第239話 ヨリチカとハン王

 ホクトの交易区は、フラニス国の商人たちが追放になったので寂しい感じになっているのかと思ったが、そうでもなかった。


 バラペ王国のベクから久しぶりに戻ったヨリチカは、深呼吸して故国の空気を吸い込んだ。メラ家の当主であったメラ・ヨリチカは、現在バラペ王国のベクで商売をしている。


 バラペ人を雇って羊毛を毛糸にして、アマト王国で売るという商売だ。少しずつ規模を大きくして、二百人ほどのバラペ人を従業員に持つ事業家になった。


「ヨリチカ、余はホクトの名所を見てみたい」

 その声を聞いたヨリチカは、一瞬だけ顔をしかめた。後を振り向いたヨリチカは、笑顔をハン王に向ける。


「名所巡りは、役所に届け出を出してからになります。もうしばらくホテルでお寛ぎください」

「ホクト城の待楼館たいろうかんに泊まる事はできぬのか?」


 待楼館はカイドウ家の招待客や国賓を迎える施設である。国王ではなくなったハン王が泊まれる場所ではなかった。


「待楼館は短期の滞在者が宿泊する施設でございます。今回は十日ほど滞在しますので、このホテルで我慢をお願いします」


 ヨリチカはハン王をホクトへ連れてくるつもりはなかった。ヨリチカがホクトへ行くというのを誰かから聞いて、自分も行きたいと言い出したのだ。


 疫病神のようなハン王を連れて行きたくなかったが、一国の王だった人物の願いである。ヨリチカは断れなかった。それにチュリ国の王だった時には、その権力を利用して儲けている。その借りを返さねばならないという思いがあった。


 ちなみに王ではなくなったのに『ハン王』とか『殿下』と呼んでいるのは、本人の要望である。

「ところで、ヨリチカの用事というのは、何なのだ?」


「新しく糸を紡ぐ機械が開発されたと聞きましたので、それがベクの工場で使えるか、確かめに来たのです」


「なんだ、そんな事か」

 ハン王がつまらなそうに言った。ヨリチカの口から溜息が漏れる。ハン王がバラペ王国で暮らしている生活費は、工場の利益から出ている。それをつまらないもののように言われると、正直ど突き倒して、どこかに埋めたいような気分になる。


 ヨリチカはハン王をホテルに残してホクト城に向かった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 俺は久し振りに会ったヨリチカが、やつれた顔をしているので心配した。

「どうした? 疲れた顔をしておるぞ」

 俺の言葉にヨリチカが苦笑いする。


「今までハン王の相手をしておりましたので、いささか疲れました」

 それを聞いた俺が笑う。

「そうか、その疲れた顔は、ハン王のせいか」

 評議衆たちも笑っている。


 俺はヨリチカに視線を向けた。

「桾国で、銀貨を改鋳しているようだ。バラペ王国では、何か対策を考えているのか?」

「銀貨の改鋳の件でございますか。あれはルミポン国王と大長老会議が話し合いをしているようです。ですが、基本はアマト国を真似ると聞いております」


「ふむ、バラペ王国でも、アマト国が発行している貨幣を使っているのだったな」

「はい、ベクでは淡寛銭と姫佳銀が使われております。首都のヤナックでは、桾国とアマト国の貨幣が半々といった感じでございます」


 バラペ王国の田舎では、まだ物々交換が主流の場所も有るようだ。

「ハン王がホクトの名所見物をしたいと言っているようだな?」

「はい、ベクでの生活が退屈だったようです」


「贅沢なものだ。あのままチュリ国に居れば、死んでいたかもしれぬのに。……まあいい、見物の件は許可しよう」

「ありがとうございます」


 俺はヨリチカに顔を向ける。

「他に気になる事はないか?」

「ホクトの交易区に来て驚いたのでございますが、桾国から来た商人が急増しているようでございますな」


 俺は顔をしかめる。

「桾国に見切りを付けた商人が、周辺国に避難しているのだ」

 ヨリチカが頷いた。

「桾国の商人たちは、このままでは桾国が滅ぶと考えているのですな。桾国の将来は暗いようです」


「蘇采省で起きた反乱が、全国へ広がっているようだ」

 俺の言葉を聞いたヨリチカが目を丸くして驚いた。

「お待ちください。蘇采省の反乱は、呂将軍が鎮圧に向かったはず、鎮圧軍が破れたのですか?」


「そればかりではない。黒虎省の北にある李成省でも反乱が起きたらしい。このままでは桾国がバラバラになり、大陸は混乱するかもしれん」


 ヨリチカが恐ろしく真剣な顔になっている。

「チュリ国は、どうなるのでしょう?」

「列強国のイングド国が支配しているのだ。手を出す者は居ないだろう。但し、イングド国が混乱する桾国に手を出したら、巻き込まれる事もある」


 ヨリチカが尋ねた。

「上様は混乱した桾国に手を出されないのですか? アマト国なら桾国を支配下に置く事もできるのでは?」


「そんな面倒な事は嫌だ。アマト国は極東同盟の国々への支援はする。だが、それ以外は手を出さんぞ」


「チュリ国だけでも、何とかできませぬか?」

 ヨリチカが懇願するように言った。

「ハン王を見限れば良いだろうに、ヨリチカらしくないぞ」


 ヨリチカが困ったように後頭部をポンポンと叩く。

「長く付き合ったせいか。情が移ったようでございます」

 評議衆が面白そうに笑う。時にはそういう事もあると分かっているのだ。


「ヨリチカ殿、それならば、少し教育した方がよろしいと思いますぞ」

 イサカ城代の言葉を聞いたヨリチカは首を振った。

「そのような事をすれば、ハン王は逃げ出すでしょう。束縛される事を一番嫌う人物ですからな」


 俺はヨリチカからバラペ王国の様子を詳しく聞いた。ハン王については、ヨリチカに任せる事にする。


 俺は桾国の情報を集め、静かに見守る事にした。周辺国家も見守る事にしたようだ。その間に桾国の混乱は激しくなった。あちこちで反乱が起こり、各地に新しい王が生まれ始めたのである。


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