第5話 侍従科の生徒
灰谷さんに十畳ほどの別室へ案内された後、僕たちは声がかかるまで待機することになった。
教室でのガイダンスの後、休憩を挟むことなく呼び出されたことで昼食を摂っていない。そのせいもあって、油断していると腹の虫が鳴りそうになる。
携帯端末を取り出し時刻を確認すると、すでに十三時を過ぎていた。
お腹が空くわけだ、と納得する。
そこで、当然気になるのは家族二人の存在。
(冬華ねぇと琉夏はもうお弁当食べたかな……)
あの二人のことだから測定が終わるまで僕を待っている気がする。
「先に食べてていいよ」と連絡をするためにメッセージアプリを開く。しかし表示されたのは誰一人の名前も登録されていない空白のモニター。
(っと……そうだった。まだ二人の連絡先聞いてないんだった)
お世話係だった僕は、携帯端末を持つことを許されていなかった。今手元にあるこれは、冬華ねぇたちと一緒にエデンガーデンへ来ることが決まってから買い与えられたもの。
普段使いしていなかったこともあり、二人の連絡先を登録することをすっかり忘れていたのだった。
表示された携帯端末のモニターを閉じため息をつきながら肩を落としていると、不意に足元に影が差す。
何事かと見上げると、僕よりも一回り大きな体格をした青年が挨拶代わりに腕を上げていた。僕の太腿ほどありそうな腕の太さに圧倒されるが、表情に出ないよう何とか平然を保ち、小さく会釈。
「取り込み中か?」
「いや、そんなことないよ。えっと、君は確か……」
「フレイ=スーヴェンだ。フレイって気軽に呼んでくれ」
フレイはそう言うと、にかっと笑みを浮かべ手のひらを差し出す。まさに好青年といった印象だ。僕は差し出された手をゆっくりと握り返した。
フレイの手のひらは、僕と同じものとは思えないほど硬く、鋼鉄のようだった。さらにいくつもの
それだけでフレイが積んできた鍛錬が相当激しいものだったことが伺えた。
「僕は――」
「
どうして僕の名前を――と聞き返そうとしたが、教室で自己紹介したことを思い出した。
「うん。その方が僕も分かりやすい。よろしく、フレイ」
「おう。——そっちのキミも」
フレイは少し離れた位置で縮こまって座っている少女に顔を向けた。長い前髪で顔が隠れた女子生徒。その前髪から時折覗かせる大きな瞳は、淡い桃色をしている。その特徴的な瞳に、僕は一瞬目を奪われた。
少女は自分の事だと思っていなかったのか顔は俯いたまま。やがて僕とフレイの視線に気が付くと、慌てて返事をする。
「はぃ」
風が吹けばかき消されてしまいそうなほどか細い声だった。
「
安桜さんは小さく頷く。
(よかった。間違ってなかった)
内心ホッとする。
少し特殊な環境下で育ったせいで、これまで他人との関わりをあまり持ってこなかった。そんな僕にとって、名前を覚え、顔と一致させるのは勉強よりも難しく、今でも一度の顔合わせ程度ではクラスのほとんどを覚えていなかった。
そんな僕でも彼女のことは覚えていた。
それは安桜さんこそ、今朝の騒動の時に駿河の後ろに控えていた――つまり、駿河に着く侍従科の生徒だからだ。
しかしそれを何と勘違いしたのか、フレイはにやにやと含みのある笑みを浮かべ、僕の脇腹を肘で
「なんだよ。シキは女子の名前は憶えてんだなっ」
「違うって。そんなんじゃないよ」
「隠すな隠すなっ。俺だって野郎よりも女子の名前の方が覚えやすいしなっ」
そう言うとフレイは、僕にしたように安桜さんに手のひらを差し出した。
「フレイだ。よろしく、安桜」
「ぇ……ぅ…………ぁ」
ずいっと差し出された手のひらに安桜さんは怯えた様子を見せる。
そんな安桜さんに首を傾げるフレイの肩を、僕は軽く叩き首を横に振った。
「いきなり距離を詰めすぎだよ。フレイの良いところかも知れないけど、苦手な子もいるって」
「ぁ……。そ、そうだよな。ごめん、安桜」
その大きな身体をくの字に曲げ、
「ぅ、ううん。わ、わたしこそ、ごめんなさい。む、昔から大きい人、苦手で……」
「同じ侍従科なんだし、焦らずゆっくり距離を縮めていけばいいんじゃないかな?」
