第5話 平穏の崩壊
月宮と昇降口で別れ、ようやく安らぎの時間が訪れる。
教室には、もうほとんどの生徒が来ているようで、廊下まで喧騒が聞こえて来る。
中に入って、自分の席に重くのしかかると、自然と大きなため息が出て来た。まだ学校が始まってすらいないにも関わらず、体はもうすでに放課後と同じくらいの疲労感に包まれている。
「瀬良! お前一年美女と一緒に来たんだって? 神崎から聞いたぞ! くっそ! 瀬良だけは仲間だと思ってたのに」
怒りと羨望が入り混じってよくわからない顔で話しかけて来たのは百坂弘樹。野球部所属でこのクラスのムードメーカー的存在だ。まあ俺は歩く拡声器ぐらいにし思ってないけど。
それにしても神崎のやつ……、俺で楽しんでやがる。
「おい神崎!」
俺は先に来て、優雅に読書なんかしてる神崎に声をかける。
「お、もう来てたのか瀬良。二回目のおはようだな」
文庫本をぱたったと閉じて、顔を上げる。その瞬間に窓から風が吹いて、神崎のさらさらした前髪を柔らかくなびかせる。本閉じただけでなんでそんなに絵になんの? もうイケメン怖いです。
「お、おう……」
おかげで吃っちゃったし。
「それより百坂に変なこと言うなよ」
「変なことって? 紬ちゃんといやいちゃしながら来てたこと?」
それを聞いた百坂の鼻息が荒くなるのを感じた。
「許さん……、許さんぞ瀬良! お前なんか……、幸せになればいいんだ!」
百坂は、妬んでるのか祝ってるのかわからない言葉を残して教室から走り去って行った。
「なにあいつ、まじうるせえだけじゃん。あれで野球うまいとか詐欺過ぎるだろ」
「ドラフト注目株らしいからな」
百坂は野球部のエースだ。うちの学校は過去に一度だけ甲子園に出場したことがあるいわゆる「古豪」だ。最近は地区予選のベスト八止まりが続いているが、その中でも百坂だけは異彩を放っており、高校二年生にしてすでにプロから注目を浴びている。実際、試合を一度見たことがあるが、いつもの百坂とは違いすぎて目を疑うほどだった。
「野球以外はバカだけどな」
「何か輝けるものがあるでけでもすごいじゃん」
「まあな」
いやあんた全部輝いてますやん。
「それで、紬ちゃんはなんなわけ?」
「それだよ。聞いてくれよ神崎」
泣きつく俺を神崎はネコ型ロボット顔負けの懐の深さで受け止めてくれた。
俺は神崎に、昨日野生のメンヘラに遭遇したこと、友達になるなんて言ってしまったせいで付きまとわれてることを話した。
「なるほどねえ」
話を終えた後に聞こえた声は神崎の声とは違う高いトーンの声だった。
「う、漆原。どこから聞いてた?」
「ん、全部。北代くんかあ。紬ちゃん? もまた変なのに捕まっちゃったね」
漆原は物憂げな表情だ。神崎もそれにつられるようにうんうんと頷いている。
「え、なにお前ら北代知ってんの?」
「まあ、よく話は聞くから。別に悪い奴ではないんだけどな」
「そうね、ただ『女好き』として有名かな。私はどこがいいのかわからないけど」
漆原は、軽くあしらうように笑う。
そりゃそうでしょう。神崎くんしかあなたに釣り合ったやついませんよ。
「いやいやいや、月宮の心配じゃなくて俺の心配してくんない?」
「そうね……、付き合っちゃえば?」
漆原は少し考えた後、はっと思いついたように言う。
「いや、話聞いてたんだよな?」
「俺もそう思う」
「なんでだよ!」
「お似合いだったし。なあ美麗?」
「うん、私も思った」
「それだけは絶対ないから」
「いーや、瀬良ならあるね」
漆原の表情はなぜか自信に満ち溢れている。
「どうせ瀬良は紬ちゃんを見捨てることなんかできないよ」
神崎は、もうめんどくさいのか、文庫本をぱらぱらめくりながら言った。
「だいたいあいつは俺のことなんか……」
「おーいみんな席につけ」
俺がまだ話を続けようとしたタイミングで先生が入って来たため、強制的に話がシャットダウンされる。
教室から喧騒が消え、散らばっていた生徒たちは各々の整然と並べられた席に着く。
