読書

読書が好きだ。昔は普通だったのだけど、大人になってから読書量が増えた気がする。以前は一冊をじっくり読んで、最後まで読み終わったら次の本を読むということをやっていたのだけど、最近は変わってきた。


2、3冊同時並行するようになってきた。一冊は紙の本でもう一冊はKindleで、それ以外にカクヨムで他の作家さんのをあちこちぶらぶらして読ませてもらっている。読みすぎで、頭痛がする時が結構ある。


今読んでいるのは元コピーライターの人が書いた本だ。『読みたいことを、書けばいい』。これは読みやすくてすらすら読んでしまった。ユーモアもあり、読んでいる途中でクスッと笑えるところもあり、ためになる事が書いてある。文章の書き方のハウツー本というより、どういった心待ちで書けば良いかと言うような感じだ。自分が読者第1号なのだから自分が面白いと思うこと、自分が読みたいと思う事を書くと良いとか、文章のいらない部分を削って編集しようとか、くどくど長い文は良くないらしい。なるほどなと思う事が書いてある。小説家とエッセイストは頭の構造が違うとも言っていて、小説家は優れたエッセイが書けるけど、その反対は難しいとか。そうかもしれないねと思いながら、そこは深く考えないようにする。自分語りは良くないとも。有名人でなければ、無意味みたいだ。それを言われると、私はほとんど自分語りなので、耳が痛い。自分語りしないと『ゆるゆる〜』は書くことが無くなってしまうから。


もう一つは、ついにオスマン帝国の歴史に纏わる本を買ってしまった。ヒュッレムが出ていたので。その他のページには歴代の有名なスルタンや芸術家などで私としては全く聞いたこともない人々の話が沢山載っているのだけど、読んでみようと思う。ドラマでは大宰相や皇帝が詩を読んでいたりして、ダンテの『神曲』を読んでいるなどという会話があった。あの2人は『神曲』に影響を受けているのかなどと思ったりした。私も大学生の時に『神曲』を読んだのだけど、難しすぎて何が言いたいのか分からなかった。こう言った発見から派生して知識が増えていくのが楽しい。今まで、トルコは興味の対象外だった。ドラマで興味を持つ。ドラマは私にとってのあらすじ書きのようなもので、図書館司書のような感覚だ。


本は作者との対話だとか誰かが言っていたけど、確かにそうだなと思う。作者の1人語りを聴いている気がする。本を読むと作者の言っている事が理解できない部分というところが必ずいくつか出てくる。そこは自分の知識や考えを持ってこういう事が言いたいのかなと思いながら、こうですか?こう思っているのですか?と疑問を問いかけながら読むのが作者との対話なのかなと思う。作者の考えと自分の解釈のすれ違うところ、これが対話なのかなと思う。難しいこと考えていたら頭が痛くなってきそうなので、今日はこの辺にする。







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