第2話

 なんの躊躇いもなくその店の扉を開くと、日向は雪羽の手を握ったまま堂々と店の中に入っていく。扉に付けられたベルで来客を悟ったらしい店員が奥から「いらっしゃいませ」と顔を出す。するとその店員は少し驚いた顔をして日向を見つめ、そしてそれから雪羽を見つめた。


「お、丁度お前の噂の真っ最中だったんだぜ」


「は? なんの? くだらない噂してんなら帰る」


 気安い調子で話をする日向と店員の男を視線で追いながら、そわそわとした様子を見せる雪羽に店員の男は口の端を上げて笑みを浮かべた。

 男は人好きするような柔和な顔立ちに顎髭を生やした三十半ばくらいの雰囲気。中折れ帽子をお洒落に被り、カットソーにデニムというシンプルないでたちに、アクセサリーを華美にならない程度に身につけている。背の高さは日向と同じくらいだ。


「あんまり見るな。見るなら俺を見てろ」


 じっと男を見つめている視線に気がつき、日向は気分を害したように眉を寄せると雪羽の顔を指先で自分のほうへと向ける。


「はっ? え、そういうつもりじゃねぇよっ」


 急に機嫌を損なった日向に慌てて顔を横に振るが、繋がれた手を引かれ身体を引き寄せられた。ぴたりと隙間なく身体が寄せられ、雪羽が顔を赤くしながら離れようとすると、日向はムッとした顔をしてそれを阻止した。


「あははっ、日向、お前もうちょっと日本のルール覚えろよ。子犬ちゃんが可哀想だろうが」


「竹芝うるせぇ」


「日本のルール?」


 腹を抱えて笑い出した竹芝と呼ばれた男は、日向の睨みも然して気にせず、涙目になりながらも笑い続けている。

 そんな中、竹芝の言葉に引っかかりを覚えた雪羽は小さく首を傾げて日向を見つめた。その視線を感じたらしい彼は、ほんの少し気まずいような複雑そうな表情で雪羽を見下ろす。


「子犬ちゃん、こいつ四年前まで外国育ちなんだよ。しかも愛の国おフランス育ちだから愛情過多なんだよな」


「え、日向って帰国子女ってやつ?」


「……父親の転勤で、赤ん坊の頃に向こうに行って、中学入る頃に日本に帰ってきたんだよ」


 まっすぐな雪羽の視線に耐え切れなくなったのか、言いにくそうではあるがぽつぽつ喋る日向はほんの少しふて腐れた表情だった。


「で、なんで俺は子犬?」


「んふふ、黒の豆柴みたいに可愛い恋人ができたと日向がのろけるから」


 笑いがこらえ切れなかったのか妙な含み笑いをしながら、竹芝はニヤニヤとしながら日向を見つめる。そんな笑いに日向の眉間にしわが刻まれるが、珍しくほのかに頬が赤くなっていて雪羽はその表情に目を見開いた。

 自分が豆柴に例えられているのは些か微妙であったが、それでも日向の珍しい表情に雪羽の表情もふっと緩んだものになった。


「あ、俺は日向の母親の弟。竹芝悟、よろしくな」


「竹芝、悟さん。日向の叔父さんなんですか、若いですね。俺は神谷雪羽です」


「若い? マジで? 嬉しいな可愛いなぁユキちゃん」


 名刺を差し出され受け取った雪羽は竹芝の言葉に目を見開き驚きをあらわにした。そんな雪羽の表情に目を細めた竹芝は、小さな子を撫でるように雪羽の癖毛を豪快に撫で回す。しかしそんなことを日向が許すはずもなく、無表情のまま竹芝の手を払い落とした。


「勝手に俺の雪羽に触るな」


「おぉ、怖っ」


「日向っ」


 今にも食って掛かりそうな表情に雪羽が慌てて手を強く握ると、見上げてくる視線を日向はじっと見つめ返し、極自然にこめかみに口づけを落とした。

 あまりにもさりげ無さ過ぎて反応が遅れたが、一気に雪羽の顔は赤くなる。そんな反応に竹芝は笑いを噛み殺し、日向は愛おしそうに見つめて頬を撫でて顎を持ち上げた。


「待て、待った、日向っ」


 目を細めて笑った日向の視線からその先の想像がついて、雪羽は慌てて手を前へかざすと日向の唇を抑えた。

 ぎゅっと目を瞑り俯いた雪羽の姿と口元に当てられた手のひらに目を瞬かせ、日向は小さく首を傾げる。すると店内に響き渡るほど大きな笑い声が竹芝の口から吐き出された。そしてその声にほかにもいたらしい店員が二人ほど奥から顔を覗かせる。


