第281話 プリンス様

『あの子は……ウイルバード・チュトラリー……』


 思わず名前を声に出して言いそうになったが、体中に走る痛みのお陰でそれが出来なかったことにホッとした。ウイルバード・チュトラリーと出会った時はノアの姿だったのだ。私が彼の姿を知っている事は不自然になる。こちらの情報をこれ以上漏らすわけには行かないだろう。何よりもブライアンに ”プリンス様” と呼ばれる彼が何者かも分からないのだから。


 それに彼の後ろに居る人物は紺色の髪……チェーニ一族出身の者だろう……

 ただ、セオの様に優しい瞳ではなく、何も感じない ”無” の瞳だった。表情は穏やかそうな笑みを浮かべているが、それが一段とこの世界の事に何も関心が無い事が伝わってきて、恐ろしさを感じた。まだヴェリテの監獄内いたチェーニ一族のアザレアの方が感情があるだけ ”人” で有ったといえるだろう……



 洞窟内は明るいとはいえランプの灯りだけなので壇上は明るくても、それまでの空間は薄暗いところがあり、ハッキリとはウイルバード・チュトラリーの姿は分からなかったが、とても違和感を感じた。その違和感は彼がゆっくりと私の方へと歩いてくることで姿がはっきり見えたことで確信になった。


 初めて会った時にセオと同じ年位の少年と感じたが、ウイルバード・チュトラリーはその時からまったく成長をしていな様だったからだ。


 それに会った時にとても警戒を覚えたはずなのに彼の顔を見るまで思いだすことが無かった。まるで記憶を片隅に追いやられていたように感じた。

 そして ”チュトラリー” の名を思い出して分かった事がある、王都の屋敷の事をアダルヘルムが ”チュトラリー家の屋敷” と言っていたことを……


 ウイルバード・チュトラリーに会った時、私のミサンガの魔石は壊れていた。彼に何か魔法を掛けられたのだ。彼に会った事を忘れる魔法を……


 ウイルバード・チュトラリーが近づいてくると、ブライアンとガブリエラは歓喜の声を上げた。


「プリンス様! ここまでお越しいただきありがとうございます!」

「プリンス様、我々が生贄を捕まえてまいりました! お喜びください!」


 ウイルバード・チュトラリーはブライアンとガブリエラにプリンスと呼ばれている。やはり彼が ”闇のプリンス” なのだろうか…… それに、”ウイルバード・チュトラリー” という名も本物の名なのかも分からない、彼の浮かべている笑顔は全く笑って居ないように感じる、彼が誰かを信用する事はその笑顔を見ればあり得ないだろうと思えた。


 ウイルバード・チュトラリーは私の顔を覗き込んだ。そして体中を見るともっと冷たい笑顔を浮かべてブライアンとガブリエラを見たのだった。


「この子が街で噂の ”聖女” なの?」

「はい! スター商会という卑劣な店の会頭でございます。魔力が多く街の者を癒したと言われております」

「ふーん、魔力が多いんだね……今はまったく感じないけど」

「は、はい! 今は私が魔力を封印する腕輪をこの者に付けておりますので、魔法がまったく使えない状態になっております!」


 ブライアンとガブリエラは褒められたい子供の様にウイルバード・チュトラリーに自分たちの成果を話続けた。ウイルバード・チュトラリーは「ふーん」と答えるのみで、二人に言う事には特に関心が無い様だった。

 それとチェーニ一族の男性が、嘘の笑顔を浮かべたままでまったく二人の事に興味が無いといった様子だった。ブライアンとガブリエラの事を仲間とは思っていないのだろう。


「ねえ、僕、 ”生贄”は大事にしてって言わなかったかな?」

「ええ、それは勿論でございます。ですから体はすべて無事で――」


 そこまでブライアンが喋るとブライアンとガブリエラは急に胸を押さえ苦しみだした。呼吸は荒くなり、顔は青くなっている。

 チェーニ一族の男性はその事にもまったく関心は無く、私をただ見ているだけでウイルバード・チュトラリーの瞳だけが冷たく真っ黒だった。


「こんなに傷だらけにしておいて、君たちは無事だって言うのだね……」

「プ、プリンス様……お許しください……」

「……プリンス様、申し訳ございません……この娘が生意気なことを申しまして……」


 ウイルバード・チュトラリーは言い訳を始めたガブリエラの事を益々冷たい笑顔で見た。主のその顔を見たガブリエラには後悔が浮かび「ひっ」と声を上げた。


「フフフ、ガブリエラ、君はいつから僕に命令出来るぐらい偉くなったのかなー?」

「も、も、申し訳ございません! プリンス様、決してそのような事は……どうかお許しください!」

「コナー、これ、もういらないから処分して」

「ひっ!」


 ウイルバード・チュトラリーがチェーニ一族のコナーと呼ばれた男性に処分してと言った瞬間、ガブリエラの首は地面に落ちた。私の腕を掴んでいたガブリエラの腕からは力が抜けガブリエラの胴体は崩れ落ちていった。

