第17話


 ミミルはカードに表示された内容を確認すると、俺に差し出す。

 読めないものを渡されても困るのだが、いったいどうしろというのだろう?


 俺は苦い笑みを浮かべ、ティッシュを持った指先でカードをやや恭しく受け取った。

 既に、そこに文字は表示されていない。


『まりょく、ながす。もじ、でる』

「なるほど……」


 何らかの形で魔力を通すと文字が表示されるということなんだろうが、どうせまた読めない文字なんだろう。

 彼女の世界で作られた道具なんだから、俺たちの使う言葉まで使えないはずだ。

 そもそも、地球上で用いられている言語は数千ある。方言も加えるとキリがない。

 その多種多様な言語に異世界から来た道具が対応するなんて絶対に無理だ。


 ミミルが使う言語――仮に「異世界語」としよう。その異世界語と俺の日本語でさえ、辞書もないのに念話の中では一部翻訳されている。

 実はこれも理屈で考えればありえないことだ。


『まりょく、ながす』

「ああ、わかった……」


 実際に俺が魔力を流すところを見たかったのだろう。

 仕方がないのでカードを持つ指先から、身体の中に溜まった魔素を流すように魔力を流し込んでみる。

 ミミルがやったのと同じように、カードが輝いて文字が浮かび上がった。



 氏名:高辻 将平

 種別:ヒト

 所属:地球 日本国

 年齢:三六歳

 職業:無職


 スキル:

 料理Ⅳ、目利き(肉Ⅳ)(魚Ⅲ)(野菜Ⅳ)、包丁術Ⅳ、狩猟Ⅰ、解体Ⅱ、皮革加工Ⅰ、短剣Ⅰ、弓術Ⅱ、四則演算


 加護:波操作



 日本語で出ちゃったよ……魔力を流し込むときに、俺の頭の中でも覗いているのか?

 これ、文字が読めない人が使ったらどうなるんだ?


 試してみたいが、試せる人がいない。

 まだ文字が読めない子どもにやってもらえばいいかも知れないが、それって声かけ事案だよな……。って言うか、一度はダンジョンに入って魔物を倒してこないと魔力を流せないから無理だな……うん、無理だ。


 それにしても「無職」かよ……まぁ、まだ店を開いてないし、間違いではないか。


 受け取ったカードをポケットに入れて、ペティナイフで切ったところに用意していた絆創膏を貼る。

 指先を切るなんて何年ぶりだろう。

 研ぎ澄まされた包丁を使っていると、変なところで力をいれて指を切るということが起こらない。

 だが、眠気を我慢しながらキャベツの千切りをしているときなどは何度か切っていた気がするし、不安定な野菜を無理に切ろうとして、野菜が倒れたりして指を切ってしまったことはあるか……。


 気が付くと、ミミルが俺の指先に巻いている絆創膏をジッと見つめている。


『これ、なに?』

「これは絆創膏というんだ。怪我をしたときの包帯みたいなもの……かな?」


 これぐらいの包丁傷なら、半日もすれば気にならなくなる。


 それよりも、ダンジョンが本当に店の奥庭にできたことを認めなければいけない。

 認めるとなるとミミルに確認しなければならないことがある。


「なぁ、スタンピードって存在するのか?」

『――?』


 スタンピードという言葉がわからないのだろうか。

 他の言葉にすると、群集事故だったか……なんか、正しくない気がする。


「魔物が増えすぎて、入口から溢れ出すなんてことはないのか?」


 言葉を変えて尋ねてみた。

 ミミルはまたおとがいに手をあてて宙に視線を泳がせる。


『ない、おもう。まそ、うすい、むさん』


 ダンジョンの構造上、転移石を使わなければ、奥庭地下の部屋に来ることができない。

 もし、ドラゴンがどこかに棲んでいるとしても、その巨体では転移石のある場所にたどり着くこともできないだろうとは思っていたが、これで少し安心できそうだ。

 それに、もし万が一出てくるようなことがあっても、地球だと魔素が薄いから、実体を維持することができなくなるということだろう。


 ダンジョンへの出入口ができてしまったことはとても不安だが、少なくともスタンピードのような現象が発生することがないならひと安心だ。


 今後、ダンジョンができたことを誰かに知られてしまうと、騒ぎにもなるだろう。

 様々な資源がここで手に入ることが他の人に知られたりすれば、せっかくオープン直前にまで漕ぎ着けた俺の店も、夢とともに霧散してしまう。

 それは困る。大いに困る。


 今後はそっち方面の対策も練らなければいけない。


 そしてもうひとつ……。


「それと、ミミルって呼んでるが、このままでいいのか?」

『いい。いせかい、おなじ』


 どうやら彼女がいた世界でも同じように呼ばれていたようだ。

 カノ=ミミルという名前には〝賢き者〟という意味があるようだが、地球だとソフィアやジェイダに該当する名前なんだろう。ソフィアは智慧・叡智を意味する古代ギリシャ語、ジェイダにも賢いという意味があるからな。


 どちらにしても、彼女が気に入っている愛称で呼ぶ方が呼びやすい。


「じゃ、これからもミミルと呼ぶからな」


 ミミルはだた黙って頷いた。


 彼女は異世界人であり、この地球から帰る場所が無く、身寄りもない。

 ダンジョンとミミルの存在は切っても切れない関係だ。


 地球での保護者は俺以外にいないだろう。

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