魔女のいる暗くて濃い森

【1】

 この森は「魔女のいる暗くて濃い森」と呼ばれているらしい。

 そう教えてくれたのは、昨晩近くの田舎村のパブで意気投合した、風体も臭いも怪しいだった老人だ。

 老人の話では、魔女のいる暗くて濃い森(以下魔女森)は昔から野草やキノコが豊富に取れる場所として重宝されていた。そして或る日──いわゆる魔王災害が始まった日──突然森の深部に見たことのない花が現れた。

 それは茎から花びらまで全てが影のように黒く、おとぎ話に出てくる魔女が着るローブのように見えることからそのまま『魔女』と呼ばれるようになった。

 魔女は常に薄い白霧と甘ったるい香りを放出していて、その霧を吸うと幻覚が見えるようになる。

 幻覚は人によってさまざまで、妙齢な美女であれば3mを超える巨大な熊であることもある。

 魔女は魔王災害が収まってからも森の中で咲き続けているらしい。なぜそのようなモノがそのままなのか。

 王国は動かないのかと聞いたところ、街からも離れているこの町では幻覚症状を見にいくのが娯楽の一つとなっているので、王国には伝えてないようにしていると。

 なんじゃそりゃ。

 わたしは喉まで出かかった言葉を薄いビールで飲みこんだ。

 その後も、素朴だが優しい味の料理を楽しみながら老人や村人と酔っ払いの会話を続けた。

 夜も更けたころ、老人は亡くなった妻を見たくてたびたび魔女に会いに行っているとしんみりとした態度で語っていたかとおもうと、おもむろに傷まみれのウッドテーブルに突っ伏して小さないびきをかき始めた。

 木こり風の男性が「俺が小さいころからその爺さんのことは知ってるけど、嫁がいたことはないぜ」と言った。また「ま、魔女の話は本当だけどな。この村だけの話で頼むぜ旅人さん」とも言い、コインを数枚テーブルに置いて帰っていった。

 わたしは残ったビールを時間をかけて飲み干してから、自分と老人の分の酒代をテーブルに置いて宿屋へ向かった。

 そして今、わたしは暇つぶし兼幻覚見たさに魔女森の深部へと足を踏み入れていたのだった。


【2】

 魔女森深部は日光がわずかにしか差し込まないおかげで暗く、ひんやりとジメジメが共存していた。

 どこかで鳥が鳴いている。暗い森独特の臭いが衣服にもしみついてしまいそうなほど濃い。

 朽ちかけた大木には大小様々な──中にはカラフルなものも──キノコが生えている。

 また、魔王災害の影響だろうか、少なくない魔力も感じとれた。悪性のものではなさそうなので今すぐ対策はしなくていいだろうが警戒はしておくに越したことはないだろう。

 明かりの魔法で周囲を照らしながら、石や木などで躓きやすい足元に注意してしばらく歩き続けていると、明かりに反射するモノが出てきた。

 白霧だ。

 それと、甘い蜜のような香りがした。

 香りの濃い方へ向かって注意深く進んでいくと、ある大木の裏側の根元の間に、一筋の日光をスポットライトを浴びている一凛の黒い花──魔女が咲いているのを見つけた。

 とたんに、濃厚な甘い匂いを鼻から吸い込んでしまい、壮大にむせた。

 わたしは付近に生えていた、根元に地味な茶色のキノコが生えている湿った切株に腰を下ろし、カバンからノートブックとペンを取り出した。そして、ノートの適当なページを開き、空白のスペース──宙に浮かぶクジラバスの横──に、魔女と小さく書いた。

 不自由なく模写するために明かりの魔法を大きくした。空気中に漂う魔力のおかげで魔力切れを起こす心配はないので安心だ。

 薄い霧の中で照らされている花は、確かに古いおとぎ話に出てくる魔女のように怪しくかつ蠱惑的にローブのすそを揺らしている。

 シャッ……シャシャ……。

 下手な線を書いては消し、書いては消し。魔女の輪郭を徐々に明らかにしていく。

 ふと、先ほどまで聞こえていた鳥の声が止んでいることに気づいた。頭上に目を向けると木についた葉が怪しく揺れている。

 ノートに視線を戻すと、クジラバスの線がうかびあがり、あの日見た実物と同じように宙に漂う。

 脳の一部に靄がかかったような気分。久しく感じていなかったこの感覚。

 カサリ。

 音がした気がしたので、ペンを止めて顔を上げた。

 魔女が咲いていた場所に、黒くて大きいキノコの傘のような帽子に上下一体型で足首まで隠してしまう黒いローブといった服装の人物が座っていた。顔は伏せているので見えない。記憶にある、幼い頃に読んだおとぎ話にでてきた魔女そのもののように思えた。


