最終話。死は終わりではなく……
「今さら驚くことはありません。主人がジェルジェに行くと聞いた日から覚悟はしていました。以前に来られた女性の騎士の方からも、主人の生還は絶望的だとお聞きしています」
キュリオ卿の奥方であらせられるソフィアさんは、毅然とした態度で夫の訃報を受け入れた。
「それで、どうなったのですか」
「どうなった、と言われますと……?」
「事件は解決したのかと聞いているのです」
「ええ、そのはずです」
「はず、とは何ですか。きちんと答えてください、ゴートさん」
「落ち着いてください、ソフィアさん」
「私が落ち着いていないとでも?」
ゴート卿はソフィアさんに詰め寄られてしどろもどろになっていた。無理もない、ゴート卿は私の口を通してでしかあの町のことを知らぬのだから。ここは私が助け舟を出さねば。
「事件は解決いたしました。規則のため詳しい内容はお話できませぬが、もう二度とあのような惨劇が起こらぬことを約束いたします」
「では主人はお役に立てたのですか。主人の死は無駄ではなかったのですか」
「無論です。キュリオ卿の奮戦たるや鬼神の如き様相でした。押し寄せる悪魔の尖兵を相手に一歩も退かず勇猛果敢に突き進み、手足をもがれながらも遂には元凶の喉元に辿り着き共に果てました。キュリオ卿の活躍なくして事件解決には至らなかったでしょう」
「そうですか、それは結構です。ところで、あなたはお会いしたことのない方ですね。主人の同僚ですか?」
「…キュリオ卿の後輩であったバリスと申します。キュリオ卿には大変お世話になりました。彼は私の命の恩人であり、騎士として目指すべき目標です」
「あなたもジェルジェに?」
「はい」
「生き残りはあなた方二人だけなのですか。あの隊長さんや女性の騎士の方は?」
「ソル隊長も殉職されました。クレア卿は無事生還し、本来の業務に戻っています」
本当はクレア卿も同行を申し出ていたが、私が丁重に断った。この仕事はラインバルト隊の生き残りである私たちだけでやらなくてはならないと思ったからだ。クレア卿もその方がいいだろうと受け入れてくれた。
彼女は私の命の恩人だ。いつか必ずこの大恩を返さなくてはならない。
それにしても、クレア卿が冒険者だと知った時は驚いたものだ。今回限りの特例ということで一時的に騎士階級を与えられたらしく、今は再び冒険者に戻っている。
「そうですか。あのよく遊びに来てくれた若い隊長さんも亡くなられたのですね……」
ソフィアさんは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げて凛とした表情を取り戻した。
「あなたも痩せていますし、ゴートさんは以前お会いした時よりずっとやつれています。きっと想像もできないほど過酷な環境だったのですね。ご苦労様です」
「い、いえ、私は……」
「お心遣い感謝いたします。つきましてはこちらの書類にサインをお願いします。高額とは言えませんが、来月から遺族年金の受給が開始されます」
「ありがとうございます。……これでよろしいですか」
「確認しました。ではこちらが控えとなります。それとこちらは、私が代筆したもので申し訳ないのですが、キュリオ卿からの遺言書となります」
「主人が? 私に?」
「どうぞ、ご確認ください」
私は鞄からそっと取り出した封筒をソフィアさんに渡した。あの人狼の少女が記憶していたキュリオ卿の遺言を、一字一句違わずに書き起こしたものだ。
「後ほど読ませていただきます。それではお勤めご苦労様です」
ソフィアさんは封筒を受け取るなり、そそくさとドアを閉めようとした。
「あ……」
「他に何か要件があるのですか」
「いえ、ありませんが……」
「では忙しいので失礼させて頂きます。お二人の今後のご健闘をお祈りしています」
ドアがパタンと閉まった。私たちは無言でしばらく立っていたが、やがてゴート卿が口を開いた。
「バリス卿、私たちは疎まれているわけではないんです。ソフィアさんはサバサバした性格で……」
「ゴート卿、耳を」
私は片手を上げてゴート卿の言葉を遮った。遺言書を渡した時、彼女の指の震えを私は見ていたからだ。しばらくそのままに耳をすましていると、やがて家の中から声が聞こえてきた。
「うぅーっ……! うぇぇぇぇぇえええっ! キーくぅん! キーくんっ! 寂しいよぉおおお……!」
私はその声に思わず胸を押さえた。ゴート卿もまた顔をくしゃりと歪め、ハンカチに顔を埋めて涙を押さえた。
