ユリエル

51 久しぶりだな、ミシェル

 住宅地が密集する地域でひっそりと経営しているカフェ"ランコントル"。近隣の住民が利用するだけでなく、電車を乗り継いで通う人もいる隠れた有名店だ。それは出されている料理が逸品というわけではなく、店主が絶世の美女なので、彼女目当てで店を訪れている者が大半だ。


 4月の中旬。

 午後5時半を回り、ミシェルは奥の調理場で皿の片付けをしていた。すると、ドアベルが鳴り人が入ってくる足音がした。急いで店内に戻り"いらっしゃい"と挨拶をする。


 立っていたのは黒いロングコートにアタッシュケースと紙袋を持った背の高い男性だった。帽子を目深に被っており表情は見えない。ミシェルは近付いて接客しようとしたが、彼の威圧的な雰囲気に足を止めた。

 一目で彼がただ者じゃないとわかり、ポケットに入れた右手に警戒しながら半歩下がると、相手は少し口角を上げて笑う。


「そう警戒するな。

お前の命を取りに来た殺し屋じゃない」


 柔らかく親しみを持った口調で話しかけられる。ミシェルは目の前の人物が誰なのかわからず戸惑っていると、ソフトハットを脱いだその顔に目を丸くする。


「久しぶりだな、ミシェル」


 帽子を取った下にあったのは、つやのある黒髪をオールバックにし、真っ直ぐな鼻筋に精悍せいかんな顔立ちをした美丈夫びじょうぶであった。アメジスト色の瞳を細め優しくほほえむ。


 ミシェルは彼の姿に言葉を失った。一瞬頭が真っ白になったが、すぐに喜びの感情でいっぱいになった。


「ユ……ユリー!!」


 嬉しさのあまりミシェルは彼に飛び付く。強く抱擁するミシェルの背中をユリーは帽子を持ったままの手で撫でる。ミシェルは体を離して彼の顔をじっくりと見た。


「本当に!ほんとにユリーなのね!」


「ああ、会いに来るのが遅くなった。すまなかったな」


 ミシェルは目を細め何かを噛み締めるような顔をする。言葉にならない感情が溢れてきて、しばらく何も言えなかった。


「本当に久しぶり。もう会えないかと思ってた」


「そうだな、もう60年も経ってしまったか。お前は変わったな。柔らかい表情をするようになった。昔はブリジット・バルドーのような顔だったが」


「ひっどい、あそこまでつり目じゃなかった!どっちかといえばオードリー・ヘップバーンでしょ?」


「まぁ、ティファニーなら演じられたかな」


「というかユリーは今でもそんな格好してるの?本当に殺し屋かと思っちゃった」


「馬鹿だな。これは昔と同じ格好をしてるんだ。再会したのに思い出されなかったら、悲しいからな」


「そんな!私がユリーをわからないわけないよ。アロハシャツ着てたってわかるよ」


 ミシェルの冗談に二人とも声を出して笑った。積もる話がありすぎて取り合えずカウンターの席に案内する。ユリーはアタッシュケースを下に置き、紙袋はミシェルに渡した。中に入っていた箱を開けるとワインが入っていた。


「わぁ、コマネコンティー!高かったでしょ」


「年数を見てみろ」


「……69年」


 1969年は二人が別れた年だった。流れた月日と再会を祝してユリーが用意した赤ワインだった。


「ユリーはおしゃれね」






 ミシェルはワイングラスを持ってきて栓抜きでコルクを抜きグラスにワインを注ぐ。ツンとしたハーブのような香りが鼻孔を撫で、光沢感のある赤色のワインを口に入れ舌で転がす。


「ん~おいしい。60年の深みってやつね」


「そうだな。お前の舌を肥えさせるくらいの月日は経ったらしいな」


「昔だってワインの味ぐらいわかった!」


「嘘をつけ、変な味だと言っていただろう」


 むくれるミシェルを横目にユリーもワインをひとくち飲んだ後、店内を見渡して話をする。


「ここはお前の店なのか」


「そうよ。私が店主のカフェの!」


「そうか。昔みたいにクラブでもやってるかと思ったが、こんな静かな町でカフェの経営とはな」


「まーねー、あの頃は派手な事してたけど、私も落ちついのかな~」


「落ち着いた?東京でおまえの話を聞いたが、いい噂を聞かなかったぞ」


「あ~、えっと……」


「"騒ぎは起こすな"と言ったはずだが」


 ユリーは低く張り積めた声を出す。視線はワインに向いていたが刺すような威圧感があった。


「起こしてない!ちょっと揉めただけ」


「本当か?」


「本当だよ。人を陥れたり殺したりしてないし、裏社会にだって関わってないよ」


「そうか」


 ミシェルが真剣に訴えるので、ユリーはそれ以上言及しなかった。


「ミシェル。"アレ"は持っているか?」


「うん、ちゃんと保管してるよ。確認する?」


「いや、後でいい」


 一瞬ピンと張り積めた空気がただよったが、勝手口の扉が開いたことで掻き消された。

 "ただいま"という声が聞え、ミシェルは立ち上がって亘を呼びに行く。彼の手を引き戸惑う亘をユリーに引き合わせた。


「ユリー、紹介するね。私が今の戸籍で養子にしてる息子の亘。こっちはユリー。アメリカにいた頃、頼りにしてたひとだよ」


 紹介された男性を見上げる亘。高い背丈に整った顔立ち、確認せずとも同種だとわかった。


「初めまして、永岡亘です」


 挨拶して軽く会釈する亘。ユリーも右手を出して挨拶する。


「はじめまして、亘くん。ユリーだ」


 出された右手にあわてて握手を交わす。握った手も大きくユリーの大きな体に亘は圧倒されていた。


「あー、えっと、日本語お上手ですね」


 なんとか会話をしようと話しかける亘。だが、亘の言葉に何故かミシェルはくすりと笑った。


「亘、同種には母国語はないの。その国に行けばその国の言葉を話せるんだよ」


「そうなのか?ミシェルは長く日本に住んでるから、日本語が話せるのかと思ってた」


「私達はどの国の民族でもないからね」


 人の生気を吸い生き続けている同種。原型となった人間には人種があるが、同種自身には国や言葉のへだたりはないのだった。


「そうだ、ユリー!今日は家に泊まっていってよ。夕食は何がいい?食べたいものある?」


「そうだな。日本食ならなんでもいいぞ。振る舞ってくれるのか?」


「もちろん!今から買い物に行ってくるから、2階で待ってて!亘、悪いんだけど、店の片付けお願いね」


 嬉しそうなミシェルははしゃぎながら、ユリーを2階に案内した。亘は鞄を下に置いて皿洗いの続きを引き継いだ。



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