挿話

挿話 (5)

 春のある日の放課後、昇降口の、下駄箱のまえで靴を履きかえていると、ヨシカが話しかけてきた。

 二年生となり、クラスが別々になってしまうと、彼女とは時々廊下ですれ違って、挨拶をかわすくらいの関係になってしまっていた。

「シノブちゃん、大丈夫?」

 とヨシカは不安気にたずねる。

「え、なにが?」

 と問い返すシノブに、

「だって、顔色が悪いわよ。頬もちょっとやつれたんじゃないの?」

 ちゃんと食べてるの、なんでも屋・・・・・なんてやめて、ちゃんとしたバイトを見つけたら、などと、シノブの人生事情を知らないヨシカは、ありがたいがちょっと迷惑なアドバイスを押し付けてくる。

「あ、うん、大丈夫だよ、ありがとう」

 とシノブはただ、答えただけだった。

「そう、じゃあいいけど、なにかあったら、遠慮しないで頼ってね」

 と言うと、ヨシカはクラスメイトたちのもとへいき、シノブのことなどすぐに忘れたように、楽しそうに会話をかわしながら、玄関を出ていく。

 ――クラスが違ってしまえば、あんなものか。

 と、遠ざかるヨシカを眺めながらシノブは思う。

 一生の友達だと思っていたのは、シノブだけで、ヨシカのほうでは一年生のときだけの関係とわりきっているようすだ。

 一抹の寂しさが、シノブの心をとおりすぎた。

 ただ、さっきかけてくれた言葉に偽りはないだろう。その優しさだけは、ウソだとは思いたくはない。


 帰り道、ハルハラ駅前の公園をすぎて、マンションへ向かうシノブを、道のむこうから、ひとりの、スポーツ刈りの詰襟の学制服を着た高校生が、赤い自転車を押して歩きながら、見つめてくる。

 ――こいつとも、ケリをつけておかないとな。

 とシノブは思った。

 ふたりの生きている世界は、違いすぎている。私のような女とは、かかわらないほうがいい――。

 シノブは立ちどまる。男子生徒も立ちどまる。

 五メートルほどの道の、こっちとむこうで、しばらく見つめあった。

 すっかりオレンジ色に染まった道で、夕日がふたりを照らす。アスファルトにのびるふたりの影が、平行にならぶ。けっして交わることのない、ふたつの影。

 どこかでカラスが、カァと鳴いた。

 男子生徒は、夕日に赤らんだ丸い顔を、さらにだんだんに赤く彩り、やがて照れたように目をそらす。

 シノブは、躊躇なく、近寄っていく。

「なにじろじろ見てんだよ」

 シノブの言い放った言葉に、少年は驚いたような顔をして、顔をこちらに振りむける。

「いつも、すれ違うたびにジロジロジロジロ見やがって。気持ち悪いんだよ、クソヲタ」

 男子生徒は、恐怖と興奮と悲痛がないまぜになったように、自転車のハンドルを持つ両の手も、膝頭も、小刻みに震えさせていた。そして、しんそこ残念そうな、失望したような顔でシノブを見つめ、やがて耐えきれなくなったというふうに、顔を横に向ける。

「お前もどうせ私の肉体からだが目当てなんだろ。やりたいだけなんだろ、え?」

 男子生徒がなにか言おうと口をひらいた、その出ばなをコツンと叩くように、

「もう二度と、私の前にその汚いツラを見せんな。つぎ見たら殺すぞ、クソ野郎」

 言って、シノブは足早に立ち去った。

 シノブの足音が、周りの塀に反響して、耳に刺さる。

 ふりかえらない。

 ふりかえったら、きっと、シノブを見送る男子生徒の悲し気な視線を目にしてしまうだろう。

 気を抜くと、勝手にきびすを返して、彼もとへ走っていってしまいそうになるその脚を、シノブは懸命に押しとどめる。

 シノブは走りだした。

 ほんのわずかな、おだやかだった日々を置き去りにするように。

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