第31話

 不安そうに僕達を見る勝彦へ兄が無言で頷くと、勢いよく勝彦を乗せて車が出て行った。

 残された僕達三人は唯黙って『慈恵寺』と書かれた門の下に腰を下ろした。門の目の前で手を伸ばせば届く様な所に夏の陽ざしが落ちている。

 その陽ざしの中に蝉が飛んできて地面に止まり羽根を震わせるようにして鳴き出した。僕は膝を抱えるように顔を失せている勝幸を見た。

 弟を見送ったあと、言葉を出さないで静かに蹲っている。

 組まれた腕の中から見える膝が震えている。

「ガッチ・・」

 僕の問いかけに返事は無かった。それを見てツトムが首を振る。

「うん・・」

 僕はそう言ってあとは黙って視線を蝉のほうに向け、暫く蝉が鳴いているのを聞いていた。

 それはまるで声を押し殺して泣いている兄の声のようだった。

 どれくらい時間が過ぎただろうか、僕達の側に丸坊主頭がやって来た。

 僕がそれに気づくと立ち上がった。

 手に盥を持っていて、その中に赤い熟れた西瓜が見えた。

「ほれ、ぼうずども、これでも食いっちゃ。姪っ子に送った西瓜が残っちょった。甘めぇかどうかわからんが力が出るじゃろ」

 僕とツトムが目を合わす。

「ほれ」

 そう言って丸坊主頭が差し出すのを、僕達は受け取った。

「ありがとうございます」

 それで嬉しそうに丸坊主頭が頷いて、勝幸を見た。

「そっちの子はさっきの子の兄か。心配でたまらんじゃろうが、後は館林先生にお願いするしかなかじゃ」

 勝幸を慈しむ様に見て、盥に残った西瓜を僕に渡した。

「その子の分はそこに置いといてやれ」

 そう言うと丸坊主頭が陽だまりの中に進み、鳴いている蝉を見て手を合わせた。

「こん蝉がまるでその少年のようじゃ。弟の事を心配して鳴いとるんじゃろ」

 小さく「南無阿弥陀仏」と言った。

 すると蝉が羽根を伸ばし、空へと飛び去って行った。

 蝉が空へ飛び立つのを僕達は西瓜を食べながら見ていた。

「おお、顔を上げよったか」

 その声で僕は勝幸を振り返った。確かに勝幸は腕から顔を上げていた。

 その目と頬は涙で濡れた跡があった。

「ガッチ・・これ、西瓜」

 僕は盥を勝幸の前に出した。

 静かに頷くと、勝幸はそれを手に取り一口大きく食べた。

「よかよか。そいでこつ、九州の日南児じゃ。泣いてるばかりじゃ駄目じゃ。元気を出していかんと」

 丸坊主頭が豪快に笑った。

 ツトムが言った。

「爺ちゃんは、ここのお寺の人?」

「そうじゃ、儂はここの住職じゃ」

「え!!じゃ上人さんけぇ?」

 ツトムが驚いて言う。

「いやいや、上人なんて偉いものじゃないが。まぁ唯の坊主じゃ。ほんで君達はどこから来たが?」

 それにツトムが僕を見た。

 言うか言うまいか迷っている。

「広渡じゃ」

 それに勝幸が答えた。

「ガッチ?」

「広渡?ほらぁ遠いとこから来なさったんやな?」

 うんと僕達は頷いた。

「じゃ、飫肥小学校のもんか?」

 うんと再び強く頷く。ここで何も隠す必要は無い。丸坊主頭が顎に手をやるとじっと僕達を見つめた。

「ほんでどこまで行くんじゃ?」

 それには皆が顔を見合わせた。言うべきかどうか皆で確認をしている。

 その時奥で電話が鳴り響くのが聞こえた。

「お、電話じゃ」

 急いで丸坊主頭が走り出して行った。

 残された僕達はさっきの問いかけにどう答えようかと思案をした。

「ガッチ、どうする?答える?」

 僕の言葉に勝幸が下を向いた。

「どうすっか?」

 ツトムが僕の方を見る。

「なぁ、皆。この丸坊主・・いや上人さんだっけ、この人はかっちゃんを助けてくれたじゃない。その人の恩に報いないと。義理が立たないよ」

 義理なんてとても子供に似つかわしくない台詞だと思わないでもないが、子供には子供の世界でそれはとても大事にされている。

 もしかしたらそれが友情や信頼を育むとても大事な要素だと言うことを僕達はしっかりとこの時すでに認識しているのだろう。

