Phase2:Fiesta de El Dorado

第6話:天翔ける城塞




「データの解析が終わったぜ。そして驚くことなかれ、どうやらエリック・ベッソンはベイルフォートの諜報員だったらしい。奴は公国の公安局の外事課に所属しながら連邦の大使館に出入りしていたどころか、その両国の情報を本国であるベイルフォートにも流していた。すげえよ、三重スパイトリプルクロスってやつだ」



 ハルスマグナ公国から鉄道経路で越境し、隣国にあたるサバナの国際空港から南に飛ぶこと六時間。降り立ったグリムヒルデという島国の空港からさらにセスナをチャーターして小一時間ほど飛ばした離島へとたどり着くと、そこにはアーセムが用意したセーフハウスがあった。



 なぜここまでの大移動をしたのかといえば、一つは追跡を完全に撒くこと。そしてもう一つはたったいま判明したベッソンの故郷であるベイルフォート、そして渦中に巻き込まれたエルズ共和国が比較的近い場所にあったからである。どちらも海路で6時間、航空機なら3時間足らずで両国の首都圏内に入り込むことが可能で、なおかつ多民族国家のため外国人が紛れていても不審がられない。潜伏にはうってつけだった。



 到着後、すぐさまカリヤはデータ解析に入り、ほかのメンバーも資材や装備の調達に走って、日が暮れる頃に再び結集しての今である。データ解析があらかた完了したのを受けて、机の上をコンソールやら何やらで盛大に散らかしたカリヤがアーセムに報告してきたのだ。



「アーセム、あんたベッソンが三枚舌だってことを見抜いてたのか?」

「まさか。ただベイルフォートはここグリムヒルデと領海をめぐって小競り合いを起こしている。ベイルフォートは公国が、グリムヒルデは連邦が支援している状況だ。そしてその公国に軍需品を供給しているのがエルズ共和国だ。一見のどかな田舎の島だが、この辺一帯は二大国の思惑が複雑に絡み合ってどう転ぶか分からない状態にある。騒ぎを起こすにしろ見守るにしろここは立地的にも都合がいいんだ。そしたらベッソンが三重スパイときた。いよいよきな臭いだろう」



 ベッソンの正体については正直意外ではあったが、おかげでアーセムが抱いていた疑惑はまた一つ確信に近づいたようだった。



「ベイルフォート、グリムヒルデ、エルズ。僕はエニグマがこの三国の内のどこかに潜伏していると踏んでいた。カリヤ、解析したデータの中にヴァルハラに関する記述があったんじゃないか?」

「すごい、大当たり。ひょっとしてあんた、こっそり中身覗いてたんじゃないの?」

「そんなことして何の意味がある?」

「見栄っ張りとか」

「ガキじゃないんだぞ」



 呆れたアーセムはやれやれと首を振った。



「ま、せっかく解析が終わったんだ。全員で中身を見る方が早い」



 言って、カリヤは机の上に散らばっていた機材をどけてモニターを立てると、デバイスを有線接続して中身の再生を始めた。



「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。開けてびっくりってところかね」



 レイヴァンも関心深げにモニターに視線を送る。この騒動の中心にありながら未だ多くの謎に包まれた禁止兵器『トライデント』。その正体に迫る貴重なデータである。



 最初に表示されたのは何かの術式構成式であった。複雑怪奇に入り組んだ術式構成はただ一瞥するだけではどういったものなのかを理解することは出来ない。だがそれだけに、それが何節にも及ぶ膨大な術式によって成立する大魔導式であることだけは明確だった。



「残念だが俺が本気で解析しても、分かったのはこれが一種の召喚術式であること。詠唱方式で発動し、特定の人物の声紋にしか反応しない事。さらに発動の為には解除出式が対で必要なこと。くらいしか分からなかった。他にも座標特定に関する術式がいくつかあって、気になるのは設定範囲がやたらと広範囲だってことだな」

「広範囲っていうのは、だいたいどれくらいなんだ?」

「ざっと40万キロ。ここから月くらいまでの距離だ」

「そんな広範囲からいったい何を召喚するんだ……」

「皆目、さっぱりだ。どっちにしてもここの機材と解除式でバラせるのはこれが限界。これがトライデントであるのかさえ現時点では不明だ。お次はアーセムの指摘通り、機動要塞ヴァルハラの見取り図だ」