 そしてガブリエラは塵となり衣服だけがその場に残され、コナーは眉一つ動かさず剣を鞘に納めた。

 今までそこにガブリエラが生きていた事など、まるで存在など無かったようにウイルバード・チュトラリーとコナーの二人は振る舞っていた。


 それを見たブライアンは私のもう一方の腕を掴んだまま地べたに座り込んでしまった。多少なりともガブリエラに愛情があったのか、それとも恐ろしさからなのかブライアンは涙を流していた。私の腕を持つ手は小刻みに震えて居て、恐怖からか怯えているように見えた。逃げ出したいが逃げ出せないといったブライアンの様子に、ウイルバード・チュトラリーは面白いのかクスクスと笑って居たのだった。


「ブライアン、彼女の魔力封印する腕輪を外してあげて」

「は、はい!」

 

 ブライアンは這いつくばってガブリエラの衣服に近づくとポケットをあさり何かを取り出した。魔石の小さなサイズのような物を私が付けている腕輪に押し付けると、腕輪はシューっと音を立てて消えていった。

 魔力が戻ったようで自分の体が軽くなったことが分かった。思わずホッと息をついたが、コナーがいつの間にか私の首元へと剣を置いていた。動いたら首を切るという事だろうと悟った。


 先程のガブリエラの無残な姿を見ていたので、それが脅しではない事は十分に分かった。コナーの素早い行動に背筋に嫌な汗が流れた。


 とにかく魔力が戻ったのだから一瞬の隙をついて転移しなくちゃ……


 私がどう逃げようかと考えていると、ウイルバード・チュトラリーがゆっくり壇上に向かって歩き出した。私もコナーに押されながらその後に付いて行く。足かせがまだついたままなので歩きづらく、ゆっくりと進むウイルバード・チュトラリーにさえ付いて行くのがやっとだった。ブライアンも震えながら私達の後に付いてきていた。その顔にはこれ以上ないほどの恐怖が浮かんでいた。


 コナーは壇上の前に私を連れて行くと、直ぐにその場から離れウイルバード・チュトラリーの後ろへと移動した。一瞬の動きだったことからコナーも転移出来るのだと分かった。ブライアンは壇上の脇の方に立ち震えながらこちらを見ていた。

 今なら転移して逃げられるかと思った瞬間、ウイルバード・チュトラリーが手をかざし、魔法陣が輝き浮かび上がった。その途端私は体の力が抜けて行き、立っていられなくなり、その場にうつぶせになってしまった。

 首元からセオとおそろいで作ったネックレスが顔をのぞかせた。それを見てセオの顔を思いだし、絶対に生きて帰ろうと決意を固めた。


「ブライアン」

「は、は、はい!」

「彼女の名前は?」

「は、はい、アリナ・セレーネでございます!」

「ふーん……セレーネねぇ……」


 

 ウイルバード・チュトラリーはブライアンに気のない返事をすると、魔法陣に魔力を込めた。そして「アリナ・セレーネ」とアダルヘルムが以前領主邸に行った時に語った私の偽名であり、アリナの名を呼ぶと、体に電流を当てられたような衝撃が走り出し、思わず痛みで「キャア!」と悲鳴を上げてしまった。

 けれど偽名だったからか、痛みは一瞬で収まり、魔法陣の光もすぐに消えてしまった。ただ自分の体にはまだ痛みの衝撃が残っていて手足がフルフルと震えているのが分かった。


 体中が痛い……このままだと体がもたない……


 私の魔力は無限だが体は七歳の子供だ。魔力が使えない状態の今、このまま攻撃を受け続けて居たら幼い体では持たない事が分かった。何とか逃げ道を探さなければと考えていると、ウイルバード・チュトラリーの声色が変わり、怒っているのがすぐに分かった。


「ブライアン……僕に嘘の情報を渡したの?」

「いえ……そんなはずは……この娘は……確かに……アリナ・セレーネと……」


 ウイルバード・チュトラリーの問いにブライアンは怯えながら後退り、首を左右に振っている、主の怒りを買って怯えているのか益々顔色が悪くなった。

 ウイルバード・チュトラリーはそんな様子のブライアンを見て、呆れた様なため息をついた。


「本当に君って……役立たずだよね……」

「そ、そんな……プリンス様、私は……必ずお役に……」

「大体君が無鉄砲なことを仕掛けるからこんな状況になったんでしょ、上手く立ち回る様にって言ってあったじゃ無いか……」

「……プリンス様……ど、どうかお許しを……」


 ウイルバード・チュトラリーは「はー……」とまた大きなため息をついた。その様子は演技がかっていて、ブライアンの不甲斐なさを大げさにうんざりしているようにわざと見せている気がした。

 ブライアンは主に見限られたと思ったのか膝をついて手を組むと懇願する様にウイルバード・チュトラリーに頭を下げた。体は恐怖からずっと震えている。


「主よ……どうかお許しを……どうか……どうか……」


 ウイルバード・チュトラリーがブライアンにニッコリと微笑むとブライアンはホッとした表情になった。だがウイルバード・チュトラリーはコナーの方に振り返り非道な指示を出した。


「コナー、あれ要らない、処分して」


 ウイルバード・チュトラリーの言葉を聞いてブライアンはこの場から逃げ出そうとしたが、次の瞬間、ゴロッと頭が体から離れた。そして「ギャアー」という断末魔だけが洞窟の中に響き、ブライアンは塵となって消えて行ったのだった……

 

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