 だから勝幸もツトムもそれには唯無言で頷いた。

「じゃ、上人さんがこちらに戻ってきたら僕が言うよ」

 言うや否や丸坊主頭がこちらにやって来た。

 急いできたのか息を切らせている。

「館林先生から電話があってな、君の弟君、大丈夫やったそうじゃ。それで少し病院で点滴を打ってこっちに戻ってくるそうじゃから、先生の家で待ってくれということじゃ」

 一瞬の沈黙が僕達を包んだ。

 しかし次の瞬間、

「やった!、やったぞ!」

 勝幸は声を出して両手の拳を空へ突き上げた。僕もツトムもそんな勝幸の肩に手を遣って大きく叩いた。

「ガッチ、良かったな!かっちゃん大丈夫やった」

 三人で輪になって体を叩きあった。

 目を細めながら僕達の姿を丸坊主頭が見ていたが、やがて言った。

「ぼうずども、じゃ、もうええか。喜んでるところで申し訳ないんじゃけどな。今から儂が館林先生の所に連れて行くから。皆自転車を取りに行っておくれ」

 僕達は勇み足になりながら急いで自転車を取りに行くと再び門の前に来た。

 すると丸坊主頭はそこにはおらず、遠くから僕達を呼ぶ声がした。

「おぉーい、ここじゃ」

 坂道の上の方から声がして僕達は一斉にそちらに向かって自転車を漕ぎ出した。

 すると丸坊主頭の姿が消えた。

 僕達は急いで坂道を自転車で漕いで行く。

 丸坊主頭が消えたところまで来ると坂道は無くなり少しなだらかな下りになって、見ると小さな川が見えた。

「下りだ」

 僕は周りを見て言った。 

(鳶ケ峰を抜けたんだ)

 そう思った時、川から爽やかな風が吹いて僕達の頬を撫でると、やがて汗ばんだシャツの中を抜けて行った。

「おい、ここじゃ」

 その声に僕達は振り返り、丸坊主頭が立っているところまで一気に下って行った。

「来たか。ここじゃ。館林先生の所は」

 丸坊主頭が指さした場所は小川に橋が架けられ、その先に門と中庭があった。

 その中庭で向日葵が咲いていて、それが白い板張りの洋館の壁と映えて輝いている。

「すげー」

 ツトムが言った。

「町の中心の油津にもなかじゃなかと、こんな綺麗な建物・・、なぁそうじゃろ、ガッチ?」

 そう言ってツトムが勝幸を振り返った。

 勝幸は驚いているのか、口をぽかんと開けていた。

「ガッチ、何か驚いてるね」

 僕も勝幸の顔を覗き込みようにして言って笑った。

 ツトムも釣られて笑う。

 それに勝幸が首を振った。

「ナッちゃん、ツトム、ここじゃ。ここが前、お父ぅと来た屋敷じゃ」

 それで僕とツトムは顔を合わせた。

「ここなの?屋敷って・・」

 僕は田舎の屋敷と言えば庄屋みたいな日本造りの建物を想像していたので驚いた。

 勝幸の父親は畳職人だ。それが洋館へ出入りするというのが全くこの屋敷と繋がらなかった。自分の想像力は音を立てて崩れた。

 すると奥で扉が開いて一人の女性が現れた。

「お父さん」

 その女性は丸坊主頭に言った。

「おお、愛子。さっき倫太郎君が病院へ連れて行った子供の仲間の子達じゃ」

 そう言って女性に声をかけた後ろから一人の少女が現れた。

 その少女に夏の陽が降り注ぐ。

 年頃は僕達と同じに見えた。

 肩まで伸びた栗色の髪と薄紅色の頬、それと二重瞼の黒くて大きな瞳が僕達を見ていた。

 勝幸が小さく呟く。

「あの子じゃ。間違いない、前にここで見た子じゃ」

 僕は驚いた。

「ガッチ、見たことあったの?川で話した時そんなこと一言もいってないよ」

 勝幸は、口をぽかんと開けている。

「知っていて、僕達に黙っていたの?」

 僕はそれであの時、何故勝幸が惚けた表情をしていたのか分かった。

 最初から知っていて、何か理由が在って僕達にずっと隠していたのだと分かった。

(ガッチはこの子を知っていた・・)

 口が半開きの勝幸を見ながら、僕は思った。

(でもどうして黙っていたんだろう)

