第43話 寂寞

午前中の作業を始めても、自分の中で葛藤を続けていた。


『毎日フルタイムで来させなきゃいけないんだけど、家が遠いのがネックだよなぁ… マンション使うか聞いてみるか… そうすれば、会えなくなる心配もなくなるし… 腹括るのって難しいな…』


そう思いながら2階に行き、ポケットの中にマンションの鍵を入れた。


1階に戻った後、美香に切り出すこともなく、ただただ作業を続けるばかり。



午前中の作業を終えると、美香は帰宅準備を始めていた。


すかさず「ちょっとだけ時間もらえる?」と聞いた後、用紙を手に休憩室に案内した。


「ここ、休憩室兼更衣室ね。 フルタイムで勤務できるようになったら、昼飯はここで食べて。 着替えが必要だったら、ロッカーに名札貼っておくからそこ使って」


「あ、あの、フルタイム勤務って決定事項なんですか?」


「うん。 決定。 俺も腹括った」


「括った?」


「あ、いや、こんな優秀な人材、見逃すわけないじゃん」


そういった後、妙な寂しさが込み上げてくる。


寂しさを振り払うように、書類をテーブルに並べながら「てかさ、俺うっかりして振込口座聞いてなかったんだよね。 これ書いてもらっていい?」と切り出し、ソファに座った。


美香は少し迷うような表情をした後、ゆっくりとソファに座り、用紙に記入を始め、記入を終えると同時に、ポケットから鍵を取り出し、美香に切り出してみた。


「すぐ裏のマンションなんだけど、今は誰も住んでないから使っていいよ。 あ、事故物件とかじゃないからね? 前は俺が住んでて、こっちに引っ越すことになったんだけど、今はだれも住んでなくてもったいないからさ。 あ、変な意味じゃないからね?」


『何言ってんだ? 俺。 全然腹括ってなくね?』


正直言うと、全くと言っていいほど腹を括ってない。


自分の意志の弱さにため息をつきそうになっていると、美香が切り出してきた。


「もしかして、逃げられないように外堀埋めてるんですか?」


「あー、そうか。 そうなるか…。 まぁ、そう捉えて貰って構わないよ」


鍵をテーブルに置いた後、ため息をつきながらソファにもたれかかった。


『やっぱりそうなっちゃうんだな… 経営者と従業員でしかないか…』


美香は鍵を見つめたまま、受け取ろうとはしない。


「実はさ、これからかなり忙しくなるんだよね。 家、遠いから帰れる日が少なくなると思うんだ。 断ったんだけど、兄貴… いや、親会社社長からの命令でさ。 ホントごめん」


美香はじっと鍵を見つめた後、「仕方ないですね。必要な時に使わせていただきます」と、小さな声で言ってきた。


思わず「良かったぁ」と本音が出ると同時に、大きなため息も出てくる。


「…必要な時にお借りしますので、それまでは社長がお持ちいただけますか?」


「わかった。 ありがとう」


美香の言葉に返事をすると、美香はゆっくりと立ち上がり「お先に失礼します」と言った後に一礼し、会社を後にしていた。



『社長か… 従業員と経営者としか見られてないんだ… 何してんだ俺? 勝手に浮かれてアホ丸出しだな…』


そう思うと、今まで感じたことがないほどの寂しさが込み上げてくる。


大きくため息をついた後、鍵をポケットに入れ、休憩室を後にしていた。

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