 やはり、とアーセムは眉間にしわを寄せる。あの時、公国の大使館に潜入した際、カリヤは中継を切られたことで館内のデータ解析を完了させることが出来なかった。



 だが、そもそも禁止兵器たる「トライデント」と目される情報が、共和国軍の擁する機密資料と同じファイルに綴じられていた時点で、事は既に国際級の大問題だ。

 本国のお偉方がこれについてどこまで認識していたのか、作戦自体が白紙に戻された今となっては知る由もないが、状況だけを見れば、公国は自身の直属の同胞はらからともいえるエルズ共和国が、秘密裏に禁止兵器を開発していたという事実を、仮にも同盟国である連邦に対して今まで隠し通してきた事を物語っていた。



 こんな天変地異級のスキャンダルをいたずらに公表しようものなら、間違いなく二国間の関係は冷え込み、その影響は周辺諸外国に燻る火種を一気に点火させかねない。

 そうなったら最後、各地で燃え上がった紛争の烈火は星を覆い、世界は鉄血の戦乱へと転がり込んでいってしまう。



 そんな事態を完全に排除しようと思うなら、禁止兵器の製造計画を頓挫させるか、あるいは兵器そのものを完全にこの世から消し去るしかない。その場合、公式の外交手段ではなく、どこの誰とも知れぬエージェントの手による秘密工作が、結果的に最も穏便な形で事態を収束に導くことが出来る。



 なぜなら公国側としては禁止兵器の存在を、またその製造を黙認していたという事実を知られたくはないし、連邦側としても、同盟国に向かって間諜を放っていたという事実を突きつけるのはバツが悪いのだ。



 そういった国家間の思惑や事情に関して深入りする事は、自分たちの仕事に影をさす事になりかねないため、なるべくこういった政治的な思索を巡らせる事はしないナイトフォッグのエージェントだったが、そんら彼らですら、自分たちが何に足を踏み入れてしまったのかを痛いほどに理解してしまっていた。



 こんな、こんなものが──エリック・ベッソンの手を離れ、どこの誰とも知れない者の手に渡ってしまったというのか。



 そして今、彼らをここまで追い込んだ張本人であるエニグマが直接転送してきた「要求」は、まさにこの、これだ。その事実をアーセムはまだ皆に話していない。このデータは、表向きはアーセムが抽出したものとして扱われている。それは皆にこれ以上の混乱をもたらさないためでもあったが、別の理由として、エニグマは現在このトライデントを独力で好き勝手できる状態にはないという確信があったが故のものでもあった。

 事態は極めて悪い状況にはあったが、それでも最悪の状況にはまだ至っていない。

 より具体的にいうのであれば、最悪の一歩手前のところでなんとか押し止まれている状態なのだ。



「ヴァルハラって、あのヴァルハラか?」



 説明する裏で縷々綿々と思考を巡らせていたアーセムに対し、たちの悪い冗談でも聞いたみたいな表情のレイヴァンが疑念たっぷりに問うた。



「そう、エルズ共和国空軍所有の空中機動要塞。通称「ヴァルハラ」

 共和国領空15000mを巡回する超弩級の空中キャリアだ。表向きは空軍の機動基地ってことになってるが、見取り図を見る限りじゃ軍用エーテル炉が十基、兵器廠、実験場に研究室が数棟。施設は三層構造になっていて、下層が居住スペースで中層が兵器開発実験棟。上層が演習スペース兼滑走路として使用されてる。明らかに軍部の開発機関だ。ここで新型術式や兵器の開発をしてると見るのが妥当だし、例のトライデントもそのうちの一つと考えるべきだと思う」

「あーあ、おじさんこの後の作戦分かっちゃった。分かっちゃったもんね」



 おちゃらけて両手を上げるレイヴァンであったが、残念なことにそのノリに付き合おう思えるほどの余裕は誰にもなかった。ナイトフォッグがこれより赴く作戦の概要、そしてエニグマがアーセムに向けた要求は極めて簡潔だ。

