疫病神と嫌われた無能力の女冒険者、神さえ見捨てた絶望的な現場にやって来ては、チート能力持ちの英雄も怪物も全員ズタボロにして帰る。(旧題・たとえ神に選ばれなくても)
第26話。その情けない姿がちょっとだけ美しかったから
第26話。その情けない姿がちょっとだけ美しかったから
愛とか正義とか、誇りとか尊厳とか。
そういった美しい輝きを放つものは、この地獄では無残に踏み躙られるために存在していた。人知を超越した絶対的な力の前にそんなものは無力で、何の奇跡も起こせはしない。
はず、なのに。
星の雨が降る。
最初の一撃でバリス卿の頭が砕け散った。頭の中身が撒き散らされて髪の毛の生えた肉片が四散する。星は背後の民家に激突し、爆音を立てて倒壊せしめた。
バリス卿の首から上には下顎だけが残り、カタカタと震えている。
続く数発で胴体も同じ運命を辿った。星が一つ通り過ぎる度にバリス卿の体が大きく削がれて肉片が飛び散り血煙の花が咲く。バリス卿を貫通した星の着弾地点は派手に弾けて土煙が吹き荒れる。
そして異変は起こっていた。
その後に流星がどれだけ降り注いでも肉片は同じ量だけ飛散し続け、一向に減る気配がない。
いや、それどころか流星に咲く血肉の花とソルの距離が縮まり始めた。前進しているんだ。あの破壊の暴風の中を、あの臆病者のバリス卿が。痛みに耐えながら。
「なに、これ」
持ち上がったバリス卿の膝に流星が命中し、膝から下を抉り飛ばした。宙を舞う足は後続の流星に打たれて肉片に変わり飛散する。……そして何事も無かったかのようにバリス卿は足を踏み下ろして大地を踏みしめた。
その繰り返しでバリス卿は一歩ずつ前に進んでいる。
再生とか回復と呼ぶにはあまりにも馬鹿げた光景を前に、私は呆然とするしかなかった。
「……!」
ソルの星空が一際大きく広がって、これまでで最大の大きさの流星を呼び寄せた。直径3mほどの焼けた巨石がバリス卿を押し潰し大地を震わせる。衝撃と爆風で周囲の民家がバラバラに吹き飛び、同時に押し寄せる煙と粉塵で視界が遮られていく。
迫り来る爆風の中でクレア卿たちが耳を塞いで素早く伏せる姿が一瞬だけ見えたが、すぐ爆煙に飲み込まれた。
きっと彼女たちは無事だろう。この程度であのクレア卿が死ぬはずが無い。私は視線を騎士たちに戻した。
もうもうと煙が立ち込める。
その破壊の中心部から一陣の風が吹いた。風に流されて粉塵が薄まり、赤熱する巨大な岩石にソルがバリス卿を剣で縫い止めている姿がうっすらと見えてきた。剣先はバリス卿の心臓を貫いてなお深く岩石に刺し込まれている。
甲冑ごと岩石に密着しているバリス卿の背中は熱で灼け爛れ、沸騰した肉汁と悪臭が甲冑の隙間から漏れ出ていた。
いくら不死身でも痛みは感じるはずだ。これは耐えられないだろう。
「う、おおおおおおおおおおおっ!!」
けれどもバリス卿は吠えた。泣くでも謝るでもなく、雄叫びを上げて自らの胸を貫く刃を左手で握る。刃が肉に食い込み血が溢れた。
そして握り固めた右の拳でソルを殴る、殴る、殴る。一撃ごとに骨が皮膚を突き破って飛び出す程に強く、強く、殴る。殴り続ける。
ソルは傷こそ負わないものの、連続して与えられる衝撃で密着体勢が崩れた。すかさずバリス卿は空いた隙間に足を折り曲げて入れ、膝を伸ばす要領で力任せにソルを引き剥がし始めた。
抵抗するソルとバリス卿の距離がジリジリと開くにつれて、ソルの肘が少しずつ伸びていく。そうか。バリス卿はソルの剣を奪うつもりなんだ。
「……!」
ソルは剣の強奪を阻止するべく異星への扉を開いた。冷たく輝く白い雨が二人の騎士を飲み込む。雨を浴びた大地が一瞬で凍りつき、氷が放射状に広がっていく。
いくらバリス卿でも凍ってしまえば何もできないだろう。
「……! ……!」
しかし、凍てつく雨の向こうで剣を振い続けるソルのシルエットが朧げに見える。あり得ない。人間の体なんてすぐ凍りつくに決まっているのに、一体ソルは何と戦っているのだろう。
「……!」
ソルが背中から飛び出してきた。纏う冷気が白い帯を引いてたなびく。バランスを崩してソルが膝をつく。
ソルの前には白い雨の中から突き出された足があった。真っ白に凍りついていてピクリとも動かないはずの足がソルを蹴り飛ばしていた。
ソルが雨を止めた。
「……」
またしても私は呆然とするしかなかった。極寒地獄の向こうでは、氷像と化したバリス卿が何体も何体も一繋がりに重なり合って屹立していた。その足元にはソルに砕かれたと思わしき氷像の五体が大量に散乱している。
わけがわからない。凍りつきながら動いていた? 凍った部分を残したまま新しい体を再生し続けた? 何が起きたらこんなことになるの? この再生能力は何?