「どうしてそんなに頑張っちゃったのぉ……? おかえりって言いたかったよぉぉぉおおお」
盗み聞きなど騎士としてあるまじき行為だとは理解しておる。しかしそれを理由に私はこの声から耳を背けてはならない。私はこの声を決して忘れぬように魂に刻み込まなくてはならぬのだ。これから先、この涙を一つでも多く止めるために。
「バリス卿、すみません……。お見苦しいところを……」
ゴート卿がハンカチで目を拭いながら私に謝罪した。
「亡くなった仲間を偲ぶ涙に見苦しいことなどあるものですか。ゴート卿もキュリオ卿らとは長い付き合いだったのでしょう」
「自分が申し訳ないのです。私は自分だけ安全圏から出ようとせず、肝心な所を人任せにして、それで、それで生き残っておいて、こうして英雄気取りで、のうのうと遺族に顔を見せるなどと……」
「どうか胸を張ってください、ゴート卿。貴方がいなければ私も死んでいました。世界樹を伐採せしめたのは、あなたが寝る間も惜しんで煮詰めた作戦なのです」
「しかし、私はどうしても考えてしまうのです! なぜ貴方が生き残って主人が死んでしまったのかと責められていると! どうしても! 遺族を前にすると感じてしまうのですよ……!」
「私もです、ゴート卿。ですがこれはラインバルト隊最後の仕事として、生き残った私たちが果たさなくてはならない使命です」
「変わられましたね、バリス卿……」
「涙はもう流し尽くしました。後は前に進むだけです。次はビステル卿の娘さんの町ですな。気は重いですが、ぼちぼち向かいましょう。ここから徒歩だと1週間はかかりそうです」
私はゴート卿を促してキュリオ卿の家を後にした。遠巻きに私たちを追ってくる者もまた、私たちについてくるようだ。
キュリオ卿の自宅と孤児院が半日とかからぬ距離にあり、私たちに新しい馬がまだ支給されていなかったことが彼にとっては都合が良かったらしい。
あるいはこれも神の導きか。
「さて、私たちに話があるようですね。聞きましょうか」
「バリス卿? 誰かいるのですか?」
キュリオ卿の自宅から郊外に向けて30分程歩くと小川に突き当たった。開けた場所ではあるが人通りは無いため、ここならば彼も話しやすいであろう。
「ちっ、気づかれちまったか。やっぱり帽子のおじさんに比べたらまだまだだな」
「いいえ、見事な気配の消し方でした。それはウルグン卿から習ったのですか?」
「お世辞を聞くために追ってきたんじゃねえんだよ」
姿を現した追跡者は少年であった。年の頃は15歳前後であろうか。遮蔽物もろくに無いというのに、その歳にしてゴート卿に気づかれないように半日近くも追跡ができるとは、見事としか言いようがない。
「先生と話してるのを聞いたぜ。あんたら、ソル兄ちゃんの部下だったんだってな」
彼はソル卿とウルグン卿が仕送りをしていた孤児院の少年だった。私たちが訪れた時には怪訝な目で遠巻きにこちらを見ているだけであったが、それが今や敵意溢れる眼差しで私を睨んでいる。
「その通りです。ソル卿には「だったらよぉ! なんでソル兄ちゃんと帽子のおじさんが死んで、お前らみたいなガリガリのモヤシ野郎が生き残ってんだよ!」
彼の言葉は私の胸に眠る痛みを呼び起こした。ゴート卿も返す言葉が見つからないとばかりに顔を伏せた。
だが私は決して目を逸らすまい。彼の言葉は受け止めてやらねばならない。
「ソル兄ちゃんと帽子のおじさんはなぁ! 俺たちをクソ野郎から助けてくれたし、毎月毎月たくさんのお金を孤児院に送ってくれたんだぞ! それに、俺も聖骸騎士にしてくれるって約束もしてたんだ! なんでそんな優しい人たちが死んで、どこの誰だか知らないお前らなんかが生き残ってんだよ! お前らが代わりに死ねばよかっただろ!」
少年は自分の気持ちを口にすると感情が昂ってきたのか、後半は怒鳴り声というよりも涙まじりの悲鳴に近かった。
「代わりに死ねばよかった、か。ゴート卿はともかく、私に関しては確かにその通りかもしれませんね」
「はぁ!? 認めんのかよ!?」
「ええ。私をソル卿やウルグン卿と比べると何一つ優っている部分はありません。私などより彼らが生き延びた方が、幸せになれる方は多くいたはずです」
「だったら……だったら!」
「ですが、私もあなたと同じく命を救われた身。ソル卿やここにいるゴート卿だけでなく、大勢の方々の努力に助けられて私の命はここにあります。その方々に報いるためにも、私は私の命を尊重しなくてはなりません」
