14 君を死なせたりしないよ
同室の者が寝静まっているのを確認し静かに部屋を出る。外から
ドアのない職員室へ入り一番奥の棚に置かれている金庫の前に立つ。6桁の番号を入力し、取手に手をかけるが
「番号、変えられてるよ」
後ろからかけられた声に彼は驚いて振り返る。そこにいたのは亘だった。亘は数歩先の相手を睨む。暗がりで相手の顔はよく見えなかったが、やはり"彼"だと思った。
「何してるんだ?」
「………」
「金庫の鍵を開けようとしてたよな。まさかお金を盗もうとしてたのか?」
「………」
「何とか言えよ!
名前を呼ばれ卓人は亘を睨む。金庫を
「ここ一ヶ月間、金銭の盗難があったみたいだ。それはお前がやったのか?」
「そうだよ」
卓人は開き直ったように素直に認めた。亘は拳を握りしめ更に問い詰める。
「俺の鞄に入ってた給料を盗んだのもお前だろ!なんでこんなことするんだ!」
「別に、何となくだ」
何となく、という言葉に亘は戸惑う。
「何となくって、何か理由があるんじゃないのか?」
「ないよ。ただ、
「お前、自分が何してるか判ってないのか?そこにあるのは施設の子供みんなのための物で、お前が勝手に使って良いものじゃないんだぞ!それに買いたい物があるなら働いて稼げばいい話だろ!」
「そうだな。お前はアルバイトして稼いでるし、いい人に雇ってもらった。今日だってその人と買い物に行ってきたんだろ?金がないのにどうやって服を買ったんだよ。どうせ買って貰ったんだろ!ははっ、ふざけやがって!」
「大体、なんでお前のほうが仕事決まって、俺が決まらねんだよ!おかしいだろ!」
「………」
「くそ!なんでこうもうまくいかねんだよ!俺がこんなになったのは、あのクズのせいなのに!」
"あのグズ"とは卓人の父親のことを言っている。卓人も亘と同じように虐待受けていた。
ただ亘と違う所は彼は実の父親にぶたれ、母親は卓人を
ある時、父親は母親を
卓人が入所した1年後に亘も保護された。同じ傷を負った者同士、打ち解け合うのに時間はかからなかった。
卓人と亘は鏡のようだった。
互いが互いの傷を庇いながら励まし合って生きてきた。だが、片方の生活が豊かになると、片方は
就職が決まらないことへの
「卓人、なぁ…」
近付いてきた亘に卓人はポケットからカッターを取り出し、刃をちらつかせて脅しにかかる。
「黙ってろ!じゃなきゃただじゃおかない!」
卓人の目は
「いやだ」
「何だと?」
「脅されたって怖くないぞ。お前が何と言おうと、俺は明日先生に言う!」
「俺を裏切るのかよ!」
裏切られたのは亘の方だったが、卓人は亘が自分に従わないことに腹を立てる。
だが、亘も引き下がる気はない。今引き止めなければ卓人は道を間違えたままになってしまう。
「卓人!こんなことしちゃダメだ!先生に素直に謝ってお金を返そう。もし、使ってしまったって言うなら、俺から盗ったお金を使っていいから!」
「………」
「自分が不幸だからって人の物を盗ったり、自分さえよければいいなんて考え方をしたらダメだ。俺達を殴ったあの男達と同じじゃないか!」
「あの男のことを言うんじゃねぇ!俺はあいつとは違う!」
「違わないだろ!自分の
「黙れぇっ!」
一瞬何が起こったのか、わからなかった。
卓人が怒鳴りながら近付いて、腹部に痛みを感じた。ぶつかった衝撃と今も自分の肉を
卓人も混乱し亘の体からカッターの刃を抜いてしまう。
「お前が悪いんだ、お前が」
卓人は出血する亘を見捨てて立ち去ってしまう。亘は卓人の行く先を目で追い助けを求めようとしたが、痛みでまともに声が出せなかった。両手で傷口を押さえて血を止めようとするが、温かい流血は止まることなく、体温もすべてそこへ流れてしまっているように感じた。
このまま死んでしまうのかと絶望した時、誰かが駆け寄ってきた。
「亘!?」
床を見つめていた視線を上げるとそこには金髪の女性が目に映った。ミシェルは亘の意識があるのを確認し、全身を見てからスマホを取り出し救急車を呼んだ。状況と場所と亘の容態を伝えて電話を切り、暗闇の中で亘の応急手当てをする。
体を仰向けにして押さえていた亘の手を離す。傷口の位置を確かめ、巻いていたストールを傷口に当て圧迫して止血する。近くにあった椅子を倒して両足をそれに乗せ下半身が心臓より高い位置にくるようにした。
ここまでの動きを全く迷いなく冷静にこなすミシェル。傷口をもう一度押さえて亘の様子を見る。呼吸はしているが、意識は
流れ出た血の量を見てミシェルは奥歯を噛む。
「亘、大丈夫だよ。すぐに救急車が来るから」
「いたい、すごく…おれ、死ぬの?」
「大丈夫だよ。気をしっかりもって、必ず助かるから」
ミシェルは亘に呼び掛け元気付ける。だが、その言葉は亘には届かなかった。生存の可能性よりも死の誘惑のほうが勝っていたからだ。
「別にいいよ。死ぬなら死ぬで、それでいい」
「………」
「生きてたって、どうせ、いいことなんてなにもない」
亘はすべてを手放そうとした。
自分の人生本当にろくなことがない。だったらこのまま死んで、全部終わりにしたかった。ミシェルは押さえていた腹部から手を離し、弱々しい瞳を覗く。
「亘、君を死なせたりしないよ。絶対に!」
ミシェルは亘の頬に両手をあて、彼の唇に自分の唇を押しあてる。
かぶりつくように重ねられた唇に亘は驚くが、はね退ける力もなくただミシェルにされるがままにした。すると、何故か傷の痛みが和らぎ寒さもなくなっていった。温かい気持ちになって亘はゆっくりと瞼を閉じた。ミシェルは口を離して救急車が来るまで亘の側で彼の鼓動を確かめていた。
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