第65話 飲み込んだ言葉

美香の力を見せつけられるとともに、過去の美香に対する恐怖心や責任感は薄れ、愛おしさだけが更に大きくなっていた。


美香はそんな気持ちをお構いなしに「そろそろ帰りますね」と言いながら立ち上がる。


ユウゴが「泊まってかないの? 俺泊まるよ?」と、美香に聞くと、美香は呆れたように「だから帰るんですよ」と言うだけ。


ユウゴは「それどういう意味だよ?」と食って掛かっていたけど、美香はため息交じりに「はいはい。 夜分遅くに申し訳ありませんでした」と言った後、喚くユウゴを尻目に休憩室を後にしていた。


「本当に泊まるのか?」と、ユウゴに聞くと、ユウゴは「帰るのだるい」とだけ言い、ビールを飲み続ける。


「そ」とだけ言いながら立ち上がり、事務所を飛び出した。


駅に向かって歩く美香を走って追いかけ、「美香!」と声をかけると、美香は振り返る。


息を切らせながら、「コンビニ行きたいから途中まで送るよ」と言った途端、妙な寂しさが膨れ上がった。


美香は不思議そうな顔をしながら「ありがとうございます」と言った後、ゆっくりと歩き始め、美香に切り出した。


「あ、あのさ、これからCGも頼んでいい?」


「もちろんですよ」


「ありがとな。 本当に助かる。 あ、今、鍵あるけどマンション使う?」


「いえ、着替えないし帰ります。 今日は現金も持ってるし」


「そっか。 休み明けに領収書渡して。 経費で落とすよ」


「ダメですよ。 自己都合で戻ったんですから」


「いや、CG作ってくれたし、それくらいさせて」


髪に触れたことや、唇を重ねそうになったことを避け、ポツリポツリと話して歩くだけ。


ただそれだけの事なのに、胸の奥が締め付けられている感じがし、途中途中、言葉に詰まりそうになる。


ゆっくりと歩きながら話していると、あっという間にタクシー乗り場についてしまい、美香はドアの開いているタクシーの前で「ありがとうございました」とお礼をしてきた。


「あ、あのさ…」と言いかけると、自然と言葉が止まってしまう。


『彼氏いるの?』


話の流れで気軽に聞けばいいだけなのに…


一番聞きたいところはそこなのに、言葉に詰まり、何も聞けないままでいた。


美香は不思議そうな表情をし「どうしたんですか?」と聞いてきた。


「…また月曜な」とだけ言うと、美香は「はぁ…」と不思議そうな声を出した後、「お疲れさまです」と言い、タクシーに乗り込んでしまい、出発したタクシーを見送った後、大きくため息をついた。


『なんも変わってねーじゃん… 俺、相変わらずヘタレだな… 肝心なことは何にも聞けてない…』


自己嫌悪に陥りつつも、ゆっくりと歩き、事務所へ戻った。


事務所に入ると、ユウゴはビールを飲みながら「…へたれ」とだけ。


「なんだそれ?」


「美香、男いるって?」


「いや、聞いてない」


「は? 真っ暗な部屋で二人っきりだったのに聞いてねぇの?」


「聞こうとしたらお前が来たんだよ」


「あ! そう言うことか! そいつは失礼した」


「ったく…」


そう言いながらノートパソコンを見ると、作りかけていたCG素材は、ほとんど完成間近だった。


『ほんと、すごいなぁ… ちょっと感動するわ』


そう思いながら作業を始めていると、ユウゴが「初めての共同作業?」と聞いてきた。


「うっせーな。 寝ろよ」と言うと、ユウゴは美香のひざ掛けを体にかけ「美香のにおいがする」と…


苛立ちながらひざ掛けを奪い取ると、ユウゴは「嫉妬っすか? いやだなぁ」と言いながら笑い始めた。


『美香は俺のもんだ!』と言いそうになりかけて言葉を飲み、「さっさと寝ろ」と言った後、作業を再開していた。


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