この二人が学園を退学することにならなければ、最低でも三年間は一緒に過ごすことになる。親しい間柄や関係を築くことは何よりも重要なことだと思うけれど、急ぐことでもない。
フレイは頭をわしゃわしゃと掻くと大きなため息をついた。
「お嬢にも昔から言われてんだ。『お前は距離が近すぎる』って。意識してるんだけど、なかなか直らなくてよ」
「無理に直さなくてもいいと思うよ。僕はコミュニケーションが苦手で受け身ばかりだから、フレイのその性格は羨ましいかな」
安桜さんも賛同するように控えめに小さく頷いた。
「そ、そうか? ……そう言ってくれると助かるぜ」
フレイは少し照れ臭そうに頭をかく。
そんなフレイの表情を安桜さんは意外そうな顔で見ていた。そしてくすっと笑みを浮かべる。どうやら少し距離が縮まったようだった。
「ところで、お嬢っていうのは?」
「ああっ! すまんっ。つい、いつもの癖で呼んじまった」
フレイは咳払いをして場の空気を変える。
「お嬢ってのは、俺が仕えてる主人のことだぜ」
自分のこと様に、フレイは誇らしげに胸を張った。鍛え上げられた胸筋が隆起する。制服のボタンが弾けそうで怖い。
僕は苦笑いを隠しながら、フレイの仕えている生徒を考える。とは言え、冬華ねぇと琉夏、そして駿河を抜いたⅠクラス内最後の成績優秀者となれば、思い当たるのは一人しかいない。
「……ミシエルさん、かな」
「へへっ。さすがにお嬢の名前は憶えてるかっ」
フレイは嬉しそうに笑みを浮かべた。
フルネームでアリシア=ミシエル。入学式で新入生代表の答辞に選ばれた女生徒。そして昨年、世界が驚嘆した少女の名前を知らないわけがなかった。
特出すべきは彼女の
詳細は知りえないが、カテゴリーB程度にも関わらず、上位ランクであるA、さらに好条件ならば能力者の最高到達点であるSランクにも対抗できる唯一の
加え、頭脳明晰かつ
最初期は「
一時期、テレビやネット、新聞といったあらゆる情報媒体は彼女の話題でもちきりだったのは記憶に新しい。
「『お嬢』って呼んでるってことは、それなりに気心の知れた間柄なのかな?」
「まあなっ。なんてったってお嬢とは生まれた時から一緒だからな」
まるで子供のように自慢げに話すフレイに、僕と安桜さんは目を合わせるとくすくすと小さく笑う。それを見たフレイは、少しだけ顔を赤らめて恥ずかしそうに頭を掻いた。
フレイは二度三度強い咳払いをすると、今度は僕に尋ねた。
「シキが仕えてるのは、トウカって子だろ?」
「いや、僕が侍従してるのは冬華ねぇと琉夏の二人。二人とも成績優秀者なんだ」
「珍しいな。二人に対して一人が仕えるっていうのはできるもんなのか?」
フレイが首を傾げる。
「特殊だけど前例がないわけじゃないみたいだよ」
「ふーん……。シキとその二人って確か同じ名字だよな? いわゆる本家と分家のようなもんなのか?」
同じ姓の人間がクラスに三人もいて、さらにそのうちの一人が侍従科生として残りの二人に仕えているのだから、そう思われても当然なのかもしれない。
僕は首を横に振って、それを否定する。
「いいや。僕らは血のつながった家族だよ。冬華ねぇが姉で、琉夏が妹かな」
僕のその言葉にフレイは事情があることを察したのか、「そっか」と一言だけ返す。
そうしてちょうど話がひと段落着いた頃、扉が開く音と共に気まずそうな表情で灰谷さんが顔を覗かせた。
「あー……。仲良くなってる最中にごめんね。準備ができたんだけど、いいかな?」
両手を合し「ごめん」ともう一度謝る灰谷さん。研究棟の責任者で天才研究者とは思えないその物腰の柔らかさに僕たちは恐縮してしまう。
「むしろ良いタイミングでした。それで、最初は誰を測定するんですか?」
灰谷さんの無言の視線がフレイを捉えた。
「俺ですか?」
「うん。いいかい? フレイ君」
「うっす」
フレイは体育会系の返事をすると、灰谷さんの元へと向かう。
その途中、僕らを振り返って挨拶代わりに手を上げた。
「それじゃあ、また。明日からお互いに頑張ろうぜっ」
それに僕は腕を上げて返し、安桜さんは小さく頷いた。
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