妖怪も酒に飲まれて愚痴を吐く 坂の上クラフトビールバーへようこそ
ルっぱらかなえ
第1話 あかなめ×上方ビール
「坂の上クラフトビールバー」は、その名の通り、坂の上にある。
裏路地をぐんぐん進み、これでもかとぐんぐん進んだところに、突然ぽっかりとあらわれる坂。その坂をさらにぐんぐん上っていくと、運がよければ出会うことができるビアバーだ。
日本各地のクラフトビールを仕入れ、ドラフトや瓶で楽しむことができる。その種類は500銘柄以上。
入り口には小さな裸電球がひとつ。
表札くらいに小さな看板を、ゆらゆらと照らしている。
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「風呂を舐めるって仕事がどんだけ大変か、全然わかっちゃいねぇんだよ!!!それをよ猫娘のやつ、垢が好きだから風呂舐めてるんだろなんて言いやがってよ」
今日のお客さんは全身緑だ。
目を見張るほどに長い舌で、その舌はお酒を飲むとにはうまいこと丸めている。
話すときには、口から飛び出んばかりに動いているにもかかわらず、グラスに口をつける瞬間にくるくるっと丸まる舌の動きが面白く、わたしは隠れてその様子をずっと観察していた。
「マスターはわかってくれるよな?俺が垢を好き好んで舐めてるわけじゃねえって」
マスターはグラスを拭きながら、穏やかなほほ笑みを返す。
「それはもちろんですとも。垢嘗めさんがお好きなものはどっしりとしたクラフトビールと、燻製ナッツです」
「そうなんだよ。そりゃあもちろん風呂を舐めるよ?でもそれは仕事なんだよ、仕事。それをよ、猫娘はよ『垢嘗めさんの食事って垢じゃないんですか~?』とか言いやがったんだよ。あんなもん味なんてまったくしやしねえっつーの」
「垢って、人によって味違いそうですけどね……ほら食べてるものも違うわけだし、使っているシャンプーだって違うわけですし」
わたしがぽつりとつぶやくと、垢嘗めはぎろりとこちらを睨んだ。ぎらぎらと光る黄色の目で睨まれると、さすがに怖い。
「ってかマスターこの人だれよ?」
長い爪と、節くれだった指でわたしを指さす。
「今月から新しくバイトに来てもらっている、佐伯さんです。どうぞ、お見知りおきを」
垢嘗めはふんっと鼻息荒く、再びわたしを睨んだ。
「あんたも妖怪?」
「いえ、わたしはなんていうか……ただの人間です」
わたしはおずおずと答える。
そうだ。ただの人間なのに、気づいたら妖怪が常連客のクラフトビールバーでバイトをすることになっていたのだ。
「どれ、舐めてみてやるよ」
そういうと、垢嘗めはべろりとわたしの腕を舐めた。
「ひいいいいっ……!!!」
「食事はコンビニ飯ばっか。風呂は3日に1回だろ」
口をもごもごしながら垢嘗めがいう。
「ちょっと!突然舐めるとか!やめてください!いくらお客さんだからってセクハラですよ!!!それにお風呂は1日おきには入ってます!」
「ボディーソープは、ビオレu」
「やっぱ、めちゃくちゃ味わってるじゃないですか!」
垢嘗めはグラスをぐいっと煽ると、残りのビールを一気に飲み干した。
「マスター、度数の高いやつなんかちょうだい。あと自家製燻製ナッツも」
「かしこまりました。ではダブルIPAでなにかご用意させていただきますね」
5杯目のグラスに口を付け始めた頃。
垢嘗めはすっかり酔っ払い、カウンターに突っ伏して、マスターにぐちぐちと愚痴っていた。
緑の肌はお酒が入ったことで、どす黒く見える。
「マスター知ってっか?最近の風呂ってきれいなんだよ。風呂桶のよ、素材自体が変わっちまったのよ。「汚れが付きにくく、キレイ長持ち~」なんて言っちまってよ。カビなんて生えやしねえの」
「そうなんですね」
マスターは相変わらずグラスを拭いている。
「そりゃもちろんそんな新しい風呂ばっかじゃねぇよ?昔ながらの古い風呂桶だってたくさん残ってるけどよ、洗剤がさ、こりゃまたいいんだよ。こすらなくても吹き付けるだけで汚れがよ、落ちちまうんだよ。あとは焚くだけでカビが生えなくなったりよ……ありゃ便利だよ……」
「あ、それわたしも使ってます!いいですよね~」
「あぁん?!」
会話を盛り上げようと、軽く相槌を打ってみたものの、思いっきり睨まれてしまう。
「そりゃあ人間はいいよな?でもよ、俺たち垢嘗めはどうすんだよ!死活問題なんだよ、風呂がきれいだとよ!」
(そんな垢嘗め時事問題なんて……知ったこっちゃない!けどこわっ!!!)