「おっ、うおおおおおおおおっ!」
端の氷像が砕け、中から飛び出してきたバリス卿がソルに荒々しく剣を叩きつけた。すかさずソルは迎撃に移る。
そして互いに打ち合うこと五、六合。剣の腕ではソルが圧倒的に上だったが、ソルは剣を奪われれば負けなのだ。切った次の瞬間には切断面が繋がっているような化け物が相手では分が悪そうだった。
……化け物、化け物か。おぞましい姿をした化け物なんてこの町で飽きるくらいに見てきたし、人知を超えた超常の力だって世界樹を筆頭に散々見てきた。
だから気づけなかった。この地獄で一番の化け物が人間の姿をしていたことに。
ソルが闇の球体を呼び寄せた。バリス卿も撒き散らされた血肉もバリス卿が再生する可能性があるものは一切合切が吸い込まれて、バリス卿は血の一滴も残さずにこの世から消え去った。
ー不死身の敵と戦って勝てる者がいるものか。
そして暗黒の世界からやや離れた場所で当たり前のように復活したバリス卿の姿を見て、かつてバリス卿自身が言っていた言葉が脳裏に蘇った。
ソルが青い雷へと座標を移す。
「あああああーっ!」
雷がバリス卿を消し炭に変えた。原形どころか骨さえ残らない塵になって吹きすさぶ。それでも宙に舞う灰を切り裂いて剣が振り下ろされた。ソルが避け、反撃の膝蹴りをバリス卿の腹に叩き込む。バリス卿の顔が苦痛に歪む。そして雷。バリス卿はまた消し炭になった。それでも再び剣を振るいソルに挑む。何度でも、何度でも。ソルの側で再生を繰り返す。
「これからは! これからはっ!」
真っ直ぐなだけの剣筋がソルに届くはずはないし、届いてもソルには傷一つつけられない。敵を前に情を断ち切れずにみっともなく泣き喚くバリス卿はやっぱりバリス卿で、お世辞にも格好が良いとはとても言えなかった。
「これからは私が! 人民を守るのだ! 」
それにバリス卿への文句はたくさんある。敵の時だけ頑張るんだ。今まで何もしなかったくせに。不死身だとわかった途端に強気になるんだ。ただ運が良かっただけで、都合のいい奇跡が味方してくれただけのくせに。
「どのような悪鬼羅刹にも勇猛果敢に立ち向かい! 武力と知力の限りを尽くして! 人の世を守らなくてはならぬのだ! ソル卿のように! 先輩方のように!」
けれど、なぜだろう。
不器用に剣一本を振り回してソルと必死に戦うその姿を見ていると、何も言う気が起きなくなってきた。
「それが! それが! 私の義務であり償いであり! 唯一無二の恩返しである!」
泣きながらバリス卿はがむしゃらに剣を振るい続ける。けれども力量差は明確で、ソルはバリス卿の剣を避け、受け止め、いなし、防ぐ。力任せに振るわれるだけのバリス卿の剣は全くソルに届かない。
「だから! だからっ! 私は生きねばならぬのだ! 我が剣にて恩人を討ち! 屍山血河を踏み越えて! 何が何でも生き抜かなければならぬのだぁあああ!!」
そして、浅ましいほどに生を望むその姿に、私は共感を覚えた。
私だって、許されるならもっと生きたかった。生きて、しっかりとした人生の目標を持って、生きて、生きて……生きたかった。
私は頷いた。
「そう。わかった」
だから、ソルにこう頼むことにした。
「ソル、バリス卿のその覚悟が本物かどうか試して。もっと徹底的に痛め付けて全力で叩き伏せて。ここで心が折れる人なんかに、どうせ騎士なんて務まらないから」
仕方ない。生きたいという私の願いを叶えてはいけないのなら、バリス卿に譲ろう。あんなに生きたがっているのだから。その気持ちは私もわかる。
でもタダでは嫌だ。私と同じかそれ以上の地獄を見て、それでもまだ生きて騎士を続けたいと言えることが条件だ。それをソルに確かめてもらう。
ソルが振り返って私を見た。
絶え間ない死の痛みに私の顔は引きつっていたけれど、私はそれでも無理やり笑顔を作る。これがソルに見せる最後の顔になるかもしれないから。
「後輩の育成も騎士の大切なお仕事でしょう? だったらちゃんと務めを果たさないと。ソルは世界一の騎士なんだから」
ソルは頷けないので、ペコリと軽くお辞儀をした。バリス卿は珍しく空気を読んで攻撃の手を休めている。
やるべきことを。落としどころを。望ましい結末を。今、ようやくはっきりと見つけた。思い出した。
そうだ。自分の感情のままに暴れている場合じゃない。私はなぜあんなにクレア卿に固執してしまったのだろう。
それよりも私にはどうしてもやらないといけないことがあって……気づけばそれも、もう成就しかけているというのに。
「大丈夫、もう私はソルから大事なものをたくさんもらったから。一人でも最後までちゃんとやれる、戦える。私だって、守ってもらうばかりのお姫様じゃないから。だから最後まで騎士の務めを果たして」
ソルが再度お辞儀をするとバリス卿に向き直り、剣を構えた。もう二度と振り返ることはないだろう。ソルにはソルのやらなければならないことがある。
「今までありがとう。さようなら……ソル」
もう私はソルに甘えない。ソルは今までずっと私に尽くしてくれていた。だから今度は私がソルのために何かをしてあげる番だ。私は彼の足枷にはなりたくない。
この結末ならきっとソルは喜んでくれる。私も騎士たちに負けないように最善を尽くして、残された時間を精一杯使い切ろう。
それがきっと、生きるということだ。
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