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 俺は立花生花店を出発し、希ちゃんの家に向かった。


「ねぇ……明日香君。立花生花店のおばあさんと知り合いだったの?」


「いや……。コンビニの取引先なんだ。店の場所を聞いたら代官山で、希ちゃんちの近くだったから……」


「そうなんだ。同じ代官山だからかな。ママのことを知っているみたいだったし、私も初めて逢った気がしなかった。すごく優しいおばあさんだったね。お店も可愛くて、また行きたいね」


 希ちゃんは薔薇の花束を胸に抱き、その香りを楽しんでいる。


「そうだね」


 ――ちゃんとあったかな。

 机の抽斗の中に、翔吾からのプレゼント……。


 翔吾が渡せなかったプレゼント。

 母親が手にしてくれたら、きっと翔吾も喜んでくれているはず。


 立花生花店から車で十五分。希ちゃんの家に着くと、エンジン音を聞き、舞さんが玄関先まで出迎えた。


 俺は車から降り、舞さんに挨拶をする。


「こんにちは」


「明日香君こんにちは。どうぞお上がり下さい」


「……いえ、今日はアルバイトがあるのでこのまま帰宅します」


 希ちゃんが花束を舞さんに差し出す。


「ママ! いい香りでしょう。ピンクの薔薇と白い霞草だよ。ラッピングもリボンもピンクなんだよ」


 舞さんは花束を受け取り、その香りを楽しむ。


「まあいい香りね。これはアルフォンスドーテかしら? 希、この花束どうしたの?」


「あのね、明日香君と一緒に代官山にある花屋に行ったの。そのお店のおばあさんがママにプレゼントしてくれたんだよ」


「えっ……? 私にプレゼント? 代金は払わなかったの?」


「うん。おばあさんがママにって。ママの好きな花を選んでくれたんだ。代官山の立花生花店って、ママ、行ったことあるの?」


「立花……生花店……」


 舞さんは驚き、言葉を失った。


「ママ……?」


 花束を抱き締めたまま、溢れ出した涙が舞さんの頬を伝った。


「ママ、どうしたの?」


「……ごめんなさい。おばあさんはお元気だった?」


「うん。すごく優しくて……。不思議なんだ。初めて逢った気がしないくらい懐かしい気持ちになったの。おばあさんがママに『宜しくお伝え下さい』って……」


「そう……お元気だったのね。よかった……。本当によかった……」


「ママ……」


「二十歳の頃にお店に行ったことがあるの。あれから……ずっと行ってないのよ。同じ場所にまだお店があるのね……。ママも……おばさんに逢いたいな。今度……連れて行ってね」


「うん、いいけど……。ママ、大丈夫?」


 舞さんの涙は止めどなく溢れた。

 震える背中が……とても小さく見えた。


 あれから十九年……。

 舞さんも翔吾の家族も哀しみを抱えたまま生きている。

 

 翔吾もまた、事故の罪悪感に苛まれながら……。


 いまでも俺を通じて現世を彷徨い続けているんだ。

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