白き聖女、悪魔と共に旅をする

イカナ

抜け出しますの!

 朝の4時。


 いつも通りに目覚めたブランシェは、しかし期待と不安で気持ちが落ち着かなかった。


 何故なら、今日は16の誕生日。このへーリオス聖王国の第二王女であり、この世でただ1人の神と同じ白銀の輝く髪と両目を持つ『白き聖女』である彼女を祝う為に国中がお祭り騒ぎとなり、そして城内には様々な国から使者が来ているから。


 そしてもう1つ、誰にも言えない秘密の計画……初めて城を抜け出して町を楽しむ計画を、今日、実行に移そうと考えているから。


 けれど今は、日常の務めを果たさなければならない。


 だからブランシェは修道服を着て、部屋を出る。夜中見張りをしてくれていた門番達の敬礼に軽く挨拶をして、既に控えていた護衛の兵士を引き連れて……彼女は朝の祈りの為に王室礼拝堂へと向かう。


 高まる期待を胸に抱いて…………。


        ★


 そうして午前中の民衆に向けての祝賀会は夕方前に一度終わり、今は夜のパーティーへの準備に向けてのひと休みの時間。


 ブランシェは、この時を今か今かと待っていた。


 そう……警備が甘いであろう、この時を。


 だからとても疲れていたけれどドレスから修道服に着替え、スカーフを隠し持って部屋を出た。


「どうされましたか?」

「れ、礼拝堂で神に感謝の祈りを、と思いまして……」


 若干上ずってしまった声に疑われるかと不安になるものの、兵士は特に訝しむ事もなく付いてくる。


(大丈夫よブランシェ。沢山考えたのだもの、絶対にやり遂げてみせるわ!)


 何度も自分を心の中で鼓舞しながら一階にある王室礼拝堂に行き、そして計画通りの言葉を発した。


「あ、わ、わたくし、花を摘みに行きたくなってきたわ!」


 用足しなんて普段は言わずに行っている事だけれど、目的だけに気を取られている緊張の彼女は気付かない。ただ兵士も、深く考えていないのかトイレの入り口で止まってくれた。


 それでようやく一人になれたブランシェは一度深く息を吸って、トイレの奥にある窓を開ける。外を見回すと……誰も居ない。だからホッと一瞬息をついてから足を掛けて、そして思い切って外に飛び出す。


 シャリと砂を踏む音がしてドキリとして辺りを見回す。だけれど幸運な事に、見回りの兵士は居なかった。


 だから急いでスカーフを頭から被り、少し先の林の中へ。


 何度か散歩と称して下見した林を通ると……その先にはブランシェが祈りに使う王室礼拝堂とは別の、本日のみ民衆用に開け放たれている城の礼拝堂と沢山の人の列。


(あれね。あの帰ろうとしている列に紛れ込めば、わたくしは外に出られるわ!)


 ブランシェは早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、そろりそろりと列に入ろうと……


「何してるっ!」

「ひうっ!」


 驚くブランシェに、兵士が一人近付いてきた。


 気付かれてしまった、そう冷や汗が垂れるけれど兵士は別の言葉を口にした。


「そこは一般人立入禁止です。修道女だからとて、例外はありません。速やかに列に戻って下さい」

「え?」

「ほら、早くお戻り下さい!」

「は、はいっ!」


 ブランシェは慌てて礼拝堂から去る人の列に加わり…………そしてそのまま城を出た。


        ★ 


(や……やりましたわ! わたくし、とうとう一人で外に出られましたわ!!)


 城下町の商店街で、ブランシェは涙が出そうになった。


 この髪と目の色、そして王族という立場のせいで、生まれてからこれまで一度たりとも一人きりで行動させて貰えず、またこの首都・トエロの外どころか公務以外での城下ですら許されていない生活。だから公務の移動中の馬車の中で見た、楽しそうに遊ぶ子供達の姿を羨ましく思っていたのだ。


 その為、見るのも聞くのも新鮮なブランシェにはこの祝賀ムードの雰囲気がキラキラ輝いて見えて、無意識に小躍りしそうな足の軽さで町中を歩く。


 するとふと目に止まった屋台と、そこで客寄せする年配の女の声。


 全ての事に興味津々のブランシェ。だから引き寄せられる様に近付き、見ると……。


(まぁ、飴細工。なんて可愛らしいのでしょう! しかも目の前で切ってるわ!)


 パーティー等でたまに飾られている大きな飴細工は知っているものの、こんなに小さいのも作る過程を見るのもブランシェには初めてだった。だから飴を切っている男の手先を食い入る様に見ていると、客寄せしていた女が話し掛けてきた。


「そこの修道女さん、見るのは初めてかい?」

「え? あ、はい!」


 声を掛けられると思っていなかったブランシェが思わず振り向くと、女の目が見開くのが見えた。


「あれまぁ……修道女さんの両目、とても綺麗な……………………ブランシェ様?」


 女がポツリと呟いた瞬間、周りのざわめき。


 それでブランシェは、スカーフ程度では自分の髪と目が十分に隠せていないのだと気付いた。


 けれどもう遅い。


「何なに? ブランシェ様?」

「嘘だぁ、こんな所に居る訳ないでしょ!」

「ブランシェ様だって!? 本当か!?」


 大きくなるざわめき。どんどん増えていく人垣。それで慌てて目を隠そうとしたけれど、誰かがそのショールを引っ張ってきた。


 晒されるブランシェの素顔に、感嘆の声や両膝を地に付けて祈りだす人達。


(どうしましょうどうしましょうどうしましょう)


 街の人間に見つかった時の事を考えていなかったブランシェは、ただただ混乱してしまう。


 そんな時……


「ちょっと! どいてどいて!」


 人垣を割って、少年がブランシェの前に来た。


 濃い茶色の髪と明るい茶色の目の……おそらくブランシェと同年代だろう少年は、普通にしていれば愛嬌がありそうな目を吊り上げ、怒った顔でブランシェに詰め寄ってきた。


「ほら! だから駄目だって言ったじゃん!」

(何!? 何ですの!?)


