第12話
「おっどー、ここに!」
ツトムの声に僕達は振り返り、急いで膝まで川につかりながら彼の側に集まって来た。
「どこ?どこ?」
勝彦が川面を急いで見回している。
僕も勝幸も勝彦の側で見回しているが、全くどこに鯉がいるのかわからなかった。
「ほら、そこ。そこ、そこにおっど」
ツトムが網の先で水面を指す。
んー、という神妙な顔つきで三人がその水面を見る。
すると浅瀬を何か黒い塊がゆっくり動くのが分かった。
「おった!」
勝彦が声を出す。
それは確かに一メートル程の鯉だった。ゆっくりと堂々とした姿でそれは泳いでいる。
「主や、絶対あれは主や!」
勝彦が騒ぐ。
捕まえようと動き出そうとするのをツトムが腕で押さえて一歩前に出た。
「そこで待っちょれ」
軽く僕達を振り帰ると、網をゆっくりと川面につけた。
「浅瀬にいる間に網で取っちゃる。もし、しくじって深瀬の方に逃げたら・・・ガッチ、お前の得意な潜水で飛び込んでくれっちゃ」
勝幸が頷く。
「よし」
そう言うとツトムがゆっくりと、しかし素早く網を鯉に向かって進めて行く。
鯉は僕達三人の熱気に触れることなく、静かに川面の下で泳いでいる。
やがて網が鯉の尾鰭の下に触れるかどうかのその一瞬、ツトムが網を川面の下から一気に空へと素早く掬い上げた。
「そりゃ!」
掛け声と共に水飛沫が空を舞い、僕の顔にかかった。
「獲ったか!」
勝彦が網へ目を遣る。
網を空で振るとツトムが言った。
「駄目じゃ。逃げた!」
くっそー、と言ってツトムが網を川面に叩く。
ああ!と叫ぶ勝彦の声が響く。
僕はその時叩いた川面の側から速度を上げて深瀬の方へ向かう鯉を見た。
「ほら!ガッチ、あそこ、あそこにおる!」
「よっしゃ!」
指を指すと同時に、勝幸は川に飛び込んだ。
大きな音がして水飛沫が僕達に降り注ぐ。
「お兄ぃ!」
勝彦の声が再び響く。
深瀬に飛び込んで手を広げて泳ぐ勝幸の姿が僕達にはっきりと見えた。手を二、三回漕ぐと水面から顔を上げた。
「ガッチ!捕まえたか?」
ツトムが言う。
勝幸は水面から腕を出さないで立ち泳ぎのままこちらにゆっくり泳いでくる。
僕はドキドキしながら勝幸の腕を見た。
そこに何かあるのか皆が凝視して見ている。
やがて勝幸はゆっくりと腕を上げた。
「どうじゃ?」
ツトムの声に三人が顔を突き出した。すると勝幸が一瞬笑った。
「こうじゃ!」
勝幸の声がすると三人に向かって水の塊が飛んできた。
「うっぉ!」
「うわぁ」
三人が夫々小さな叫び声を上げた。川の底にある冷たい水が顔に降り注ぐ。
「だめじゃ!獲れんかった」
げほげほ、と三人が言う。
「阿保か、お前。これで皆びしょ濡れじゃ」
僕は頭から濡れた。髪が額に張り付いている。
(これは父さんに怒られるな)
心の中で思った。
勝幸は水に濡れた三人を眺めて笑っている。
するとツトムが網を投げ出して、笑っている勝幸に向かって川へ手を伸ばし、大量の水を掬い上げて投げつけた。
それは不意を突かれた勝幸のいがぐり頭を直撃し、大きな音を立てた。
「やったな!」
勝幸が顔の水を手で払いながら、水を掴むとツトムへ投げた。
それを避けようと横に動くとツトムがバランスを崩して倒れかけた。
「うわぁ」
声を出して倒れながら腕を伸ばすと勝彦を掴む。
「ああ、ちょっと!!ツトム君!!危ない」
後は二人とも仲良く川へとダイブした。
大きな音がして、二人が息を慌ただしくして起き上がる。
顔を手で拭きながら、二人見合わせると、後は腹を抱えて笑った。
僕も勝幸も笑った。
四人の笑い声が川面に響く。
