第29話 青春
「遠藤君、CDを借りるのは、実は口実だったんですよ~」
このような状況になればそれは嫌でも察する。さすがに鈍い俺でも分かる。だからそれはつまりCDを貸して、早く帰らせようという俺の作戦が通じないということだ。
「遠藤君と2人きりになれることなんてないですからね~。この時間をしっかり楽しんで帰ります~」
「あの、楽しむってどういう……」
「うふふ、そんな野暮なこと聞いちゃいます~?」
そう言って、体を摺り寄せてくるカスミさん。いつの間にか、俺らはベッドの上にいたのだ。しかし、この状況はまずい。かなりまずい。下手をしたら、俺の貞操が奪われかねない。幾ら鈍い俺でも分かる。カスミさんが、こんなに肉食系だったとは……いや、本来喜ぶべきところなのだが、俺には紗奈さんがいる。心に誓った人がいる。その人を裏切るわけにはいかない。
「カスミさん、カスミさんの気持ちは嬉しいけど、俺……」
「うふふふ、言ったでしょ~。後塵を拝した者は、押せ押せでいくしかないんですよ~。遠藤君の気持ち、私がいただきます!」
そういうカスミさんは、今にも飛びかかってきそうだ。でも、と俺は手で制止する。
「でも、俺心に決めた人もいるし。その人を裏切れないよ」
「大丈夫ですよ~。最初は無理やりでも、段々心変わりしてきますから~」
無茶な理屈を並べて、俺にすり寄ってくるカスミさん。一瞬理性が飛びそうになるが、紗奈さんの顔を思い浮かべて我慢した。
「さ、遠藤君、いや、和人、お姉さんに体を預けて下さいな」
「カスミさん……」
カスミさんは本気だ。ここまで付き合ってきた印象だが、カスミさんは意外に大人で、周りのことをよく見ている。どちらかと言うと、周りに気を使って生きてきた印象だ。そのカスミさんが、自分の意志で行動している。周りのためを思うならば、ここで俺を襲うなんてことは絶対にしないはずだ。それが分からないカスミさんでもない。しかし、そうであってもここで俺を物にしたいということは、相当の決意があったのかもしれない。その決意に応えるのは生半な返事じゃだめだ。
「カスミさん!」
俺はカスミさんの肩を掴み、じっとその顔を見つめる。目が少しうるんで顔も紅潮している。
「カスミさん、俺はカスミさんのことが好きだ。大好きだよ。だからこそ、ここでカスミさんに体を預ける訳にはいかない。だって、そしたら、俺はカスミさんのことが嫌いになってしまうかもしれないから。俺は、皆の中にいるカスミさんが好きだ。時に皆を和ませたり、時に鋭い意見を言ったりするカスミさんを見てきた。だから、今の気持ちや行動も良く考えてのことだと思う。だから俺も本気で応えるよ。カスミさん、俺をもっともっとカスミさんのこと、好きにさせて。俺の気持ちが変わるくらい。今は正直紗奈さんの顔が焼き付いて離れない。だから、カスミさんに体を預けることはことはできない。だから、これから、バンドをやって行って、もっともっとカスミさんのことが好きになったら、その時は紗奈さんには悪いけど、カスミさんの方に行くよ。だから、もっともっとカスミさんを好きにさせてよ。今、こんな形じゃなくて」
「……遠藤君」
俺はカスミさんから手を離す。そして横に座りなおす。
「もっと言うとね。俺はこのバンドで皆を幸せにしたい。それは聞く人だけじゃなく、演奏する俺らも幸せになりたいってこと。誰かが幸せになって、誰かが不幸になるような構図はこのバンドにはふさわしくない。今、俺がカスミさんに走ってしまったら、確実に紗奈さんを傷つけてしまう。そうじゃなくて、きちんと紗奈さんも納得する位、俺がカスミさんを好きになれれば、きっと紗奈さんも許してくれる。だから、皆の幸せを目指そう。これからも一緒に笑ってバンドやって行こう」
「……もう、しょうがないですね~遠藤君は。どこまでかっこいいんですか~」
そういうとカスミさんは、俺の方に向き直る。
「分かりました遠藤君。きっと遠藤君のハートを打ち抜くようなキーボードを弾いて見せます。そしたら、続きをしましょう。今はこれでやめときます」
そう言って、カスミさんは俺のおでこにキスをした。内心かなりビビった。
「じゃあ、早速CDを貸して下さい。きちんと、遠藤君のギターを生かすようなキーボードを弾けるように勉強しますから~」
俺は多少狼狽しながらも、何とか理性を保つことができた。
「う、うん、分かった。ちょっと待っててください」
俺は棚から、ハイロウズのCDを出してカスミさんに渡した。
「最後のアルバムは白井さんが抜けた後に出したやつだから、参考にならないかもしれないけど、一応貸しときますね。……これを返してくれる日、もし俺の気持ちが変わっていたら、俺はカスミさんを受け入れますから……」
「もう、嬉しいこと言ってくれますね~。お姉ちゃん頑張っちゃうから~」
「今日のことは誰にも言いません。勿論、カスミさんの俺に対する気持ちも。だから、安心して部室に来て下さい。また皆でわいわいやりましょう」
「まったく、大人なんだから~。でも次に練習するときはレベルアップしたカスミを見せますからね~。覚悟しておいてください」
「ははは、楽しみしてますよ」
そう言って、一連の騒動は終わった。カスミさんはCDを受け取ると、大事そうにカバンにしまい、帰って行った。送りますと申し出たけど、断られてしまった。遅い時間だったから心配になったが、どうやら、家の人が迎えに来てくれるらしい。勿論この家の前までじゃないが、この辺は明るいから大丈夫だろう。カスミさんを玄関まで見送る。
「じゃあ、また学校で」
「……遠藤君、私は諦めが悪いですからね~。良く覚えておいてください」
嬉しいような、怖いような……とにかく、カスミさんは帰って行った。俺のおでこにちょっとした感触を残しながら。
カスミさんが帰って一息つく。
「ふう」
そして、カスミさんに言った一連の言葉を思い出して、急に恥ずかしくなり、布団をかぶって叫んでその場全力ダッシュをしてしまった。
カスミさん、多分凄い研究してくるだろうなー。俺も負けないように練習しないと。するとLINEの着信音が鳴った。紗奈さんからだ。
どうしたんだろう。内容は「電話掛けていい?」の一言だ。勿論いいが、ここは少し気持ちを落ち着かせて……よし。
カスミさんの面影を振り払った俺は紗奈さんに電話をしてみることにした。
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