この二人ならわかってもらえると思ったのに……。
遠くでは帰って来た百坂がまだ恨めしそうに俺を見ていて、ちょっと気持ち悪い。
学級委員の掛け声で全員が席を立って挨拶をする。
後ろのほうの席のやつらは、先生から見えないのをいいことに、腰を少しだけあげて、首を前に出すだけという意味のないズルをしている。それを先生に気づかれているかちらちら確認しているのが最高にダサい。気になるならすんなよ百坂。
「はい、百坂がちゃんとやってないので全員やり直し」
バレてんじゃねえかふざけんな。
◆
四限終了のチャイムと共に、教室のみんなが机を移動させたり、購買へと走り出したりと忙しそうに動き出す。
昼休みって何歳になってもなんかわくわくするよね。高校生になってちょっと大人ぶり出した俺たちも、四限終了のチャイムが鳴ると同時に自然と頰が緩む。
高校生なんて大人と子供の間だ、なんて言われるけど、俺はまだまだ子供だと思う。
一年生なんて、この前まで中学生だったのに、高校に入った瞬間「もうあなたたちは子供ではありません」なんて衝撃の事実を知らされる。
一年生……。
あああいつも一年生か。
ん? あいつ?
昼休みになって緩み始めていた俺の気が、再び強く縛られたが時すでに遅し。
「瀬良、呼んでるけど」
誰かが俺を地獄へ誘おうとしている。
「ああ、瀬良ならいないけど」
思わず自分で自分の存在をなかったことにしちゃったよ。
「いるじゃないですか! なんで嘘つくんですか?」
月宮が拡声器でも使ってるのかと思うほどの大きさで言うもんだから、クラスのみんながドアの方に視線を向ける。
月宮はここが二年生の教室であるということ、そしてみんなが不思議そうに自分を見つめていることに気づいて、顔を赤くしている。
ざまあ見ろ。ばーか。
「何の用だよ」
「おおおおお昼ごひゃ、ごはん一緒に……」
緊張のせいで、盛大に噛んだ月宮の顔に、身体中の血が巡って、今にも蒸発しそうになっている。
「絶対やだ。一人で食え」
「「はああああああああ?」」
俺が月宮をバッサリ切ったことに反応したのは月宮本人ではなく、教室で様子を伺っていたクラスメイトたちだった。
「え……? なんで?」
「瀬良お前! こんなに可愛い子に誘われてんのにそんな言い方ねえだろ!」
真っ先に声を上げたのは朝先生に注意された百坂だった。
「は? いやちが……」
「そうだよ瀬良くん、彼女さん勇気出して二年生の教室まで来たっていうのに!」
「お前それでも男か!」
「こんなに緊張してまで瀬良くんのこと誘ってるんだよ!」
百坂を筆頭に、教室の意至る所から俺への罵声が飛ぶ。
え、なにこれ。俺が悪いの?
「お前ら勘違いしてるって! こいつはただ噛んだことに……」
俺が弁解しようとすると、腕になにか柔らかいものが飛びついて来た。
「瀬良先輩……、嫌……ですか?」
声が聞こえて下に目をやると、月宮が儚げな表情で俺を見上げてた。
誰か味方はいないかと、周りを見渡すと神崎が視界に入った。
助けを乞うように、目を潤ませてみたが、神崎は爽やかに微笑むだけだった。今その笑顔いらねえよ!
漆原は神崎の隣で笑いをこらえるのに必死で、口元を手で押さえている。
あんのクソカップル……。
「……わかったよ」
俺が諦めて承諾した瞬間、月宮の目がキリッと光って、右の口角を不気味に引きつらせた。
おいみんな、見ろこの顔。この悪魔みたいな表情をしっかりと目に焼き付けろ。
そう訴えたかったが、クラスはもう俺らを優しく見守る雰囲気が出来上がっていて、誰も月宮の表情になど気づいていない。
「先輩っ、行きましょ」
「……はあ」
平和な時間を月宮紬という人間核兵器に奪われた俺は、魂を抜かれた状態で、月宮に連行された。
瀬良拓真、十七歳。本日家族とクラスを乗っ取られました。
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