 やがて女性と少女が橋を渡りながら、僕達の側にやって来た。

「愛子、この子達広渡から来よったそうじゃ。冒険もすごい冒険じゃろうて。子供ん足でここまで来たんじゃから」

 女性は頷くと僕達にしゃがんで言った。

「初めまして。私は館林愛子と言います。後ろの子は私の娘で館林日向子と言います。あなた達はどこまで行くの?」

 娘によく似た大きな二重瞼の目が僕達を見ている。

 僕達は所々夏の陽で真っ黒で汗ばんでいてきっとどこか貧相さも持っていたに違いない。でもこの女性はまるで庭の花壇に咲く向日葵のように僕達を愛でるような瞳で見つめている。

 勝幸を見ると少女を見た時から口を開いたままで、呆然とした表情のままで話そうとはしない。

 それでツトムを見た。ツトムは僕を見て顎を引いた。

 僕に話せということだ。

 それに頷くと、僕はポケットから小さな瓶を取り出した。それに少女が気付いたのか、僅かに動いた。

 僕は言った。

「川でこれを見つけたのです」

 それに女性が反応する。

「これは・・?」

 僕は言う。

「瓶の中には手紙があって、差出人は“ヒナコ”と書いてありました」

 おや、という表情で女性が少女を見た。少女がそれで小さく舌を出して、照れたように笑う。

「僕達はそれが誰かは知らなかったのですけど、横に居るガッチ・・いや友達が、心当たりがあると言って、僕達を誘い出したんです。この手紙を出した子に会って友達になろうと」

 少女が勝幸を見て目を合わせた。それで一瞬にして勝幸の顔が紅潮していくのを僕は見た。

 勝幸が変わる様を見て、僕は一瞬にして何故勝幸が僕達にこの少女と会ったことがあるということを隠していたのか分かった。

 それで僕達を誘い出した理由も、何となくわかった。

(ガッチはこの子を見た時から、気になっていたに違いない。それは・・ひょっとすると・・)

 小川を吹く風が勝幸の火照った頬を撫でたかもしれない。勝幸の秘めた思いの熱が風に乗り僕の心に触れて新穂先生の顔を浮かばせた。

 僕は言った。

「僕達は・・・きっとここに来るためにやってきました」

 僕は瓶を少女に向かって差し出した。

 すると細くて長い指が伸びてきて、そっと差し出された瓶に触れた。

「僕達は・・その・・・君と・・・お友達になりたくてやってきました」

 僕の言葉に大きな瞳が僕達三人をそれぞれ見つめる。

「ありがとう」

 にこりと微笑んで言った。

「名前を教えて?私は館林日向子」

 そう言ってツトムを見た。

 少しドギマギするようにツトムは鼻を指で拭いた。

「ツトムじゃ・・・いやツトムです」

 丁寧な口調に訂正してツトムは言った。

「そうツトム君ね。宜しく。あなたは?」

 勝幸を見た。

 勝幸は頭から真っ赤になって直立不動のまま、ぎこちなく言った。

「ぼ、僕は、勝幸・・・いや・・ガッチと皆が言います」

「ガッチ?変な名前」

 少女が笑った。それで僕が言った。

「いや、ほら頭がいがぐり頭だから。皆で“ガ”を取って弟のかっちゃんと分けてガッチゃんと言うんだけど、僕達は仲良いからもう面倒くさくてガッチって短く言うんだ。それでガッチ」

 その説明が可笑しいのか少女は笑った。

「可笑しいね。そう、いがぐり頭でガッチなんだ。じゃ私もヒナって短く呼んでくれる?」

 うん、といって勝幸は下を向いた。緊張しっぱなしで耳が赤くなっているのが僕の目からも分かった。

 少女が僕を見た。

「僕は夏生。ナッちゃんと皆言うので、宜しく」

 少女は頷くと瓶を抱えて母親に言った。

「ママ。私、お友達ができた。お友達ができたの!」

 そう言うと涙目になりながら母親に抱きついた。

 母親は娘の髪を愛でるように撫でた。

「良かったね。ヒナコ。あなたの願った通りこの小川から流したお手紙をこんな立派な少年さん達が受けとって、はるばるこんなところまでやって来てくれてお友達になってくれたのだから」

 少女は頷いた。

 母親は僕達に言った。

「もしよろしければ家へ入って。そこで是非皆さんのここまでやって来た冒険談を聞かせて。おばさん、皆の為にホットケーキを焼くから是非食べて行って」

 僕達三人は顔を合わせて喜色を浮かべて指を鳴らした。

 その指が鳴った音に反応するように庭に咲いた向日葵が一斉に揺れた。

 それはとても美しい世界だった。

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