第34話 抜け落ちた霊視①
体力の衰えた克明さんを二人で抱えても、魔物と化した悪霊に追われながら走るのは相当な体力が必要だ。
幽体なのにも関わらず、息が切れる。
千鶴子は達郎の霊に阻まれながらも、ホラー映画のゾンビがまるで、逆再生するように『千鶴子』の形になっていく。
「はぁっ、健、正面玄関だよ!」
「はぁっ、助かったっ、克明さん、もうすぐ助かりますよ!」
僕はばぁちゃんの言葉に、希望の光が見えたような気がして、顔を輝かせた。克明さんは呼吸を乱しながらも、その表情はどこか浮かない顔をしている。
まだ千鶴子に魅了されているのか、それともこの館から出られないのでは、と言う恐怖が克明さんを支配しているのだろうか。
背後から僕たちを追うように、怒号が聞こえ、炎が燃え盛るような音がする。
肩越しに振り返ると、まるで蛇のように炎がうねって天井まで渦巻き、般若の顔をした千鶴子が髪を振り乱して四つん這いで追い掛けてきていた。
僕達は走るスピードをあげて、玄関の扉までくると僕とばぁちゃんは必死に扉を開けようとした。
「あ、開かないっ……!」
「しつこい女だね! 何時までもふられた男に執着してみっともない!」
ばぁちゃんはついにブチ切れると、くるりと振り返って暴言を吐いた。もはや恐怖よりも怒りのほうが湧いてきてしまうのだろう。
だが、もちろんそれは千鶴子の神経を逆なでするような結果となった。獣のように咆哮をあげて顔を歪ませる彼女と向き合うと、僕はもう一度龍神真言の印を両手で組み、呪文を唱えた。
「千鶴子さん、もういい加減観念して罪を償ってくれ……! オンメイキャシャニエイソワカ」
その瞬間僕の体から白い龍がとぐろを巻いて出てくる。瞳が赤くなって千鶴子を飲み込もうとして瞬間、誰かの手が僕の肩に触れ、僕の背後から龍と交じるように、浅野清史郎の霊が現れた。
この館で殺されたわけでもないのに、彼の魂は扉を開けてこの館に戻ってきた。
そして、彼女に向って龍と共に放たれる。
龍神が呼んだのか、それとも彼自身の意思なのだろうかそれはわからないが、清史郎の姿を見るやいなや、千鶴子の表情はみるみる人間のものへと変って、一人の女性として泣き始めていた。
「清史郎……さん……」
『千鶴子さん、もう終わりにしよう。僕の描いた絵が君をずっと縛り付けていたんだ。慰霊の為に描いたつもりなのに、愛憎も狂気も惨劇も永遠にこの絵の中に閉じ込められて、繰り返す事になった』
清史郎さんの表情は、贖罪とまるで罪人を諭すようだった。
千鶴子はまるで憑き物が落ちたように頷き、差し出された清史郎の手を取る。
生前、生贄を捧げるたびに狂気に蝕まれた彼女も、死んでから愛を求めて精神を病み魔物と化した彼女も、心のどこかでこの惨劇が終わる事を望んでいたのかも知れない。
皮肉なことに、死んでからこうして悪魔の願いが叶っている。
『僕も君を殺した罪は償う。君も沢山の人を殺した罪を償うんだ。もし僕たちに来世があるなら――――別の形で巡り合おう』
その瞬間、二人は地獄の業火に焼かれるように炎に包まれた。
その願いがかなうことがあるのかはわからないが、これが本当の幕引きだと僕は思った。
崩れ始めた館から、慌てて克明さんとばぁちゃんと共に脱出する。館は炎に包まれ、キャンパスに描かれた青空の空はまるで
「ま、まだ、絵の世界なの!? どうなってるんだ」
「こ、この絵画から出られないのか!? もしかして俺達も一緒に焼かれるんじゃ……」
「落ち着きなさい、清史郎さんが来たって事は何処かに抜ける場所があるのさ!」
千鶴子が消えた瞬間、正気を取り戻したかのように克明さんが青ざめる。館から出られたのに、この絵画から出られないなんてそんなホラー映画みたいなオチ、冗談じゃない。
その瞬間、後方から眩しい光が差し込んできた。僕たちが一斉に振り返ると、まるでトンネルのような光の中でセーラー服の少女がたたずんでいた。
僕は、懐かしい感覚に襲われて胸が痛くなった。
――――お兄ちゃん、健ちゃん。
――――こっちだよ。
「香織ちゃん……?」
「香織、香織なのか? 俺を助けてくれるのか……俺があの日お前をいつものように迎えにいってやってたら、あんな事はならなかった。すまない、本当に……すまない」
克明さんは泣き崩れた。
死後、初めて義妹の姿を見たのだろう。
香織ちゃんは、生前と同じく優しい笑みを浮かべて僕達を見ていた。幼い時に見た彼女と変わらない様子に、僕は無意識に涙を流していた。
――――お兄ちゃんのせいじゃないよ。
――――もう、私の事を悔やまないで。私はもう大丈夫だから。
差し伸べられた手を、克明さんは涙ながらに取ると、光のトンネルの中に吸い込まれていった。
そしてその後にばぁちゃんが続き、僕の番になって彼女の手をゆっくりと握った。
「香織お姉ちゃん、ずっと忘れててごめんね」
――――健ちゃん、お兄ちゃんを助けてくれてありがとう。
――――でも、思い出して。
香織ちゃんの背丈をとうに追い越した僕の手を握った彼女は、礼を言うと真剣な眼差しで僕を見つめた。
「どう言うこと……?」
――――急いで、もう時間がないの。
――――あの日、健ちゃんは視たでしょ、思い出して。
なんの事だかわからない。
だが、彼女の両手が僕の手を握り光の中に入った瞬間、時が走馬灯のように過去に戻っていく。
目を開けると、僕の視界は体が縮んだように低くなり、喪服姿の母さんに手を握られて、香織ちゃんの遺影の前に立っていた。
学生服を来た彼女のクラスメイト達や教員があちらこちらですすり泣いている。
『健、香織お姉ちゃんと最後のお別れの挨拶をしようね』
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