鮮血と硝煙の向こうに
岩井喬
第1話【プロローグ】
【プロローグ】
弟が死んだ。
つい三十分ほど前のことだ。この森の中に仕掛けられた地雷を踏んで、全身ばらばらになった。破壊力からして、対戦車地雷だったのだろう。
しかし、あの華奢な弟の体重で起爆するとは。ある意味欠陥品だったのか。
先ほどから『弟』と呼んでいるのは、厳密には肉親ではない。強いて言えば『弟分』だ。コールサインはエコー。歳は十。本名は知らない。知っていても意味がない。この戦争下にあって、せっかく本名を覚えても、一体あと何日で死別することになるか。
かくいう僕は、デルタ。今年で十二歳になる。実際、エコーとは背格好など大して変わりはしない。それでも、『兄貴分』でいられたのは――そして今回の作戦に対する恐怖感を和らげてくれたのは、他ならぬエコーだ。
つい半日前まで、支給されている栄養ジェルの不味さに笑い合っていたエコー。それが、死を覚悟する間もなく一瞬で。
「くっ、エコー……」
「黙って歩け、デルタ。余計なことに気を取られていては、死んだエコーも浮かばれない」
「わっ、分かってるよ、チャーリー……」
重機関銃を担ぎ、僕のすぐ前を歩くのはチャーリーだ。やや歳が離れていて、僕の面倒をよく見てくれている。その先には、リーダーであるアルファとブラボーが、二人で前面を警戒しながら歩を進めている。
僕たちは、いわゆる少年兵だ。他の四人(今は三人になってしまったが)の身上に興味はない。いつから組んでいるのか、それすら定かでない。
気づいた時には、僕の両親はいなかった。二人の顔も、自分の本名さえも覚えていない。
父親の代わりに見つめていられたのは、先輩の少年兵たち。
母親の代わりに抱きしめていられたのは、武骨な自動小銃。
こんなだから、僕は幾度も、同年代の少年少女たちを見てきた。彼らの目は日に日に死んだ魚のようになっていき、仲間の死というものに慣れてきてしまう。
仲間の遺体を焼くこともなく、埋葬することもなく、挙句武器を頂戴しながら、代わりに特攻紛いの突撃を敢行する。それが『普通』だった。
しかし、不思議なことだが、僕にはそれができなかった。お調子者のブラボーに言わせれば、僕は臆病者なのだそうである。
だが、その言葉に罵りの意味合いは感じられない。人の死というものを割り切れない僕を哀れんでいる、そんなニュアンスがあるのだ。
人間が命を落とすという事態を嫌悪しつつ、しかし他に考えられることもなく、今日も銃把を握っている。それが、僕の在り様だった。
《アルファより各員、目標地点を目視確認。配置に着け》
《ブラボー、了解。ったく、今日もタリぃな》
《チャーリー、了解。ああ、あれか》
僕も背筋を伸ばし、前方を見据えた。同時に足先を慎重に前に進める。
《おい、デルタ。デルタ、聞こえているか?》
「あっ! う、うん、大丈夫だよ、アルファ!」
《エコーはツイてなかった。残念だがそれしか言えん。今はあいつのことは忘れろ、デルタ》
「了解……」
呟くようにヘッドセットに吹き込み、僕は枝葉の間から上方を見上げた。
曇天の空模様。不気味な木々のざわめき。そして、存在感溢れる巨大な洋館。
《俺たちが到着したのは裏門だ。ここで反対側、すなわち正門から攻め入ってくる敵軍を迎撃する》
アルファが作戦概要を説明し始めた。
僕たちはこの洋館に陣取り、敵国軍が森を抜け、正門の庭園に入ったところに弾雨を浴びせる。そして、我が国の正規軍が到着するまで、敵の進撃を阻む。これだけだ。
敵軍の規模は不明。予想到達時刻は、午後三時二十分過ぎ。正規軍到着の明確な時刻は分かっていない。一体何分、いや、何時間持ちこたえればいいのか。そして僕たちは生き残れるのか。それすらも不確かだ。いつものことだけれど。
僕は音のないため息をついて、裏門の鉄柵を蹴破るチャーリーを手伝った。
※
がらん、と錆びついた音を立てて、鉄柵は開放された。小振りな自動小銃を握り、上下左右に銃口を揺らしながら、洋館の建物本体に近づいていく。
よく見ると、洋館は四階建てだった。そして、その最上階近くまで、蔦系の植物の茎がうねりながら貼りついている。
ここが僕の死に場所になるかもしれない。そう思い、僕はごくり、と唾を飲んだ。これまたいつものことだが。
既に配置は決定済みだ。
まず、屋上にチームリーダーであるアルファが陣取る。
次に、二階にブラボーが到着。ブラボーは、自身の身体と同じ様に細長い銃を背負っている。狙撃銃だ。
それから、チャーリーが三階で重機関銃の射撃体勢を整える。