 突然の少年の登場に大混乱で固まるブランシェ。だけれど混乱しているのは周りの人間も同じで、怒りに変わったらしい一人の男が少年の肩を掴んだ。


「おい! お前、何様のつもりだ! この御方を誰だと思っている!」

「アンタこそ、何勘違いしてんだよ。こんな所に聖女様が居るはず無いだろ!」

「現に居るだろうが!」

「だから聖女様じゃ無いっていってるじゃん! これは今日やる予定だった手品の道具なの!」


 少年の言葉に、周りから訝しむ声が聞こえる。しかし少年は、ブランシェを見ながら不満たらたらに言う。


「まったく……せっかくここ一番の所で出そうと思ったのに……。シロのせいで台無しじゃないか!」

「ねぇアンタ……その方はブランシェ様じゃないのかい?」


 客寄せしていた女が恐る恐る聞くと、少年は自信満々に答えた。


「そうだよ。僕達は大道芸人。この顔はネタの1つでやるつもりだったんだ。なのにシロが皆を驚かせたいとか馬鹿な事言うから……」

「それ…………本当かい?」


 それを聞いた少年は大袈裟に頭を掻きながら溜め息を付き……それから芝居がかった口調で周りに宣言した。


「では皆様、今から僕がこの聖女様が本人で無い事を証明致します! もしも上手く出来たら、皆様の寛大なる慈悲と、僅かでも良いので僕達の生活の糧をどうか下さいますよう、お願い致します」


 そして深く一礼した少年は、未だ固まるブランシェに向かって少し怒り口調で言う。


「さ、早くそのショール貸して」

「え? あ、はい」


 混乱で思わず渡してしまったショールを少年はサッとブランシェの頭に被せ……そして彼女に謎の腕輪を嵌めた。


「さあ! 今から魔法の言葉を掛けます!」


(いけない! 彼は人違いをしているのだわ! わたくしはシロという方ではなく、ブランシェ本人なのに。だけれどこの状況……わたくしが外に出たばかりに……こんな…………)


「シロよ、元の姿になーれ!」


 瞬間ショールが剥がされ、恐怖に駆られたブランシェは目を強く瞑った。


 けれど耳から聞こえてきたのは、感嘆の声と拍手。それで恐る恐る目を開けると、周り全員が普段ブランシェを見るような尊敬の眼差しではなく、驚いている表情だった。


「あれまぁ……本当に変わっちまった。一体どんな種なんだい?」

「それ言ったら手品にならないよ」


 客寄せの女と少年の会話で、ブランシェにも本当に自分の姿が変わったのだろう予想はついたのだけれど……


(どういう事なのでしょう? カツラでは無い様ですし……なら魔法? でも見た目を変える魔法なんて存在しないし、なにより詠唱も無かった。いえ……そういえば先程付けられた腕輪、もしこれが神具なら、確かに詠唱は要らない筈だけれど……)


 そう腕輪を見ようとした瞬間、少年が腕輪ごとブランシェの腕を掴んだ。


「ほらシロ、騒がせた謝罪しないと!」

「え!?」


 ブランシェが少年を見ると、少年は小さく首を振る。


(やっぱりこの腕輪が手品の種! でも神具は大司教以上の人間にしか持てないし……)


 それで少年が得体の知れないものに変わるけれど、今少年の機嫌を損ねると自分がブランシェ本人だと暴き出されてしまうかも知れない。


(本当に……どうしましょう)


 困り果てたブランシェに、少年が再度促す。


「ほらシロ! 謝罪!」

「え? あ、その……申し訳、ございませんでした」


 その怯え顔に怒られて泣きそうだと勘違いした人々が慰めを掛けたりしながら少年の出した袋にお金を落として……そして去っていった。


 ブランシェは、もはや自分がどうすれば良いのか分からなくなってきた。けれど同時に、行き交う人々誰もが自分を見ても敬意を払わずポンポンため口を言う状況がとても新鮮で、今までに無い不思議な気持ちが溢れた。


「はいこれ」


 後ろから少年が声を掛けてきて、振り向くとその手には飴細工。


 意味が分からず首を傾げるブランシェに、客寄せの女が笑って言う。


「イタズラは感心しないけどね、随分反省してるようだし私達も楽しませて貰ったから、それで元気を出しな」


 それで恐る恐る少年から飴細工を受け取ると、少年は客寄せの女に深く謝罪をして、そして「行こうか」とブランシェを促す。しかし……


(このまま付いて行って大丈夫なのかしら?)


 謎の神具を持つ少年は、あきらかにブランシェをブランシェだと分かった上で助けてきた。


『危険を感じたら、すぐに近くの兵士達の所に行きなさい。世の中には誘拐犯や過激派といった人間も多く居るからな』


 ブランシェの父……へーリオス国王の言葉が思い出させる。


 けれど今この少年から離れたら、腕輪を外されてしまうかも知れない。それにこの腕輪をしている内は、街を堂々と街中を見られるかも知れない。


 恐怖と不安と期待が、ブランシェの心を掻き乱す。


 それで少しだけ悩んだブランシェは……しかし覚悟を決めて少年の後に付いていく事にした。


 それが人生の最大の分岐点だと知らずに……。

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