【3】

「やあ」

 わたしは実在する人間に向けるのと同じように声をかけた。

 魔女は顔を伏せたまま、

「ウッザ」

 とわたしに聞こえる声量でつぶやいた。

「えっ?」

 思わぬ返事に驚いてペンを落とした。ペンはわたしの足に当たって魔女の足元まで転がって止まった。

「ゴミ捨てんなって」

 魔女は服と同じように黒い手を伸ばしてペンを拾い、顔もむけずにわたしへ投げ返してきた。

 ペンは膝の上のノートに落ちた。

「ゴ、ゴミじゃないんだけど。でもありがとう」

「うわ、あたしの声聞こえてんじゃん。ダリー」

「あの、君はわたしが見ている幻覚だよね?」

 わたしがそう聞くと、魔女は大きなため息をついてから顔を上げた。

 闇のように黒い人間の顔がそこにあった、ただ、口や鼻と言ったパーツはついてなかった。唯一存在している黄金の目だけがランランと輝いていて、わたしを睨みつけていた。

「そんなことどうでもよくない?」

「いや、まぁ……気になっただけで」

「あのさあ、あたしはここで静かに暮らしたいだけなの。あんたたちヘンなのと関わりたくないわけ」

「……ごめんなさい」

 幻覚相手に思わず謝ってしまった。

「分かったならさっさと帰って、話したいことがあったらさっさと話して、それで満足して帰って」

「せっかくだし少しだけでも話せない……?」

「はぁ~~~~~?」

 魔女は心底うんざりといった風にその黄金の目でわたしを見て、やれやれと首を振って再び顔を伏せた。

「はいはい、好きに話せば?答えるかは知らないけど」

「えっと……ありがとう?」

「そういうのいいから」

 聞きたいことは沢山あるが、何から聞けばいいだろうか。

 幻覚かどうかは……一旦置いておこう。わたしはこれ以上魔女に怒られないようにと頭をフル回転させた。

「そうだ、君は魔王災害の時にここに来たと聞いたんだけど、その前はどこにいたんだい?」

「知らねー」

 にべもない。

「……それじゃあ君の名前は?」

「名前?ここに来るヘンなの達が魔女って呼んでるのがそうじゃないの?」

「いや、本当の名前というか」

「さあね。考えたこともないしどうでもよくない?」

「まあ、そうかも?」

 確かに魔女の言うとおりだ。ということで引き続き魔女ということにした。

「ここに来る前に、ある人がこの森で奥さんの幻覚を見たと言っていたのだけれど、何か知らない?」

「さあ。ヘンなのは時々来るけど違いが分からないし、来ても面倒だから無視してるし。どうせこっちの言葉聞こえてないし。あんたは例外っぽいけど」

「そうなんだ……」

 わたしはそう独り言ちた。

 少しの間が空き、

「満足した?なら帰ってよ」と魔女が面倒くささを隠そうともせずに言った。

「あ、いや」

 焦りを感じたわたしはパッと頭に浮かんだことをそのまま聞いてみた。

「君はもしかして幻覚が生み出した産物ではなくて実在している?」

 言ってから、バカなことを聞いたと思った。よくて非常に冷たい反応が返ってくるのだろうと考えていたが──

「──そうよ」

「えっ!?」

「あんたの言う通りって言ってんの」

 意外な答えに、わたしのモノではないような素っ頓狂な声を上げてしまった。


【4】

 ドクン。わたしの心がはねた。冒険をしていたころに常に感じていた、チリチリ感が全身の皮膚を撫でる。

「あたしは実際にここにいるわ。あんたにどう見えてるかは知らないけど」

「わたしには黒い魔女のように見えてるよ」

「あっそ」

「じゃ、じゃあ、何で霧を出して幻覚を見せようと?」

「霧?あー霧はね、幻覚を見せるためのモノじゃないの。実際は思考力を少ーしずつ奪うためのもの」

「思考力?」

「そ。思考力。あんたも今、あたしのこととかこの状況に違和感を感じなくなってるでしょ?」

 そういわれると、確かに頭の一部にモヤがかかっている気が強くした。

「ここからが重要なんだけど、この霧あたしの一部で生きてるの。ノコノコやってくるあんたらヘンなのは知らず知らずのうちにあたしを少ーしずつ吸い込んでるの。で、吸いすぎると頭がおかしくなっちゃって、あたしのモノになって終わり」