僕、デルタは、射角確保のため、また、弾帯の運搬係として、チャーリーと行動を共にする。
《こちらアルファ、屋上より、前方の森林を監視中。敵影なし。各員、状況報告》
《あいよ、ブラボーは準備完了だぜ。敵国の畜生共、さっさと首を消し飛ばしてやる》
《こちらチャーリー、現在三階にて銃撃場所を選定中。それよりブラボー、油断は禁物だぞ? 敵の規模も分からないんだ、少しは緊張感を持ってくれ》
《へいへい、悪うござんしたね》
気楽な調子のブラボーを、真面目肌のチャーリーが窘める。今までもこのパターンが、戦闘前には繰り返されてきた。
しかし、ブラボーとて心底油断しているわけではない。場の空気を穏やかにし、皆の緊張感を取り除くため、斜に構えているだけのことだ。
それが分かっていても、やはりブラボーの軽口は有難い。こんな場合であれば、だが。
《アルファよりチャーリー、デルタ。配置完了の報告がまだ入っていないが》
《ああ、すまない、アルファ》
一旦ヘッドセットのマイクを手で覆い、チャーリーが振り返る。
「何やってるんだ、デルタ!」
「はあ、はあ、はあ……。ご、ごめんチャーリー、こんなに弾帯が重いなんて……」
「この機関銃だって滅茶苦茶重いんだぞ、弾帯くらいでへこたれるな!」
チャーリーは落ち着きつつも、強く念押しした。それに応えるべく、僕も弾帯を引っ張り上げ、階段を上っていく。
普段は温厚で、その丸顔に笑顔を絶やさないチャーリー。それでも、作戦前に緊張するなという方が無理な相談だ。
貧相な僕とは比較にならない、大柄な体躯で迫られ、僕は頷くしかなかった。
《こちらチャーリー及びデルタ、配置完了!》
《了解。俺は監視体制に入る。各員、何か異常があれば言ってくれ》
ブラボー、チャーリーに続き、僕も『了解』とマイクに吹き込む。
この期に及んで、僕はようやくチャーリーが重機関銃の配置をするのを手伝った。と言っても、窓ガラスを割っただけだが。
ここからなら、庭園が見渡せる。枯れた噴水、伸び放題の花壇、雑草に占拠された石畳の地面。
「デルタ」
「あっ、はい!」
俺は身体に巻きつけていた弾帯を外し、その端をチャーリーに手渡した。弾帯を挟み込み、ガシャリ、と鋭い音を立てて初弾を装填するチャーリー。
射撃準備完了の旨をアルファに知らせるあたり、チャーリーは抜け目がないというか、真面目と言うか。
だからこそ、次に彼が発した言葉は、僕にとって全く意外なものだった。
「なあ、デルタ」
「ん?」
「お前、戦争が終わったら何がしたい?」
「えっ」
正直、考えたこともなかった。
「しっ、知らないよ、そんなこと」
「知ってるか知らないかじゃない。問題は、自分が何をしたいかってことだ」
チャーリーは、時々こんな意味不明なことを言う。
「まあ、正直俺もよく分かってないんだ。でも、もし少年兵を辞められる時が来たら、そして人殺しをしなくてもいい日が来たら、俺は料理人になりたい」
『俺たちが食ってるものなんて、ロクなもんじゃないからな』。そう言うと、チャーリーは皮肉っぽく口角を上げた。
「そう言う話だ。悪かったな、妙なことを――」
「僕は!」
チャーリーの言葉を遮り、僕は声を上げた。
「誰かを殺すんじゃなくて、誰かを守ることがしたい」
しばし、チャーリーは黙り込んだ。愛嬌のある目を真ん丸に見開いて、じっと僕の瞳を覗き込む。
すると、彼は再び笑みを零した。しかし、そこに皮肉や否定の色はない。十代の少年らしい、それにしては包容力のある温かい微笑みだ。
「となれば、今日も生き残らなくっちゃな。自分が死んだら、助けられる人も助けられない」
作戦開始直前になって『生き残る』という発想が出てくることに、僕は再び驚かされた。
しかし、チャーリーの言うことは正しいと思う。
僕がぎこちなく笑みを返した、まさにその直後だった。
《アルファより各員、敵の小隊のものと思しき動きを確認。射撃用意。ただし、すぐには発砲するな。ある程度の人数が出てきて、ブラボーが小隊長を仕留めてからだ》
《了解だ、アルファ。とっとと来やがれ、クソ野郎共》
ヘッドセットの向こうから、微かに金属音がする。ブラボーが狙いを定めるべく、狙撃銃をずらしたのだろう。
すると間もなく、敵が現れた。数は五、いや六。先遣隊らしい。するとすぐさま、三人が森の中に戻った。安全確保が完了したと勘違いして、小隊長を呼びに行ったのだろう。
戦闘開始は、もうすぐだ。
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