「あーっ、日向くんの子犬ちゃん」


「えっ、あの子? やだ可愛い」


 突然現れた二人の女性は雪羽を見つめて興奮気味に目を輝かせていた。そんな二人の登場に日向の警戒が強くなる。手を離しぎゅっと両腕で雪羽を抱きしめると、不機嫌そうにこちらを見ている二人を睨みつけた。


「さっき道端で思いきりディープなのしてたの見たわよ」


 雪羽を子犬ちゃんと呼んだショートカットの女性は、そう言ってニヤニヤしながら目を細めて日向を見つめる。その隣で「あーん、見たかった」と悔しそうに眉を寄せるセミロングの女性は目を瞬かせ固まっている雪羽をじっと見つめていた。


 急に増えた登場人物にも驚いていたが、雪羽は彼女たちの口から発せられる言葉の数々に頭がなかなか追いつかずにいた。しかしひとつずつ記憶を巻き戻して、店に入った時に竹芝が言った「噂」の真相に気がついた。


 その途端、顔が茹で上げられたみたいに熱くなり、雪羽はそれを隠すために思わず日向の胸元に顔を埋め、シャツを両手でぎゅっと握りしめてしまう。そんなことでは隠れようがないと頭ではわかっていても、どうしようもないほどの恥ずかしさが雪羽の顔を俯かせる。


「あんたら全員邪魔。俺が呼ぶまで奥に引っ込んでろ」


「お、日向がまともなこと言った」


「竹芝っ」


 揶揄した竹芝の言葉に日向が眉をひそめると、「はいはい」と軽い返事をしながら竹芝は「えーっ」と文句を言う二人の店員たちの背を押して奥へと消えていった。それを見届けると、日向はいまだに俯いたままの雪羽の頭を優しく撫でる。そしてそっとその髪に頬を寄せると「わりぃ」と小さく囁いた。


「お前と一緒に一日いられると思ったら、頭ん中いっぱいになっちまって、周りが見えなくなってた」


 髪を撫で優しく背中をさすって、何度も何度も小さな声で謝る日向に雪羽は腕を伸ばしその背中を抱きしめる。そして指先でジャケットにしわを刻みながら強く抱きつくと、額を胸元に擦り寄せて「もう謝んなくていい」と小さく呟いた。

 同い年とは思えないくらいの大人びた雰囲気、そして態度や言動。いままではそんなものばかり目についていたけれど、今日初めて雪羽は日向の少し子供じみたところに触れられた気がした。それが嬉しくて、恥ずかしさがほんの少し落ち着いた。


「それより、ここでなにか選んでくれんの?」


「ん? ああ、なにがいい?」


「うーん、ピアスとか?」


 首を傾げて見上げる雪羽に微笑み返すと、日向はじっとまっすぐなその目を見つめ同じように首を傾げた。そんな日向を見つめながら、雪羽はふと彼の耳元に目をやった。


 いま通っている学校は比較的偏差値がいい学校であるがとにかく校風が緩い。よほど素行が目立つということでない限り、髪を染めたり、ピアスを開けたりしていてもあまり咎められることはない。

 現にいま目の前にいる日向の両耳にもピアスがあった。デザインがシンプルなシルバーリングのピアスだ。けれどふとそれを自分で想像して、雪羽は少し悩む素振りをしてから、首を振った。


「やっぱそれはいい、俺じゃ似合わない気がする」


「似合わないことはねぇけど、開けんなら卒業してからにしろよ。俺が開けてやるから」


 表情を曇らせた雪羽の髪を撫でそっと耳たぶを掴むと、日向はその感触を楽しむかのようにやわやわとそれを指先で弄ぶ。けれどくすぐったそうに雪羽が肩をすくめると、小さく笑ってその手を離した。


