第二章

秘密の会合


―――


 次の週の雑誌の取材の日。俺は今までになく緊張していた。


 どこか曖昧だった辻村への気持ちが思ったより真剣で大きなものだったと気付いたのもそうだが、あの時の辻村の一言のせいで傷ついている自分を果たして隠し通せるのかという心配からくる緊張だ。


 ……まぁ、簡単に言えばただ会いづらいっていうだけなのだが……


「おはよー。あれ?仲本君一人?辻村君は?」

「なっ!……んで辻村なんだよ。」

 裕が爽やかにドアを開けて入ってくる。『辻村』というキーワードに、まだ準備出来ていなかった俺の心臓は大きく跳ねた。


「何でって……辻村君が一番早いじゃん、いつも。」

「あぁ、まぁ……そうだったな、うん。あいつは……まだなんじゃない?」

「あ、そう。」

 しどろもどろになる俺などお構い無しに、裕は椅子に座った。


「あのさ~……裕。」

「何?……って、うわ~~~!ちょっとやめてよ!」

 深刻な顔を作って後ろから裕に近付く。そして律儀に家でセットしてきた髪を遠慮なく掻き回した。


「ちょっ……仲本君ってば!やめてよ!」

「ぷっ!あはははは!!」

 裕のやつが焦って俺の手を払ったのを見て、俺は腹を抱えて笑った。

「何笑ってんの!笑い事じゃないって~~!!」

「くくくっ……悪い、悪い。あ~でも傑作だったな。最低一ヶ月はこのネタで笑える。」

 普段はクールを装ってる裕が取り乱している様子がおかしくて、しばらく笑いが収まらなかった。


「もうっ!本気で怒るよ!」

「あ…、ご、ごめん……」

 裕がマジで怒りだしてきたので慌てて謝った。


「まったく、もう。こういうとこは昔から変わんないんだから……」

 乱れた髪を直しながらため息混じりにぶつぶつ言っている裕を、俺はふと真剣な瞳で見つめた。


「な……何?まだ何か企んでる?」

 すっかり逃げ腰になっている裕に、短く笑ってみせた。

「いや、違うよ。これはおふざけじゃない。ちょっとお前に相談したい事があってさ。マジな話なんだ。今日の取材の後、空いてるか?」

「う、うん…大丈夫だけど……」

 俺のあまりの真剣な様子に、裕は髪に手をやったまま頷いた。




―――


 その日の深夜、いつもの居酒屋に俺と裕と浩輔の三人が集まった。浩輔にも話すって言った以上省く訳にはいかなかったから、一応連れてきたのだ。

 俺は今しがた運ばれてきたビールの瓶を取って、浩輔と自分のジョッキに注いだ。


「で、何?話って。この間言ってた事?」

 浩輔がピーナッツをボリボリ食べながら、暢気な声を出す。俺はそんな浩輔を微笑ましく見つめた後、裕の方に視線を移した。


「お前さ、この間言ってたじゃん?」

「ん?」

 裕がワインの入ったグラスをゆっくりとテーブルに置きながら俺の方を向いた。

「今までずっと側にいてくれた人が急に自分から離れて行っちゃったっていう事、最近あったんじゃないかってさ。」

「……うん。確かに言ったね。でもそれがどうかしたの?」

 裕は少し考えるように視線を宙に泳がせた後、もう一度俺に目を向けて言った。


「う~ん…どうしたっつ~か、何ちゅうか……その人ってさ、じ、実は……辻村の事なんだよ!」

 最後の方はもう半分やけくそだった。

 長い沈黙……実際は1~2分ぐらいのものだっただろうが、俺には永遠の時間に感じられた。


「やっぱりね。」

「へっ?」

 こんな長い沈黙の後に出た言葉にしてはあまりに思いがけない一言で、俺は思わず間抜けな声を出した。裕はというと、自分の衝撃発言に対して何も気にしていない様子で優雅にワインを一口飲んでいる。


