第60話

 ほんの二〇〇メートルほどの距離を進むのに一時間以上かかってしまった。

 このあたりに棲むアナコネズミは全て狩り尽くしたのではないかと思うほどだ。その証拠に一帯にはドロップ品しか見当たらない。


 ミミルは先ほどから空間収納にそのドロップ品を集めながら進んでいる。


 いつものように魔石を渡されても、数百はあるはずだ。

 俺には空間収納がないから困るんだが――と思っていると、さすがに配慮してくれたようで、何も言わずに前に進んでいく。


 闘技場はまるで観客席のように石段が並ぶ。

 底の部分は五メートルほど掘り下げられていて、そこに直径五〇メートルほどの円形の石舞台が作られていた。


『しゅごしゃ、まるい、たたかう』

「守護者が丸いのか?」

『ちがう。まるい――』


 ミミルは石舞台を指さした。


 まあ、そうだろう。如何にもフロア守護者と戦うための闘技場、石舞台といった感じの場所だからな。

 いや待てよ――「石舞台の上で戦う」と言うのは、「俺ひとりで戦え」ということなのか?

 第一層とはいえ、相手は守護者。

 まだまだ初心者の俺に倒せるわけがない。当然、一緒に戦うんだよな?


「ミミルは?」

『みまもる』

「――え?」


 いやいや……俺ひとりで戦って勝てるような守護者なわけがないだろう。

 仮にも守護者を名乗るのなら、かなり強い相手のはずだ。


『しゅごしゃ、よわい。しょーへい、つよい』

「いや、強くはないだろう。相手は守護者だぞ?」

『だいじょうぶ、しょーへい、チン、する』


 マイクロウェーブにも弱点はある。

 基本的に水分子に働きかけて発熱させるのだが、途中に水分子があると電磁波が水分子に吸収されてしまうので減衰してしまう。例えば、雨の日は雨粒に吸われて使い物にならないだろう。

 そして、魔物を倒すには最初に血や体液を発熱させて表面を焼き、次に骨と脳を発熱させることになる。この場合、大きな魔物になると皮が厚く、頭蓋骨にも厚みがあるので時間がかかってしまうところが弱点だ。ミミルはそれがまだわかっていない。


 少しずつ闘技場の石舞台に近づくため、石舞台に繋がる階段まで移動する。

 途中、石舞台の上で日陰になったところに大きなイノシシが横たわって寝ているのが見えた。周囲に比べるものがないので大きさを判断しづらいが、壁の高さからすると体高が三メートル、体長は五メートル以上あるだろう。下顎から伸びた二本の犬歯と、上顎から飛び出した二本の太いキバが特徴だ。また、背中部分の革は妙に赤黒く、艶があって、硬質化していることが見て取れる。恐らく、相当に硬くなっていることだろう。


『ボルスティ、つき、けり、たいあたり、かみつき……きょうぼう』

「凶暴なら手伝ってくれよ!」

『てつだう、ない。しょーへい、チン、する』


 ボルスティ――上顎のキバが伸びる方向や形が違うが、地球上のバビルスというイノシシに似ている気がする。


 さて、いくらミミル特製の短剣がよく切れるとはいえ、あの背中の装甲を相手にするのはどうだろう……。やはり、一番いいのはマイクロウェーブでの攻撃ということになりそうだ。


 俺とミミルは石舞台を囲む観客席の上に立ち、下を覗き込む。

 俺たちの気配に気がついたのか、ボルスティは起き上がり、今まで聞いたことがないような太く、力強い声で俺たちに向けて雄叫びをあげる。


 声が届くと共に空気が震え、ビリビリと俺の肌を刺激する。

 一気に跳ね上がる緊張感。

 身体中を駆け巡るアドレナリン。

 跳ね上がる血圧と心拍数。

 ボルスティの叫び声には挑発効果があるようだ。


「やってやろうじゃねぇか、この猪野郎が!」


 その挑発に対して一気に頭に血が上った俺は、そう吐き捨てると右腕を上げて人さし指で狙いをつける。


 ――赤い光線レーザーサイト


 人さし指の先から更に一センチほど先から極細の赤い光の筋が伸びる。

 その光が指し示す場所を猪野郎の眉間に向けると、奴が走り出した。


「速いっ!」


 奴は俺たちが立っている壁に向かって一直線に突っ込んでくる。

 俺はなんとかレーザーサイトの先を奴の両耳と眉間の中間あたりに定める。そしてそのまま頭の中を空にし、意識の外で指先と手首を固定したまま追尾する。


 ――マイクロウェーブ


 光と同じ速度で突然襲いかかってきた激しい頭の痛みに、猪野郎は悲鳴とも取れる、苦痛に満ちた声を上げ、その背中の硬い装甲を石舞台の外周壁へと叩きつける。

 まるで強烈な直下型地震が起こったかのように、轟音と共に俺の足元がぐにゃりと揺れ崩れ去った。


 ああ、これは落ちて崩れた石の下敷きになって終わるな……。


 地面へと叩きつけられる寸前、俺が覚悟を決めて目を閉じると、ふわりと宙に浮かぶような感覚を覚えた。


「――ん?」


 そっと瞼を開くと、俺はとても細く小さな腕の中。そして、宙に浮いていた。


『あなた、わたし、まもる。やくそく』


 心配そうに眉を八の字にして覗き込んでいたミミルの表情が緩み、柔らかく安堵の気持ちに満ちた笑顔に変わった――。

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