「終わり?」

 わたしは言葉の意味を理解する前にそう繰り返した。

「そ、終わり。あたしの思うがまま。これまで来たヘンなのはみんなあたしの思うままってこと」

 つまり、昨晩話していた村の人たちは……。嫌な想像が頭をかすめる。

「い、一体何のために?」

「それはね──この世界全てをあたしたちのモノにするため」

「!?」

 とっさに手のひらを魔女にかざし火の魔法を放とうとしたが、火花が散るだけで不発だった。体内の魔力が乱されているような感覚。

「ははあ、あんたもあと少ししたら他のヘンなのと同じようになっちゃうわね」

 血の気が引き、冷汗が流れ出る。下手な興味心でちょっかいを出してよいものではなかった。

 わたしはどれほど浸食されているのだろうか。なんとかして最寄りの王国へ知らせなければ──。

 自分に活を入れて立ち上がろうとした。ふらりと頭が片側に持っていかれるような感覚がして、柔らかい土の上に倒れてしまった。甘い香りと共に湿った土と草の臭いが鼻孔をつく。足がしびれている。思考が定まらない。「嘘だ……」

「まぁ、嘘なんだけどね」

 魔女が言った。え?

「え?」

「ぜーんぶ嘘だっての」

 魔女はゆっくり立ち上がり、倒れたままのわたしを見下ろした。そのまなざしはわたしのことをバカにしているようだった。

「あのねぇ、あんたが今何を見てるのか知らないけど、それはあたしじゃない。あたしは何もしてないし面倒くさいこともしない」

「え?え?」

 魔女はいったい何を言っているのだろうか?嘘?

「だから嘘だって言ってんの。あんたがこういうのを期待してるから面倒だけど乗ってあげただけ。幻覚が~の時からワクワクしてたでしょ?途中であんたの匂いが変わったからわかるの」

「え?いや。え?」

 混乱するわたしの目の前をクジラバスが横切った。

「じゃあこのクジラバスは?」

「はぁ?何言ってるかわからないけど、あんたが倒れたのも変なのが見えてるのも、全部そこらへんに生えてるキノコのせいだから」

「キノ、コ?」

「ほら、そこの切株にも生えてるでしょ。甘ったるい臭いがキショイやつ。その臭いの成分がヤバいらしいよ」「キノコ……あっ」

 わたしは先ほどまで座っていた切株の根元に茶色いキノコが生えていたことを思い出した。

「つまり思考力、とか、世界全て、とか……」

「だーかーらー、全部適当言ってただけだって。しつこいっつーの」

 そういわれ、先ほどまでのやり取りをうっすらと思い出し、ぼんやりとした頭で恥ずかしさだけがこみ上げてきた。ひんやりとした空気の中で顔がカッと熱くなる。

「ここにくるヘンなのはみんなそいつにやられて迷惑なんだよ。そのたびにあたしが治す羽目になってさ……」と、ブツブツ言いながら魔女はわたしに近づいてきた。

「なにを……?」

「治ったらさっさと帰って。抑えられる時間も限られてるから。あともう二度と来ないで。ヘンなのと会話すんのダルいからさ」

 魔女が黒い手をわたしにかざした。

「じゃあね」

「まっ……」

 わたしが何かを言うよりも先に、濃い白霧が吹いてきてわたしの顔を覆い、わたしは気を失った。

 どれほどたったのだろうか。目を覚ますと、周囲は完全に闇に覆われていた。

 再び明かりの魔法を灯して周囲を見わたした。大木の根っこにいた魔女は元の黒い花に戻っていた。

 頭のモヤモヤも身体のしびれも治っていて、不自由なく動くことが出来そうだった。

「ありがとう」

 わたしは黒い花に感謝を言い、再び幻覚を見る前に帰ることにした。

 地面からカバンとペンを拾いあげた。あとは……。

 先ほどまで座っていた切株の上に、ノートブックが開かれて置いてあることに気づいた。

 わたしは注意しながら切株に近づき、ノートを拾い上げようとした。

 宙に浮かぶクジラバスの隣に、幼い頃に読んだおとぎ話にでてきたような姿で黄金の目を持つ魔女が描かれていた。

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