第144話 きっかけ

「帰したくない」


言葉を濁すことなく、はっきりと言い切ると、美香は返事をすることなくうつむき、黙り込んでしまった。


しばらく黙った後、美香は「…やっぱりダメです」と、小声でため息交じりに言ってきた。


「親会社行くんだろ? 俺も行くからさ」


「ダメですよ。 行きたくなくなったら大変だし… それに、光輝社長から言われたんです。 『今後、迷惑をかけるようであれば、それなりの対応をさせてもらう』って。 白百合の件がきっかけで、目、つけられちゃいました」


「だって、あれはあいつらが勝手に動いてるだけだろ?」


「光輝社長からしたら、そんなの関係ないんですよ。 原因になってるのは私だから」


美香は諦めたようにため息をつき、それ以降黙り込んでしまった。



『俺にできることはないのか?』


『何か俺にできることは、本当に何もないのか?』



そう考えていても、まったくと言っていいほど考えが浮かばないし、山根たちが美香を呼び戻すために、今後、どういった行動を取ってくるのかもわからない。


それよりも、兄貴にどう説明したら理解してもらえるのか、どう話したら納得してもらえるのかがわからず、ため息だけが零れ落ちた。



黙ったまま美香の実家についてしまい、車を停めると、美香は「ありがとうございました。 すごい楽しかったです」と言いながら笑いかけてくる。


美香の腕を引き寄せ、唇を重ねていたんだけど、近づけば近づくほど帰したくなくなってしまう。


美香は俯きながら唇を離し「帰れなくなっちゃうから…」と、呟くように言ってきた。


「…やり直そう。 俺もう無理だ」


美香を強く抱きしめながら言うと、美香は小声で「…最初って、どっちがきっかけだったんですか?」と聞いてきた。


「俺だよ。 俺がきっかけで始まった。 けど、数日後に美香が入院して自然消滅した」



『こんな時ですら本当のことを言えないとか… 本当のことを隠さなきゃいけないとか… 辛すぎるだろ…』


そう思えば思うほど、自然と腕に力が入ってしまう。



本当のことを言えたらどんなに楽か…


本当のことを言えたら、どれだけスッキリするんだろ…


けど、本当のことを言ってしまうと、あの一件を思い出させることになるから、嘘を吐き通す事しかできなかった。



美香は小声で「返事… 少しだけお待ちしていただけますか?」と切り出してきた。


「…なんで?」


「光輝社長、何するかわかんないじゃないですか… 私が迷惑って思ってなくても、光輝社長からしたら、迷惑って思われるかもしれないし… それなりの対応っていうのも、どういうことかわかんないし… 私… 大地社長に何かあったら、一生後悔しそうで怖いんです…」


美香はそう言いながら、俺にしがみつくように抱き着いてきた。



美香の言う通り、兄貴は現状をよく思ってないし、行動や考えが全くと言っていいほど読めない。


気持ちばかりが先走り、周囲が見えていなかったことにも、美香はその言葉で気付かせてくれた。



ゆっくりと体を離し、美香の顔を見ると、美香の瞳は涙で濡れていた。


「…わかった。 ごめんな。 俺、焦りすぎた」


「いえ… なんかすいません。 泣くつもりじゃなかったのに…」


「待つよ。 ずっと待ってる…」


涙を手で拭い、笑いかけてくる美香が愛おしすぎて、再度唇を重ねていた。


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