか大きな刺激があればその適性が目覚めるやもしれぬ」
「そんなの俺の知ったこっちゃねえんだが」
「お主らの探しもの、一つは確実に狭間の里にあるぞ。わらわが与える情報はそれだけじゃ。結局のところどうするかはおぬしらの自由ぞ。それではの」
言いたいことを言って、人様に肩を揉ませて他人の屋敷で風呂に入って、クソ童女は姿を消した。
☆
「なあ、俺ら以外に客を屋敷に入れたか? 背のちっこい女とか」
風呂を出て、エルフの親父さんに聞いてみる。
「いや、そんなことはないはずだがね」
不法侵入かよあのガキ。
「ま、いいや。食事にしようぜ。俺とすみれでなんか作らせてもらうわ。厨房借りていいか?」
「おお、それは楽しみだ。その、できればラーメン以外のものを食べてみたいのだが……」
俺たちの世界の文物に幅広く興味があるこの親父さんは、ラーメン以外の料理も広く味わってみたいのだろう。
「ラーメンも作るが、他のものも作る、ってところで理解してくれ」
難しい顔をして親父さんは納得してくれた。
俺はメニューを考えながら、美味いモノを食ったことがないという、狭間の里で暮らす顔も知らぬ連中のことに思いをはせていた。
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