 要は、この馬鹿と冗談を総出で担ぎ上げたような巨大空中要塞からトライデントの全てをぶん取ってこいと言っているのである。



「となると、最後はきっとあれよね。ええっと……」

「そうさシンシア、声紋だ。ヴァルハラの中にこいつを起動させるための声紋を持ってる奴、もしくは声紋を持った奴を知っている奴がいる。そうだろ?」

「その通り」



 せっかく時間をかけて解析した結果をこうも簡単に言い当てられ、カリヤは若干不貞腐れ気味だ。最後に表示されたのは軍服姿をした壮年の男性の写真であった。



「サー・ルーカス・スタインバーグ航空幕僚長、エルズ共和国空軍の最高司令官だ。このスタインバーグ卿がトライデントの起動権限、もしくは起動権限を持つ者を知っている。ちなみにこのおじさんの直属の上司は、エルズ共和国現首脳ただ一人」

「大統領か……」



 まったく、とんでもない無茶ぶりがあったものである。よりにもよってエニグマは仲間の命の引き換えに共和国のトップに立つ人間を要求しているのである。その横暴さにアーセムは怒りを通り越して呆れさえ覚えたような顔をしている。



「スタインバーグはヴァルハラに常勤か」

「そうだな、基地内部に彼の居室がある。ほとんど自宅も同然だ」

「ちなみに、ここのセキュリティは?」

「最新鋭の軍事施設だからなあ、当然トップクラスのセキュリティを完備している。

 まずは監視網。赤外線センサーに監視カメラがてんこ盛り、その上で周囲をエーテルサーチャーが番犬代わりに巡回してる。通気口はせいぜい直径25センチのパイプで統一規格。排気ダクトには圧力センサーに金属感知器。外から人目につかず入れる唯一の出入り口のメンテナンスハッチでさえIDと生体認証、モーションセンサー。固いとかそんなレベルじゃない。侵入するのは不可能だ」

「ヴァルハラは空中空母だ。軍の演習に紛れて中には入れないのか?」

「エーテルサーチャーが不定期経路で巡回してる。登録外の術式が使用されると対象を即座に補足してごっついおじさんたちが群がってくる」



 レイヴァンの提案をカリヤが否定。



「貨物輸送便はどうかしら」

「専用の無人機が一日二回通ってる。けど搬入の際に生体センサーを潜らないといけない。センサーに引っかかればマイクロ波が照射されて体がレンチンされる」



 男だろうが女だろうが態度は変わらず。続く意見もあっさりとカリヤは却下した。



「認証関係のIDはどこで管理してる?」

「ヴァルハラ上層部の空冷式ストレージの中。この浮遊城のてっぺんにある馬鹿でかいダクトの中だ」

「そこだ」



 なにが「そこだ」なのか、カリヤは呆けた表情でアーセムを見た。



「そこだ、とは?」

「事前にこちらの認証情報を仕込んでおけば、全員偽装IDでセキュリティを抜け、中でどんな術式を行使しようがお構いなしだ。そういう事だろ?」

「方法があるとしたら、それが唯一の突破口だ」

「よし、それで行こう」

「待て待て待て待て」



 アーセムの早合点を制止するかのように、カリヤは差し向けた指を小刻みに震わせた。



「たしかに、ストレージの認証データをすり替えれば理論上は突破可能だ。だが肝心の空冷ダクトは頂部に圧力センサー、壁面を含め要塞を構成する材料は絶縁性非金属のスムースマテリアルだ。あんたのお得意の魔導式で磁力を発生させてくっつこうって腹だが、それは無理だ」

「センサーは常時稼働してるわけじゃないだろ。データバックアップのために24時間に1度セキュリティが切り替わる」

「確かにそのタイミングはあるにはあるが、せいぜい4、5分が限度だ。飛んでも走ってもそれまでに要塞へ張り付くのは無理だ」

「いや、もう一つだけある」

「なに?」



 アーセムはおもむろにクローゼットを開け、中に入っている服を片っ端から出しては投げ、出しては投げる。一分ほどしてようやく本命を引き当てたのか、最後にアーセムが勢いを付けて投げ寄越した一着の服は不細工な格好で天井に張り付き、そのまま落ちてくることはなかった。



