先代勇者は担任の先生 ~先生同伴で妹探しに異世界に行ってきます~

チバ二ヤン

第1話:プロローグ

ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、と。

乾いた咳の音が静かな病室内に響き渡る。


「ごめんね、お兄ちゃん」


 淡い青色の入院服を着た少女――望月柚葉(もちづきゆずは)は目元に薄っすらと涙を溜め、何度となく口にした言葉を呟く。


「そんなに気にすんな、兄妹だろ」


 柚葉の兄は背を優しくさすりながら妹の顔を覗き込み、しっしっしと子供のような笑みを浮かべ。

 そんな兄の無邪気な笑顔につられ、妹も口元を緩ませる。

なんてことない望月兄弟のルーティン。

そう、このやり取りを何回も何日も何か月も何年も……繰り返している。


「あ! そういえば、欲しがってた本買って来たぞ」


 兄はリュックをゴソゴソした後。

「じゃじゃーん」と効果音を口にしながら目的の本を柚葉の前に差し出す。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 本を受け取ると大事そうに胸に抱きしめ幸せそうに微笑む。


「今回の本はどんな内容なんだ?」

「ええっとね、勇者と魔王が出てくる話だよ」

「ははっ、柚葉は本当にそういうの好きだよな。この前も似たようなの読んでたじゃないか」


 からかうような口調で言うと、柚葉は頬を膨らませ少し強めの語気で反論してくる。


「前回のは愛しの人を助けるために一人孤独に戦う物語! 今回は心優しい勇者が孤独な魔王に手を差し伸べる話! 全然違うの!」

「でも結局、主人公は勇者で魔王が出てくるんだろ?」

「そうだけど、ぜんぜん違うの!」


 少しずつ感情的になり早口になっていく柚葉を見て。

兄は「ごめんごめん」と優しく微笑みながら手を合わせる。


「いいよ、許してあげる。私の広い心に感謝するザマスね」

「はは~ありがたき幸せ」


 柚葉がマダムのような口調に、兄が家来を演じて返し、演技力のない二人の違和感まみれのやり取りに、お互い笑いがこぼれる。

 どちらかが悲しい顔をしたらどちらかが笑わせ、どちらかが怒ったら素直に謝ってすぐに仲直り、これが望月兄弟の日常だった。

 あの日までは…………

 


 その日は真冬日だった。

 外の気温が零度を下回っているのではないかと思うほど寒かった。

 兄はいつものように学校が終わるとすぐに柚葉の病室に向かう。

 道中、手袋を忘れたせいで手がかじかみ、ジンジンと痛くなってきたが気にしなかった。

柚葉の病室はいつも暖房をガンガンにつけている。

病室につけばすぐ温まり痛みは引くだろう、と考えて構わず走る。

 兄は看護師の注意を聞き流し白く濁ったリノリウムの廊下を走って進み。

温かい空気が押し寄せてくることを確信して病室の扉を開くと、


――そこには誰もいなかった。


 病室を間違えたかなと思い。


「すいませんでした~」


と、小さく口にして扉を閉め部屋番号を確認する。

が、そこは昨日まで妹がいた病室で間違いなかった。


「……夢?」


顔を両手で勢いよく挟み、頬に確かな痛みに夢でない事を確信し。

今度はゆっくりと扉を開けてみる。

だが、そこにはやはり柚葉の姿はない。

 兄は静かに扉をつかむ手に力を入れる。

 暴れだす心臓をもう片方の手で抑えつけ。

 柚葉の兄――望月晃(もちづきあきら)はこの日、戸惑いや怒りを飲み込むほど強い決意を心に定めた。


「どこにいようが絶対に兄ちゃんが探し出して助けてやるからな」


* * *


 ――柚葉が行方不明になってから三年の月日が経った。

 あの後すぐに病院から駆け出し、共にお菓子を買いに行った駄菓子屋や柚葉が大好きだった本屋、一緒に星を見た丘など――思い当たる全ての場所に探しに行った。

 苦しげに喘ぐ肺を無視し、徐々に重くなっていく足を引きずりながら走った。

 『お兄ちゃんなのだから』と泣きそうになる弱い心に喝を入れた。

妹を見つけた時、涙でしわしわになった情けない顔なんて見せられない。

と、とめどなく押し寄せてくる涙を抑えつけた。

 後ろ姿でほっとして裏切られることも何度もあった。

 それでも諦めず走って、走って、走り続けた。

 

 ――だが、結局どこを探しても柚葉を探し出すことは出来なかった。

 

 警察の力も借りたが手掛かりすら見つからなかった。

 何度も何度も警察に捜索の続行をお願いした。

が、ある一定の期間が過ぎるとばったりと捜索を止め、再開することはなかった。

誰もが『死亡』したと確信したということだろう。

 初めはなんで諦められるんだよ! と反発していたが、時の流れとは恐ろしいものでいつの間にかそんな不満も薄れていき。

しまいには頭の片隅よりもずっと奥に追いやられてしまった。


――『大切な物』と一緒に忘れてしまった。


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