「やっぱりって……?」

「そんな事だろうと思ってたよ。」

「はい?どういう意味……」

「ここ最近の仲本君の言動見てたら誰だってわかるよ。だってあの時からじゃん、仲本君が変なの。辻村君の……彼女の話をした時からでしょ?」

「うっ……!」

 図星をさされて俺はテーブルに顔を押し付けた。

「はぁ~~、何か気抜けたよ……なぁ?お前あんまり驚いてなさそうだけどさ、気持ち悪いとか思わないわけ?」

「何で?」

「いや、何でってさ。だって男が男を…なんて……」

「じゃあ、逆に聞くけど、仲本君は自分の事そう思ってんの?」

「え?」

 裕の思ってもみなかった言葉に、俺はゆっくり裕の方に視線を向けた。裕は真剣な瞳で俺を見つめている。俺は目を逸らしながら目の前のジョッキを傾けた。


「最初はさ、さすがに戸惑ったよ。だってあいつとは二十年以上の付き合いだし、今さらこんな気持ちになるなんて思ってもみなかったし。それに俺もあいつも男同士で、こんな気持ち……俺って変態なのかなってかなり本気で悩んだり……」

 俺はそこで言葉を切り、ビールを一気にあおってふぅ~っと一つ大きなため息をついた。そして続けた。


「だけどさ、俺はあいつが好きなんだってはっきり自覚してから、この気持ちは女の子を好きになる気持ちと同じだって気付いたんだ。顔を見ると胸がドキドキして話せなくなって……その時思ったんだ。あぁ、そうか。人を好きになるって気持ちはこういう事なんだって。」

 そこまで一気に話した後、また大きなため息をついた。それは後悔のため息ではなく、安堵のため息だった。今まで悩んで心がモヤモヤしていたのが、嘘のようにすっきりしていた。


 俺は裕と浩輔の方を見た。裕はしばらく俺の顔を真剣な目で見た後、ふっといつもの顔に戻って言った。

「そう、そうなんだよ。人を好きになるっていうのは、そういう事なんだよ。」

 妙に納得した様子で呟いている。俺は微笑みながら、自分の中の張りつめていた緊張が音を立てて溶けていくのを感じていた。


 そう、この気持ちは『愛』だ。ただの愛じゃない、嫉妬も焦燥も期待も虚しさも全部ひっくるめた、『愛情』なんだ。


「あれ?」

 ふと裕の隣の浩輔に目を向ける。そうだ、こいつもいたんだ。忘れていた。俺は口をだらしなくポカンと開けて呆然としている浩輔の肘を軽くつついた。


「おい、浩輔?お~い!戻ってこ~い!」

 俺の呼びかけに五回目にしてやっと我に返った浩輔は、大袈裟に頭をぶるぶると振りながら俺の顔をまじまじと眺めた。


「仲本君……」

「ん?」

「あの、話がよく見えないんだけど……」

 戸惑った様子で俺と裕を交互に見ている。浩輔が戸惑うのも無理はない。実際当の俺だって多少はすっきりして自分の気持ちに向き合い始めたものの、いまだに戸惑いはある。

 つぅか、これが当たり前の反応というものだ。裕の方がちと頭がおかしいのだ。


「う~ん……あんまり何度も言いたくないんだけど。つまりだ、俺は辻村の事が好きなんだよ。」

 無意識の内に声が低くなる。もちろん今までの話だって小さめの声で話していたのだが……

 しばしの沈黙。そして……


「えぇっ!?」

 浩輔の大声に、俺と裕は危うく椅子からひっくり返りそうになった。それにしてもなんて鈍感なんだ、こいつは……


「お前、声でけぇよ。誰か聞いてたらどうすんだ。」

「ご、ごめん……でもさ、いきなりそんな、事聞かされて驚くなって方が無理な話で……」

 もっともな言い訳に、俺は密かに頷いた。

「つまりだ、この事は秘密だぞ。もし誰かにバレたら俺は生きていけないからな。お前らだから話したんだ。絶対、誰にも言うな。いいな!」

 俺の真剣な頼みに、二人とも無言で頷いた。


「よしっ!今日は俺のおごりだ。話聞いてもらっちゃったからな。さ、何でも頼んでいいぞ。」

 途端、二人は目を輝かせてメニューを手に取った。


「じゃ僕、これ。」

「僕はやっぱりワインかな。これお願いします。」


 居酒屋とはいえ値の張るものはそれなりに高い。俺は遠慮なく注文し始めた二人に気付かれないように、財布の中身を確認した……



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