さすがは妖怪だ。圧を向けられるとやはり恐怖を感じる。たとえだいぶ酔っぱらっていて、むき出した歯の間にナッツが挟まっていたとしても。
「いいか、俺たち垢嘗めはきたねぇ風呂を舐める妖怪だ。『ほら掃除しねえから妖怪が出たぞ』っていう戒めの妖怪なんだよ。それが風呂がキレイだったら出る幕がねぇじゃねぇか」
垢嘗めは手元のグラスを一気に煽る。
「俺らはよ、風呂桶を舐めるのが仕事なんだよ。それが舐める風呂がなくなっちまったら、存在意義がなくなっちまうだろうよ!」
「たしかに……」
「おい人間!思ってても、たしかにとか言うんじゃねぇよ!」
とんだ絡み酒だ。垢嘗めは長い舌をだらりとたらしてこちらを睨んでいる。
「まぁまぁ」
マスターがほほ笑みながら間に入ってくると、垢嘗めの前に一本のビールをコトリと置いた。
「佐伯は人間歴が短いので、失礼をすみません。もしよければ、わたしのおすすめの一本飲みませんか?」
垢嘗めはふんっと鼻息荒く、黙って空のグラスを差し出した。
「こちらは上方ビールのヴァイツェンです。」
白いラベルに金色の文字で『上方』と大きく入った瓶。マスターは新しいグラスを垢嘗めの前に置くと、ビールを注いだ。
「お、こりゃ飲んだことないやつだ」
「そうですね。最近当店で取り扱いをはじめた、大阪の醸造所のビールです。さぁ、どうぞ」
グラスの中は少し濁りのある美しい黄金色の液体で、もくもくとした豊かな泡が覆っている。
垢嘗めはグラスを手に取ると、最初はぺろりと、そして二口目以降はごくごくと喉を鳴らして飲んだ。
「こりゃあうめえな。このビール、ヴァイツェンらしい香りの中になんだがレモンのような爽やかさもある。すっきりドライなのに、コクもあってマイルドで……」
満足そうにげっぷする垢嘗めをみて、嬉しそうにマスターがいう。
「このビール、垢嘗めさんにぴったりだと思って仕入れましたが、気に入ってもらえてよかったです」
「おん?なぜこれが俺にぴったりなんだ?」
よほど気に入ったのだろう。垢嘗めはグラスに舌を浸したまま、器用に話している。
「このビール、実は銭湯で醸造されているんです」
「あ?銭湯って……あの風呂の銭湯か?」
「はい。あの銭湯です。醸造家の方は、ビール造りに適した場所を散々探し回った結果、銭湯という理想的な場所を見つけたそうです。醸造に必要な広さ、頑丈さ、麦芽を熱湯に浸すためのボイラーなど、銭湯には、ビールを醸造するのに必要な設備が揃っていると」
銭湯で造られている、ということがよっぽどうれしかったのだろう。垢嘗めは話に小さく頷きながら、グラスの中のビールをじっと見ている。
「結果、廃業していた銭湯はクラフトビールの醸造所として生まれ変わりました。ビールは牛乳瓶に入れて脱衣所で飲めるそうで、クラフトビール好きのみならず、銭湯好きからもかなり人気があるそうです。元の形とは全く異なる業態にはなりましたが、銭湯自体もさぞかし喜んでいるのではないかと思います」
「……時代の流れと共に、形を変えるってやつか」
「そうですね」
「俺たち妖怪もよ、時代と共に変化する必要があんのかもしれねぇな」
小さくため息をつく垢嘗めのグラスに、マスターが残りのビールをグラスに注ぎながらいった。
「現代社会は妖怪たちにとって、さぞかし生きづらい時代でしょうね」
「……あぁまったくな」
「でも妖怪たちがいたからこそ、いまがあるのだと思います。もし垢嘗めさんがいなければ、わたしたちは『風呂をきれいにしなければいけない』と思っていなかったかもしれません。もし浴槽が汚いことが当たり前だったとしたら、このビールの醸造家さんが銭湯を訪れたとしても「ここでビールを造ろう」とは思わなかったかもしれないですね」
「たしかに……そうかもしれねぇな」
(そうか?いや、垢嘗めが舐めにこなかったとしても、汚いお風呂は生理的に無理だと思うけど……)
心の中で突っ込みつつも、ふたりが『いい話』をしているので黙って頷いておく。
「マスター、このビールもう一本もらえるか?」
垢嘗めはグラスをぐいっと空にした。
「俺も……俺もなんか新しいこと、はじめられっかな」
「もちろんです」
マスターはにこにこと、ビールを注ぐ。
「もちろん、か……なんだろうな、俺の変化する先ってよ」
「あ、垢を舐める技を利用して、家事代行とかしたらどうですか?!」
はっと思いつて思わず口に出す。
「それか、お風呂をきれいにするノウハウをyoutubeで配信していくとか!ほら、なんやかんやで赤カビとか生えちゃうじゃないですか」
「……」
垢嘗めは口に手を当て、むすっと黙ったままだ。
「えっと……なんかまたお気に触ったのであれば……」
「こんなんはどうだ!?」
垢嘗めは突然椅子から立ちあがった。
「あなたのカビを、ちょちょっと頂戴!アイドルグループ妖怪垢嘗め とかよ!5人くらい垢嘗め集めてよ、ネット配信してくんだよ」
「えっと……あの……その需要はどこに……」
「長い舌は、熟練の証!あなたの心の隙間を埋めちゃいます!垢嘗めレッド、なんて感じでよ!」
「いや……えっと……」
「なるほど。いいかもしれませんねぇ」
突然の豹変ぶりにしどろもどろしているわたしの横で、マスターは穏やかに拍手をしている。
「なんだか盛り上がってきたな!マスター、もう一本!」
**********
はてさて。坂の上クラフトビールバーの夜はとっぷり更けていく。
生きずらい世の中よ。今宵も妖怪たちが酒を飲んで飲まれて愚痴をはく。今夜のお客は垢嘗めさん。次はどんなお客が来るのやら。
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