皆笑い終えると、僕は「上がろうか」と言った。
するとツトムが慌てたように言った。
「ナッちゃん、ちょっと待って!爺ちゃんの網が無い!」
その声に僕達は我に返り、辺りを見渡した。すると川下へ向かって流れている網が見えた。
「やばい。あれが無くなると爺ちゃんから、すっげぇ怒られる」
ツトムの悲鳴にも似た声がすると同時に、勝幸が川へ飛び込む。すると両手をクロールして網の側まで行った。それをしっかり掴むとゆっくりと川岸まで泳いでゆく。
僕達も川岸を移動して勝幸の所へ急いでいった。
「ガッチ。悪い」
すまなさそうにツトムが言う。
勝幸が網をツトムに渡す。
「ツトム君、良かったね。網が戻って来て」
勝彦の言葉にツトムが頷く。
「うん、よかった。ガッチのおかげやっちゃ」
「兄ちゃん、たまにはいいことするんじゃな」
その言葉に口をへの字に曲げて、勝幸が言った。
「いつもじゃ、勝彦」
そう言って勝幸が僕に何かを手渡した。
「何?それ兄ちゃん?」
僕は受け取ったものをゆっくりと皆の前に出した。
それは小さな小瓶だった。
夏の陽ざしにそれは一瞬輝いた。
「網にからまっちょったとよ」
僕はそれを皆の面前へ出す。
「瓶じゃな?」
ツトムが言う。
勝彦は頷いた。
僕は瓶を陽ざしに透かすように高く上げた。
「ん?」
ゆっくり瓶を振る。
「ナッちゃん、どうした?」
ツトムが言った。
「中に何かが入っている」
皆が一斉に瓶の蓋を開けようとする僕の指先を見つめた。蓋はきつく締められていたが、力を籠めて回すと後はゆっくりと開いた。
瓶を逆さにして中身が落ちないように、手の平の上に落とした。
それは便箋だった。
「手紙じゃねぇ?」
ツトムが僕を見た。
「そうみたいだね」
僕はそれをゆっくりと開いた。
勝幸と勝彦の兄弟も神妙な顔つきで僕が手紙を開いて読んでいるのを見ている。
「なぁなぁ、なんて書いちょるん?」
勝彦の言葉に僕は皆に聞こえるよう声を出して手紙を読んだ。
それはこう書かれていた。
「この手紙を拾ってくれた人。誰でもいいので私のお友達になって下さい。
私は重い病気でずっと家に居て独りぼっちです。だから今まで一緒に笑える友達がいません。
今日私は思い切って家の側の小川から手紙を入れた瓶を流しました。この手紙をのせた瓶はきっと川を下って海へ行き、世界中の色んなところに行って病気の私の代わりに色んなところを旅して、きっと素敵な友達を探してくれると思ったからです。
瓶を拾って、手紙を読んでくれた方は是非私に会いに来て、友達になってください。
でも、でもね。
もし私が死んだ後にこの瓶を見つけたら、どう思うかな。
だから私考えました。
その友達が悲しむかもしれないので、向日葵の種を入れておきます。もし私が死んでいたらこの種を庭に蒔いてください。そうすれば夏になると向日葵が咲いてそれを私だと思えるから。
それでは ヒナコ 」
「ヒナコ?」
ツトムが僕に言う。
「知ってるの?」
「いや、全く知らない」
ツトムが申し訳なさそうに言う。
「ガッチは?」
勝幸も首を振った。
同じように勝彦も首を振る。
「だよね・・・」
僕は手紙と向日葵の種を瓶に仕舞い込んだ。
「この瓶は上流から流れて来たんじゃろ。じゃったら、ヒナコっちゅう子はこの先に住んどるんじゃろな」
ツトムが網を肩に掛けながら日焼けした腕を叩いた。叩いた掌を見ると赤い血が見えた。
「蚊じゃ」
うへ、と勝彦が言う。
「上流か・・」
勝幸が神妙な顔をして考え込む。何かを思い出そうとしている。
「どうしたの、ガッチ?」
僕が声をかける。
「いや・・なんでもないがじゃ」
