五月十七日④


 日曜日の午前八時半、南大沢みなみおおさわ駅の改札前に集合。

 詩歌しいかとマナは、そう約束をして解散した。

 マナによれば、面会の受付が午前九時から始まるらしい。そう長居するつもりはないが、最悪一時間滞在したとしても、詩歌のアルバイト先は隣駅だ。遅刻しないどころか、暇になるくらいの時間的余裕はあろう。二人はそう結論付けて、それぞれ別の場所で昼食を取る運びとなった。

 何故一緒でないか?

 答えは簡単だ。マナは別の友人と先に約束していたし、詩歌もまた、あの人たち、、、、、がいたからだった。

 大抵にして、詩歌ら四人のグループはラウンジで昼食を取る。その日もたぶんに漏れることなく、二時限目が終わってから、各々集まってきた。

 いつもと違うのは混雑具合だった。

 天気予報の懸念通り、十二時を回ったところで雨が降ってきた。ラウンジにはグラウンドが併設されていて、昼休みには外で運動をする連中が多い。ただ雨になるとその分、外で遊ぶわけにはいかないので、ラウンジの中は大変な混雑になるのだ。

 その日は早々にシュンが二時限目の授業を抜け出したため、混み合う前に座席の確保は為されていた。身長が高く、炎のような赤髪を目印に、宏輝こうき、みか、詩歌の順で、いつものメンバーが揃ったのだった。


「神様はいるのか、いないのか。どう思う?」


 スパゲッティ・ナポリタンとツナサラダを配膳盆に載せて席に戻った詩歌は、シュンからいきなり質問を受けた。彼女がテーブルを窺うと、みかも、興味深げに詩歌を見上げている。

「いるんじゃない」素気ない答えがある。それから詩歌は円状のテーブルに着いた。正面には、笑顔でいるシュンがいた。


「わたしはいないと思う」みかが言った。

「それはまたどうして?」シュンが訊いた。


「『神様の存在』の定義は、そもそも宗教的に? 物理的に?」

「宗教的に、など、とうの昔に存在が確立されているだろう。物理的に、いるのかいないのかを問うている」

「じゃあやっぱり、いないと思う」

「何故、そう思うのだ?」

「観測されていないから。

 あ、勿論、学芸界とかスポーツ界でいうところの、『○○なんとかの神様』とかは入れないよね?」

「無論だ」

「ならいないと思う、わたしは。地球上にも宇宙空間にも、それと思われる姿が観測されていないし」

「みかは、神様はなんらかの姿をしていると思うのか?」

「宗教的精神的な問題でない神様の話だよね? だったら、ひとの姿をしているかはともかく、物理的に何らかの身体を持っていると考えなきゃおかしいと思うけど」


 どうやら二人は、神の存在についてディスカッションを始めていた様子だった。

 シュンとみかは、いつもこうである。何を思ってかは、周囲で見守る他人には解らないが、二人はよく議論を交わしていた。

 二人は決して学者でない。まだ一介の大学生である。何をどう複雑に議論したところで、明確な結論を出すことはできない。ただそれでも、二人は二人して、どこからか疑問を持ち出して、討論することが多かった。

 七五三野しめの姉弟は二人揃って朝食をとりながら、発言者の顔を見つつ意見を聞く。いわば傍聴人である。宏輝は基本的に、シュンとみかの討論が終わるか、ある程度の時間の経過を待つまでは、食事に手をつけない。主に意見を戦わせる彼らが食べ始めるまで、話を聞いているからだ。

 対して詩歌は、大変に食い意地が張っているらしいので、温かい料理を冷めるまで放置するはずがない。二人の顔を、発言の度に交互に見ながら、ひたすらにスパゲティ・ナポリタンを頬張るという器用さを見せていた。


「観測されていないから存在しないと? 

 俺の意見は違う。観測されていないから、神様は存在するのだ」

「いや、それ、意味分かんないよね。存在を証明できないじゃない」

「そもそも神様という存在を、人間の常識の尺度で表そうと考えるからいけないのだ。神様が宇宙よりも大きい身体を持っているとは何故考えられぬ? 人類が今現在で確認している宇宙空間が、もしかしたら神様の身体の、小指の爪ほどの大きさかもしれない。いや、もしかしたら、神様はとんでもなく小さいかもしれない。分子や原子なんかより、ずっと。しかも、ひとつであるとは限らないじゃないか。とんでもなく、たくさんいるのかもしれない」

「シュンはいつから、八百万神アニミズム信仰者になったの?」


 そしてシュンとみかの議論は、大抵が、きちんと正着することがない。

 どこかロマンティシズムを持ち、尊大な話口調のシュンと。

 現実主義であり、普段は大人しくおっとりとした雰囲気のみか。

 この二人が真面目に討論を重ねたところで、纏まるものも纏まらないのは、全く不自然でなかった。


「ほら、二人とも。ごはん冷めちゃうよ」


 ディスカッションが混迷してきたところで、宏輝は声を掛ける。ある程度のところで切り上げないと、段々と二人は喧嘩腰になってきて、場の空気が悪くなる。加えるに、いつまで経っても昼食にありつけない。宏輝はそれを知っていた。

 半ば仲裁の言葉を受けて、不敵な笑みを浮かべるシュンと、しかつめらしい表情をしたみかとは、それ以上の討論を続けず、食事に専念することになった。高野たかのマナの言うあの人たち、、、、、とはどうやらこの二人のことのようである。詩歌と宏輝がいるにも関わらずこのグループを避けているのは、彼らがいるからだ。我の強いであろうシュンは元より、物静かそうな雰囲気のみかが、自身の意見と意見とを戦わせているのである。日本人的な、自己主張をせず、周囲に迎合して、集団に埋没しがちな一般の学生には、受け容れ難いものだった。

 とはいえそんな二人も、仲裁者と目される七五三野姉弟が不在のときには討論をしないし、姉弟を相手にすることもない。四人が揃って初めて、一種の異様な空気が作り出されるのだ。

 ただ討論が終わったり、途中で中断して昼食が始ってしまうと、他の学生たちと変わらない、取り留めのない会話が始まる。


「詩歌って、いつも麺類なイメージだよね」

ふぉうそう?」


 みかの問いに、スパゲティを口に含んだまま詩歌は答えた。事実、昨日の昼食はカレーうどんだったし、一昨日はうどんだった。三日連続で麺である。みかの発言は的を射ていた。

 詩歌は特に気にする風でなく、黙々と食指を動かしている。


「ははは! 詩歌は本当に麺食い、、、であるな!」


 何がおかしいのか、シュンはスパゲティを口一杯に頬張る姿を見て、大仰に笑ってみせる。外見はどう見ても偉丈夫の外国人なのに、流暢過ぎる日本語は、些か不釣り合いな印象を与えている。


「――うるさい。えせ外人」


 口の中を一度空にしてから詩歌は言う。その発言は、彼が本当のドイツ人であるから間違ったものだし、当然失礼極まるものだった。しかしシュンは、やはりそんな罵声を受けても笑顔でいた。詩歌も依然として無表情を保っている。

 そんな彼女らの様子を見守りながら、宏輝とみかは笑い合っていた。

 どうやらこういう一連の雰囲気が、その四人のグループを取り巻き、形成しているようである。


 ――ところで詩歌は、すっかりと、村田の噂について話をするのを忘れていた。

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