第3話

 時間がもったいないと言った通りに、日向は足早にいつもの空き教室へ向かった。そのあいだの雪羽と言えば、ひどく大事に抱えられて、恥ずかしさのあまり胸元に顔を埋めるので精一杯だった。

 触れた場所から伝わる二つの音が混ざり合って、やけに早鐘を打ち始めると気持ちはどんどんと高ぶった。


 教室の前に着くとようやく日向は雪羽を下ろしたが、しっかりと手を繋がれ胸の高鳴りは止むことがない。抱きしめられるのは慣れた。手を繋ぐのだって大したことではない。

 それでもいま手が熱くなるほど緊張してるのは、この先の展開を想像しているからだ。それを自覚して雪羽の顔は火が付いたように火照って赤くなる。


「雪、なに考えてんだ? 顔がすげぇ真っ赤だぞ」


「なっ、なにも考えてなんかないっ!」


「嘘つけ、期待した目をしてる」


 戸に手を突いて囲い込むように身体を寄せる日向に、視線をさ迷わせる雪羽はギクシャクとした動きでその身体を押し止める。けれどさして力のこもっていないその手は容易く押し戻された。


 顔を傾けゆっくりと近づく日向の視線は目を伏せる雪羽をじっと見つめている。数センチ、数ミリ先まで近づいて、雪羽は慌てて目線を上げるが、口を開く前にそれを塞がれた。


 うっすら開いた隙間に濡れた舌が滑り込み、逃げを打つ雪羽の舌を絡め取る。じゅっと舌先を吸い上げられる感覚に、瞳を揺らしながら雪羽は涙を浮かび上がらせた。

 茹で上げられたみたいに顔が熱くて、目の前が潤んで、手を伸ばして日向にしがみつく。


「んっ、ひゅう、が」


 震える手でブレザーの襟元を必死に掴むと、腰に腕を回されて身体を引き寄せられる。角度を変えながら深く合わさる口づけに、もう雪羽は腰が砕ける寸前だ。


 それでも口の中を余すことなく撫でられ、舌をこすり合わせられながらも必死で応えようと舌を伸ばす。喉の奥に溜まる唾液を飲み下せば、また舌が絡んで滴るほど唾液が溢れてきた。

 背中がざわざわとして、身体の熱が中心に集まり始める。もじもじと腰を揺らせば、小さな尻を鷲掴みにされて、さらに引き寄せられる。


「や、だっ、離せ」


 芯を持ち始めた熱を脚にこすりつけられると、じんとした甘い痺れが身体に走る。その感覚に慌てて腰を引こうとするが、それは容易く阻まれて尻を掴んでいた手に割れ目の奥を撫でられた。


「ひゃっ、ま、待ったっ! んんっ、日向」


 飛び上がるように肩を跳ね上げた雪羽は、掴んでいた襟元を離してそこを両手で叩く。身をよじりながら必死の抵抗を見せると、尻から手が離れて背中を抱かれた。


「雪羽、舌出して」


 熱くなった頬を手のひらで撫でられ、親指で口を大きく開かされる。さらに指先を口の中へ突っ込まれると、逃げるように舌を出してしまう。

 すると途端に舌を合わせるようにべろりと撫で上げられた。するとぞわっと毛が逆立つ感覚に肩が震えて、盛り上がった涙がこぼれ落ちる。


「泣き顔、可愛い」


 満足げに目を細めた日向を雪羽は泣きながら睨み付けた。けれどそんな目は相手を煽ることにしかならず、再び深い口づけを与えられる。

 唇が離れた時には完全に腰が抜けていて、支えられなければ立っていられない状態になった。泣きっ面の雪羽に日向は至極楽しげに笑う。


「なんなんだよ、もう! 日向は! すぐそうやってエロい方向に持って行こうとする!」


「雪羽が誘うような顔をするのが悪い」


「絶対にしてないっ!」


 再び抱き上げられて教室に入ると、窓際の定位置に下ろされた。そこには段ボールとアルミシートが広げられていて、寒くなった教室でも底冷えしないようになっている。

 もちろん持ち寄ったのは二人で、机の上に置いた段ボールの中にはブランケットまで常備されていた。


「怒るなよ。まあ、怒った顔も可愛いけど」


「日向のそういうところ! 俺を馬鹿にしてんのか!」


「雪羽のそういうとこ、可愛いな。馬鹿にしてねぇって」


 思いきり頬を膨らませた雪羽に日向はやんわりと笑みを浮かべる。そして尖った口先にキスを落として、背後の壁に押しつけるように身体を寄せてきた。

 その気配に雪羽はとっさに身を固くするが、しっかりと肩を掴まれてまた唇を食むように口づけられる。


「も、もう駄目だ! もう駄目! ここで変な気を起こすなっ!」


 舌を忍ばせようと唇を舐めてくる日向を雪羽は力一杯両手で押しやった。無理矢理に引き剥がされた日向は不服そうな表情を浮かべてくるが、それでも力を緩めずに顔を背けるようにそっぽを向く。


