第114話 チュプワン荒野の戦い

 チュリ国では再び戦が起きようとしていた。桾国の耀紀帝が怒り三万の兵をチュリ国に向けて出発させたのだ。その報せは、チュリ国のチュリ植民府にも届いた。


 チュリ植民府では、就任したばかりのマイルズ・アルバーン総督が陸軍のノエル・キンケイド少将を呼んだ。

「お呼びでしょうか、総督」


 キンケイド少将が部屋に入ってくると、アルバーン総督は不安そうな顔で尋ねた。

「桾国軍が攻めて来るそうだが、大丈夫なのかね?」

「弱兵が三万の集団になろうと、心配はありません」


 その言葉を聞いても、アルバーン総督の不安は消えない。

「どうやって、撃退する?」

「攻め込んでくる桾国軍は、火縄銃を持っていないようです。そういう連中を仕留めるのに、絶好の場所が有るのです」


「ほう、詳しく話してくれ」

 キンケイド少将は持参した地図を広げた。チュリ国の詳細な地図だ。その一ヶ所を少将が指差す。


「桾国軍が必ず通ると思われる場所です。ここで戦えば勝てます」

 総督は少将から作戦内容を聞いて、任せる事にした。

「自信が有るようだね。君に任せよう」


 完全に納得している訳ではなかったが、自信が有りそうな様子を見てアルバーン総督は全面的に任せた。

 少将は部隊をチュプワン荒野と呼ばれている場所に移動させた。ここは起伏が激しい荒野で、何ヶ所か大軍で通るには狭い場所が存在する。


 チュリ植民府へ侵攻するには通らねばならない場所であり、桾国軍は間違いなくチュプワン荒野へ進んでいた。

「この戦い、勝てると思うか?」

 キンケイド少将は副官に尋ねた。


「えっ、少将は必ず勝てると総督へ断言しておられたではないですか」

 副官のスコールズ中佐が意外だという顔をする。

「戦いに確実なものなどない。桾国軍の指揮官が優秀なら、我らが仕掛けた罠をかい潜って、攻めて来るだろう」


 スコールズ中佐は首を傾げた。

「そんな優秀な軍人が、桾国に居ますかね。確率は非常に低いと思うのですが」

「私もそうである事を祈っているよ」


 少将はチュリ国人を使って、チュプワン荒野の二ヶ所に柵を作った。これは騎兵が突撃できなくするためのものだ。


「もう少し時間があったら、チュリ国人の部隊を編成できたのですが、残念です」

 スコールズ中佐がファソン湾で編成中の現地人部隊について言う。

「集めたばかりで、何の訓練もしていない部隊だ。使いものにはならん」


「それでも連れてきていれば、少しくらいは役に立ったかも?」

「いや、邪魔になっただけかもしれんぞ」


 スコールズ中佐が不満げな顔をする。現地人兵士として集めた若者は、八千人ほどになる。そいつらが安全な後方で訓練しているのに、自分たちが危険な前線に居るという事が気に入らないようだ。


 斥候部隊の一人が駆け込んできた。

「敵兵が第一ポイントを通過しました」

「さて、戦いが始まるぞ。兵士に気合いを入れてこい」

 少将が命じると中佐が走って行った。


 少将の部隊は第二ポイントと名付けた場所で待ち構えていた。その前方には石が散乱する丘で挟まれた狭い通り道である。そこを桾国軍は通るはずだ。そして、狭い道には馬防柵が設置されており、馬は通り抜けられないが人なら通れるようになっている。