私は胸に手を当て、懐に忍ばせた写真に想いを馳せる。ジェルジェにてクレア卿の従者ミサキが撮影した仲間たちの最期の写真だ。
誰もかれもが傷付き無残な姿に変わり果てていたが、それでも彼らは皆よい顔をしていた。
己の使命を果たした者の顔、自分の人生を使い切った者の顔だとクレア卿は言っていた。
私は生かされている。ソル卿に、キュリオ卿に、ビステル卿に、ウルグン卿に、そしてユカリさんに。
誰もがもっと生きたかったはずなのに、彼らは世界樹を殺して私を助ける道を選んでくれた。
私は負い目を感じてはならない。私は託された生から逃げてはならない。私は私の生を全身全霊で全うする義務がある。
「ごちゃごちゃとうるっせぇんだよ! わけわかんねえ話しやがって! ソル兄ちゃんみたいな喋り方するんじゃねえよ!」
む。意識していたつもりはなかったのだが…。誰に対しても丁寧な喋り方を心がけると、どうしてもソル卿を参考にせざるを得なかったため、似通ってしまったのだろうか。この分では剣筋もソル卿に影響されているであろうな。
「納得がいきませんか」
「当たり前だろーが! せめて一発殴らせろ!」
「それであなたの気がすむのなら、構いません。拳といわず、どうぞこれを使うといい。殺すつもりでかかってきなさい」
私は剣を抜き、少年の足元に軽く投げた。少年は目を白黒させて私の顔と剣をまじまじと見比べている。
「バリス卿!?」
「心配は無用です、ゴート卿。当然私も抵抗はさせてもらいますから」
「はぁ!? ふざけんな! 抵抗するってことは、逆に俺を殺すつもりかよ! セイトーボーエーってやつか!?」
「いいえ、ただ避けるだけです。あなたが疲れて剣を振れなくなるまで私は避け続けます」
「子供だからってバカにしやがって! 俺がお前みたいなガイコツ野郎より先にへばるわけねーだろ!」
「不安なら目隠しもしましょうか」
「ちっくしょおおおお! もうマジでやってやるからなぁあああ! どうなっても知らねぇぞぉおおお!」
「その意気です。一太刀でも私に剣を掠めることができたら、聖骸騎士団への推薦状も書いてあげましょう。これからはあなたが仕送りをするといい」
「ざっけんな! 今ので殺しにくくなっちまったじゃねーか!」
「おお。素人ではないと見ていましたが、構えが様になっている。体幹もしっかりしているし、面構えもいい。これはいい騎士になれそうですね。どうです、この仕事が終わったらうちに来ませんか。再編成はこれからですので、歓迎します」
「そうやって褒めるのズッリィぞ!」
「さあどこからでもどうぞ、少年」
「少年じゃねえ、アクセルだ! この野郎!」
覚めない悪夢の町、ジェルジェ。
多くの命を飲み込んだ世界樹の災害は、今もこうして遺族の心を傷付け苛んでいる。この傷はこれから先も癒えることはないだろう。
だが、痛みから生まれるものもある。
この少年、アクセルとの出会いがまさにそうだ。彼と私の出会いは決して偶然などではあるまい。痛みが必然を呼び寄せ、私と彼の運命を結び付けた。
私に当てようとする寸前で手を捻り峰打ちを狙ってくる彼の剣を右に左に捌きながら、私はその剣筋にソル卿の影を見ていた。
とはいえソル卿と比べると拙く未熟であったので、私がその度に指摘を入れると、少年は怒りながらも修正しようとしてくれる。
敵意はあっても殺意は無い、愚直なまでに真っ直ぐな剣筋であった。
そうか。私はまだまだ未熟者で育ててもらう側だと思っていたが、こうして育てる側に回ることもできるのだな。
無能で役立たずであった私をなぜあれほどソル卿が気にかけてくれていたのか、今頃になってようやくわかった。自分の生きた証が次の世代に繋がるとは、なんと素晴らしいことであろうか。
生物的な意味での死は、死であって死ではないのだ。
今もこうしてソル卿の剣もウルグン卿の技も受け継ぐ者がいて、私や彼の中に騎士たちは生きている。
生とは、受け継ぐことができるものであったか。血の繋がりの無い、どこかの誰かにも渡すことができるものであったか。
生きるとは、なんと素晴らしきことであろう。
見上げれば、青く澄み渡る空には眩いばかりの太陽。真っ白い雲々は形を変えながら吹かれゆき、ヒバリの声が風に乗ってどこか遠くから聞こえてくる。
止まっていた私の時間にも新たな風が吹き、こうして流れていくのだ。
目覚めの日から1ヶ月が経った。
私は今も聖骸騎士を続けている。
完
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