「雪、お前は俺にどれだけ我慢させるんだよ」


「お、お前はなんでそんなにしたがるんだよ」


「当たり前のことを聞くな。雪羽のこと愛したいからに決まってんだろ。大体、週に一回もやらせてくれねぇくせに。俺が迫らなきゃ、二、三週にいっぺんだろうが」


「そんなに頻繁にやることでもないだろっ」


「あのな! 少なすぎるくらいだっ!」


 押しのける雪羽とそれを押し返そうとする日向の攻防が続く。二人はホワイトデーのあとから身体を重ねるようになったが、いつもこうしてやるやらないと言い争いが起こる。

 淡泊すぎるほど淡泊な雪羽のおかげで、人並みの性欲を持つ日向が駄々をこねるというやり取りが続いていた。


「最低でも週二回はやらせろ」


「そんなにやったら身体が持たないっ! 日向ねちっこいじゃん! いっつも終わったあと身体ガクガクなんだからなっ」


「それはお前がやらせてくれないからだ。一回で十回分くらい堪能しないと次いつあるかわかんねぇだろ。それがいやなら回数を増やせ」


「ううっ、それは」


 目の前に迫った視線に雪羽の目が明後日の方向を向く。決して行為が嫌なわけではないが、迫られるとどうしていいかわからなくなる。

 している時の自分を思い返せば、羞恥でおかしくなってしまう。自分が自分でなくなるような感覚が雪羽は苦手だった。


「やってる時はとろっとろになってるくせに」


「それが嫌なんだよ!」


「いいじゃねぇか、気持ちいいのは嫌いじゃないだろ」


「こ、ここでやんのは、絶対やだからな」


「俺はいますげぇムラムラしてる」


「やだ、絶対やだ! 来るたび思い出す……っ!」


 ジタバタと手を振り回して暴れるが、その手を両方壁に縫い止められて唇を塞がれた。吐き出そうとした言葉も全部飲み込まれてしまい、雪羽は大きく目を見開いて目の前の顔を見つめる。

 さらに食らい尽くすような勢いで口づけられると、くたりと身体の力が抜けた。どれだけ文句を言っても身体は正直だ。慣らされた身体は与えられれば与えられるほどそれに反応を示してしまう。


「日向、や、だ」


「いい子にしてたらうんと気持ちよくさせてやるから」


 掴まれた手首をひとまとめにされて、ブレザーの裾から忍び込んだ手がシャツをたくし上げる。ひんやりとした外気が肌に触れて無意識に肩が震えた。肌を撫でる手にゾクゾクとしてしまい、あらぬ声が漏れそうで雪羽は口を引き結んだ。

 腰や背中を撫でる手は次第に胸元まで伸びてきて、冷たさに反応して立ち上がった胸の尖りをつまむ。指の腹で押しつぶされると雪羽の口からは小さな声が漏れた。


「もっと声を聞かせてくれてもいいんだぜ」


「だ、めだ。外に漏れたら、困る」


「まあ、確かに、雪羽の声を他のやつに聞かせるのは惜しいからな」


「馬鹿、……日向、キスして、口塞いでて」


「可愛い」


 潤んだ目で茶色い瞳を見つめれば、その中で熱が揺れた。それを見るとその熱に浮かされたみたいに身体が熱くなる。

 ほかのものが映らないみたいにまっすぐな熱を帯びた眼差し。いつもなだめすかされて言いようにもてあそばれるのが癪だけれど、その瞳に自分だけが映っている瞬間が雪羽は好きだった。


 優しく唇を重ねられてその甘さに頭が痺れそうになる。胸が締めつけられてたまらない気持ちになる。心の奥底から想いが溢れて堰を切ったように流れ出す。


「日向、好き。……お前のこと、すごく好きだ」


「ん? どうした? 急に甘えただな」


「俺、お前を他のやつに、盗られたくない」


「おい、お前な。俺がよそ見すると思ってんのか? まだ愛され足りねぇのかよ」


 戒められていた手が解けて、身体をきつく抱き寄せられた。それだけのことなのになぜだかひどく嬉しくて、雪羽は思わず瞳に涙を浮かべる。


 けれど泣き出す寸前みたいな鼻をぐずつかせる雪羽に、困ったように笑った日向はあやすように何度も背中を叩いた。胸の音に合わせるようにゆっくりと、繰り返し優しく背中に触れるぬくもりが雪羽の心に染み込んでいく。

 ほのかに胸に灯る温かさに、両腕を伸ばしてしがみ付く勢いで雪羽は日向を抱きしめた。


「俺が日向に似合わないなんてことは、俺が一番わかってる。だけど、それでも俺は日向がいい」


「馬鹿、いいか悪いかなんてことは他人が決めることじゃねぇよ。俺と雪羽の気持ちの問題だ。俺はお前がいいって思ったから好きだって言ったんだ。雪羽以外、俺は嫌だ」


「うん、他のやつになんて言われても、日向は手放したくない」


 強がったことを言っても不安がある。いつか誰かに引き離されてしまうんじゃないかって、そう思ってしまう弱い心がある。


 否定されることは初めてではない。いままでも似合わない、不釣り合い、目障りだと囁かれたことはある。それでも雪羽が日向の傍にいるのは信じているから。まっすぐにその心は自分に向けられていると、そう思っているからだ。

 しかしどんなに信じていても不安は心を侵食する。積み重なるたびに軋みを上げて、打ち据えられるたびにひび割れていく。


「雪羽、好きだ、愛してる。お前だけだ、いまも、これから先も、ずっとお前だけだ。何回だって言ってやるから、もう泣くな」


「うん、ありがとう日向」


 隙間がなくなるくらいに抱きしめられて、軋んだ胸をなだめすかされていく。ひび割れた心に優しさが染み込んでくる。

 すり寄るように寄せられた頬が涙で濡れても、抱きしめる腕は雪羽を離さなかった。

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