慌てて勝幸が僕の方を見て手を振った。
「そう」
僕は勝幸から目を離してツトムを見た。
「ツトムは確かこの川の上の方に親戚がいたのだよね。誰か思いつかない?」
僕はそう言って、少ししまったという顔をした。ツトムが少し渋い顔をして頷く。僕がしまったなと思ったのは、ツトムの両親は今年離婚した。今、ツトムは父の祖父母の所で生活している。
離婚後、ツトムの母親はこの川の上手にある東郷という地区に今は住んでいる。僕の母親はツトムの母親とは仲良しだ。だからその辺の事情を勝幸、勝彦兄弟よりは少し詳しい。
当然、僕がそう言った以上、母親の事を思い出したに違いない。明るくしているが、やはり子供の心は傷ついている。
僕はツトムが一人帰りながら泣いているのを何回か見たことがあった。
ちらりと伏し目でツトムの顔を見る。
渋い表情のままだった。
「で、どうすっと?」
勝幸が皆に言った。
三人が「ん?」と言う。
「その手紙の子は友達が欲しいんじゃろ。それに重い病気やと言うちょる」
「兄ちゃん、まさかその子に会いにいくと?」
勝彦が兄に言う。
僕は黙っている。
「もう、夏休みやし、自転車があるじゃろうから、ちょっとその子を探しに行ってみよう。どうじゃろう?」
僕は勝幸の顔を見ている。
「それに・・・」
勝幸が僕を見た。
「その重い病気で思い出したんじゃ。この川の上流にある鳶ケ峰を越えたところに、向日葵が沢山咲いている大きな屋敷があって、お父ぅがこの前そこに畳を持って行った時に、病弱の女の子がおった言うちょった」
「屋敷?」僕は想像した。
「どんな屋敷?」
「うん、まぁ古い屋敷かな」
勝幸の言葉で、僕は昔の庄屋が住んでいたような大きな屋敷を想像して、腕を組んだ。
(こんな田舎にある様な屋敷って、そんな感じだよね)
思いに耽っとるところに勝彦の質問が飛ぶ。
「お父ぅ、そんなこと言うちょったと?その日、確か兄ちゃんも一緒に行っちょったよね?そん時見てないの?」
勝幸が首を傾げると、顎に手を遣りまがら口をとがらせて少し目線をずらして頷く。
その顔が僕には少し惚けているように見えたが、その時僕はその勝幸の惚けた表情の意味を知らなく、それは大分たってから分かることになる。
「行こうや、皆。俺は行ってそのヒナコっちゅう子に会ってみたくなったっちゃ」
「えーやだよ、兄ちゃん。だってあそこ別名毒ケ峰って云って、毒蛇のおるところじゃろ」
「毒蛇?」
僕が目を丸くする。
ツトムが頷く。
「知ってるっちゃ。マムシとか夜になると峠道に沢山下りてくるんじゃ」
すると不意にガサッと、何かが動く音がした。
皆が一斉に凍りつく。
ゆっくりと音が鳴った方へ首を振り返ると、一羽の川鳥がそこから飛び立った。
胸をなでおろしながら、僕は言った。
「そこ、ここからどれくらいかかるの?」
「そうじゃな。車で二、三時間ぐらいかな」
ツトムが言って首を縦に振る。
「じゃ、朝早く出たら夕方には戻れるかな」
僕は勝幸に問いかけた。
「大丈夫じゃ」
勝幸が自信あるように言ったので、皆も納得した。
「ならツトムにナッちゃん、明日、家に朝九時に来てよ。お菓子とかできるだけ持って来て。地図は勝彦が用意するから」
勝幸の言葉の後に「えー」と勝彦が言う。
「毒蛇は嫌だよ」
僕も心の中でそれは嫌だなと思った。
ふとツトムの顔を見ると渋い顔をしている。
(ツトムは毒蛇より、嫌な事かも)
僕はツトムの心を推し量りながら、瓶をズボンのポケットに仕舞い込んだ。
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