「接着剤か何かか?」

「原理は同じだ。分子間力の力で平面に吸着する。自重の40倍の負荷にも耐えられる設計だ」



 そんなものをいったいいつどこで……カリヤはあっけにとられた顔で今も天井に張り付いたままのスーツを見つめていた。



「う、うん。まあたしかに可能だな。だがアーセム、忘れちゃいないか? 目的のブツは地上15000メートル空の上。外の気温はマイナス60度、酸素濃度は地上の6分の1以下だ。おまけに金属探知機の影響で壁外じゃ酸素ボンベも使えない。つまりあんたはそのヤモリのオバケみたいなスーツ一丁でフリークライミングをしなきゃいけないんだぞ」

「そうだぞアーセム。そりゃ荒唐無稽を通り越してアホの領域だ」

「やっぱり昨日頭を打ったのが悪かったのかしら……」



 当然といえば当然の反応である。高度15000メートル環境下のでの無酸素クライミングなど、まともな神経の持ち合わせがあれば思いつきすらしない無謀策である。そんな状況下で意識を保っていられるのはせいぜい五分が関の山、運よく認証データをすり替えられたとしても、その後任務を続行するだけの体力がアーセムに残されているとは思えなかった。そこまでの犠牲を払ってようやく入り口を通れるだけ。どう見積もっても人的リソースが足りなかった。それは分かっていたのか、アーセムはその点に関しての指摘を始めた。



「精神感応タイプの術者が要る。首尾よく中に入るまでの道は僕が作るが、その先の潜入と退路の確保は君たちでやってもらわないといけない。そのためにも彼女のバックアップは必須だろう」



 そう言って、アーセムは一枚のペラを机に置いた。



「リリー・ヘイズ。聞いたことくらいはあるだろう」

「確か国際手配中の詐欺師よね。証拠を残さないで有名な」

「証拠も残さない詐欺師が名指しで追いかけまわされるわけないだろ」



 写真の中で笑う女性は、まだあどけなさの面影を残していた。そんな可憐な見た目に反し、彼女が詐欺を働いたとされる標的のリストには錚々たる面子が揃っていた。



「国会の重鎮議員、マフィアのボス、省庁関係の重役、公安局員、新興宗教の教祖……すごいな、どいつもこいつも大物だ」

「そいつらは全員なんらかの罪で今は刑務所にぶち込まれてる犯罪者だ。リリー・ヘイズはそういう連中が稼いだ汚い金をターゲットにする義賊まがいの詐欺を働いてる。彼女の名前が挙がったのは、豚箱に送られた大物たちが一様に口を揃えてその名を口にしたからに過ぎない。実際状況証拠は揃っていたわけだしな」

「そんな正義の犯罪者ちゃん、一体全体どんな手で奴らを嵌めていったんだ?」

「彼女は非常に強力な洗脳術式を駆使しておっさんどもを骨抜きにして金を奪っている。証拠が残らないのはそのせいさ。リリー・ヘイズの術中にいる間は、奴らは何の迷いもなく彼女に金の隠し場所から口座番号まで吐いてしまうんだから」



 そして、目的を果たしたリリー・ヘイズは自身の名前を除く一切の記憶を被害者から消し去って姿を眩ませる。あえて名前を残すのは言うなれば犯行予告のようなものだとアーセムは推測していた。



「ヴァルハラは共和国の軍事力をフル投入したアウェイ中のアウェイ。故に絶対に騒ぎを起こしてはいけない」

「で、彼女がその鍵だと? 接触した人物の記憶を片っ端から消去して、なおかつスタインバーグ空幕長から無抵抗に情報を引き出すために」

「そういう事だ」

「彼女は今何処に?」



 もはや侵入までの無茶苦茶をとやかく言うつもりはなかった。ここまで話を進めた以上、アーセムは必ずやり遂げようとする。アーセム・レインとはそういう男なのだと、カリヤを始めここにいる全員が弁えていた。そうやって、これまで様々な不可能を可能にしてきたのが彼らナイトフォッグなのだ。

 全員の意見が一致したと見たアーセムは、リリー・ヘイズの居所を聞いたカリヤの質問に答えた。



「グリムヒルデ本島、ヨナタンハイン。そこの歓楽街を仕切っているマフィアの集会に彼女は現れる。今夜10時だ」

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