「日向、俺たちさ、卒業しても一緒にいる?」


「は? いるに決まってんだろ。俺はほかの女にも男にも誰にもお前を渡すつもりねぇよ」


「そ、っか」


 ほんのわずか驚いたように目を見開いた雪羽は急に口を引き結び俯いた。


「雪羽?」


 突然顔をそらし複雑そうな表情を浮かべた雪羽を訝しげな目で見つめ、日向は俯いた顔を覗き込もうとする。しかしふいとその顔はそらされてしまう。なんとなく嫌なざらりとした気分になった日向だったが、ふと指先に感じたぬくもりに気づき目を見張った。

 日向の指先を雪羽の手が小さく握りしめていた。


「悪い、顔が、にやけそう」


 顔を俯けながら小さく呟いた雪羽の言葉に、日向は言葉にならない程の愛おしさを胸に湧かせた。雪羽が握る手を引いて引き寄せると、片腕で抱き寄せて日向は髪に口づけを落とす。


「俺のほうがにやけるっての」


「へへ、悪い」


 引き結んだ唇を綻ばせて笑った雪羽の表情に、日向はひどく幸せそうな笑みを浮かべた。


「雪羽、イヤーカフとかは? ほらこういうの、穴は開けなくていいし」


「イヤーカフ?」


 小さく首を傾げた雪羽に日向は並んでいた商品の中からひとつ手に取りそれを雪羽の耳にあてがう。シンプルなデザインが刻まれ小さな青い石が埋め込まれたそれは、耳の淵に引っ掛けて使うアクセサリーだった。少し腕を引かれて小さな鏡の前に立たされると、雪羽は恐る恐る鏡の中の自分を覗く。

 大きさのそれほどないそれはあまり目立ちはしないが、黒髪から少し覗くだけでなんだか雪羽にはすごくお洒落に見えた。


「似合う、か?」


「あぁ、似合う」


 目を瞬かせ見上げてくる雪羽に微笑み返して、日向は別の棚に並んでいた物を手に取った。


「これそれに使われてんのと一緒の石だから、お揃いにしようぜ」


 手に取った物を自分の耳元に当てて同じように鏡を覗き込む日向。鏡の中では同じ青い色をしたピアスが彼の耳元にあった。それを見た雪羽はふっと嬉しそうに笑った。


「じゃあ、それ俺が買う」


「なんで、雪羽へのお返しなのに」


「もう少しで日向の誕生日だろ。前倒しだけど」


「駄目だ。俺は誕生日に欲しいものあるから」


 伸ばしてきた雪羽の手が届かないように腕を上げると、日向は雪羽の耳につけたイヤーカフも取り外し、片手にまとめるとそれを再び持ち上げる。そうすると身長差が二十センチ近くある雪羽にはどうやっても届くはずもなく、ムッとして口を尖らせた。。けれど頑なに日向は首を横に振る。


「駄目、絶対欲しいから」


「じゃあ、なにが欲しいんだよ。言えよ、俺があげられる範囲な」


 どんなに手を伸ばしても飛び上がっても腕を下ろそうとしない日向に観念して諦めると、雪羽は首を傾げてじっと彼の顔を見つめる。するとふいにやんわりと目を細めて日向が嬉しそうに微笑む。


「雪羽」


「ん?」


「だから、雪羽が欲しい」


「俺?」


 急に名前を呼ばれて首を捻る雪羽に日向は、空いた片方の手を頬に添えて目を瞬かせる目の前の瞳をまっすぐと見つめた。

 そしてそれから数秒、数分たった頃、なかなか日向が言った言葉の意味が理解できなかった雪羽だったが、まっすぐすぎるほどまっすぐな視線に、ようやくその意味を悟った。

 みるみるうちに赤くなっていく雪羽の反応に、やっと理解したことに気づいた日向は、満面の笑みを浮かべて覗き込むようにその顔を見つめる。


「雪羽が欲しい、これは範囲外か?」


 うろたえてさ迷わせる視線を捉えるようにさらに覗き込まれると、逃げられないと気づいた雪羽はほんの少し目を伏せる。けれどしばらくの沈黙のあとに小さく横に首を振った。そして小さな声で「わかった」と呟いた雪羽の答えに、日向は思いきりよく目の前の身体を抱きしめた。



Love you/end

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