 ミケニ島の馬防柵は人間も通り抜けられないというものだが、イングド国の馬防柵は本当に馬だけを通さないもののようだ。


 桾国軍の先頭部隊が馬防柵を見付けて騒いでいる。兵士たちが馬防柵を取り除こうと近付いて来た。キンケイド少将が命じた。

「第一列、撃て!」


 二千の火縄銃から鉛玉が一斉に発射された。その鉛玉に当たった桾国兵がバタバタと倒れる。それを見た桾国軍の指揮官は歩兵だけで戦わせる事にしたようだ。


 馬防柵の隙間を通り抜けた桾国兵がイングド国軍に向かって突撃してくる。但し、例外も居た。太った桾国兵が馬防柵の隙間に挟まってジタバタしている。

 例外は別として、突撃してきた兵に向かって、二回目の一斉射撃が命じられた。またも桾国兵が大勢倒れた。


 それを見ても桾国軍の指揮官は、突撃をやめず『突撃しろ』と大声で命じた。イングド国軍は、鉄砲兵を三つに分け交代しながら一斉射撃を繰り返すという戦術を繰り返した。


 撃ち漏らした桾国兵が、火縄銃を構えるイングド国兵の前に飛び込む事も何度かあった。だが、それらの桾国兵は少数で、すぐに倒された。


 そんな戦いがしばらく続いた後、馬防柵が桾国兵の手により取り除かれた。それを見たキンケイド少将は、兵に第三ポイントまで退くように命じる。


 その第三ポイントにも馬防柵が設置されており、そこまで進んだ桾国軍は同じ戦いを繰り返す事になった。最初三万の集団だった桾国軍は、七割ほどに減っている。


「チッ、きりがない。このままでは押し切られてしまう」

 キンケイド少将が顔を曇らせて前線を見詰めていた。副官のスコールズ中佐の目には少将が焦っているように見えた。

「少将、あそこの馬防柵近くに居るのが、敵の指揮官ではないですか?」


 敵の指揮官も焦って前線近くに出てきたようだ。

「チャンスだ。あの指揮官を狙わせろ」

 少将の命令で、十人の狙撃兵が敵指揮官と思われる者を狙って一斉射撃した。十個の鉛玉が飛翔し、一個が指揮官の肩、もう一個が首に命中する。馬に乗っていた桾国武将が落馬して動かなくなる。


 この時、勝敗が決まった。突撃してくる桾国兵の数が減り、ある時を境に敗走を始めたのだ。それを見たキンケイド少将はホッとした。


「危なかった。もう少しで押し切られるところだ」

 スコールズ中佐が確認する。

「追撃しますか?」

「そうだな。追撃せねばならんだろう」


 追撃しないと少し距離を取ったところで部隊を建て直すという事もある。イングド国軍が追撃を開始し、桾国兵は自国に逃げ帰った。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ホクト城で積み上がった書類と格闘していた俺は、ドアの外に居るホシカゲの声を聞いた。

「入れ」

 音もせずにドアが開き、ホシカゲが入ってくる。その動きは滑らかで、忍びとしての訓練を欠かしていないと分かる。


「御屋形様、チュリ国のチュプワン荒野で、桾国軍とイングド軍の戦が起こりました」

 俺は書類を放り出し、ホシカゲに近くへ来るように命じた。


「マサシゲ、ほうじ茶を頼む」

「畏まりました」

 小姓のマサシゲが鉄火鉢で沸かしていた鉄瓶のお湯を使ってほうじ茶を入れて、ホシカゲと俺に差し出す。


 ほうじ茶を一口飲んだホシカゲは、チュリ国での戦いについて語り始めた。

「桾国軍は三万という数でチュリ国に侵入すると、植民府を目指して進軍しました」

「やはり三万か。桾国の底力は凄いものだ」


 ホシカゲが頷き続きを話し始める。

「一方、イングド国軍は、チュプワン荒野に馬防柵を設置して、待ち構えるという策を取ったのです」

 俺はサコンにチュリ国の地図を出させ、机に広げた。


 ホシカゲが戦いの経過を語り、俺は頷いた。最後に桾国軍の指揮官が火縄銃で狙撃されて倒れたという話を聞いて、顔をしかめた。


「最後に桾国軍の指揮官が間違いを犯したか。もう少しで押し切れたのに、馬鹿な奴だ」

 俺は追撃戦の様子を聞いてから、大きな溜息を吐いた。


「この敗戦を耀紀帝はどう思うだろう?」

 サコンが珍しく意見を言った。

「前回のように、また勝ったと報告するのではありませんか?」


 その可能性がないとは言わないが、総指揮官が討ち死にしたのなら、その総指揮官に責任を押し付けて敗れたと報告するような気がする。


 俺の予測を言うと、サコンは素直に同意した。

「桾国内が荒れるかもしれんな」

 ホシカゲが頷いた。


「そうかもしれません。今まで桾国皇帝は無敵の存在だという事になっておりました。ですが、桾国皇帝が差し向けた軍が敗れたのです。無敵神話が崩れたと感じる者も多いでしょう」


 耀紀帝は強権で世間を抑え込み、自分の欲望のままに国を操った絶対権力者だ。そのように振る舞えたのは、桾国皇帝が負け知らずの強者だったからである。


 だが、その強者が敗れた。桾国内に溜まっていた不満が、これを契機に吹き出るかもしれない。


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