涙とともに (全話連結形式)

涙とともに

 数日前に振られた。

 そのときの心の傷が、地味に悪化してきている。


 振られること自体はそんなにダメージじゃない。いつもそうだから。どんなときも、だいたい二週間から三ヶ月ぐらい。それ以上付き合うことは、ない。


「まあ、顔だからなあ」


 顔が目的で、寄って来られる。で、告白されて付き合いはじめる。そして、実際こいつ顔だけなんじゃねえかと思われて、数ヵ月後に振られる。


 今回は、違うと思った。でも、やっぱり振られた。


 純粋そうな人だから、という理由で告白されている。顔じゃなくて中身や雰囲気を見られていたのかと思って、うれしかったのに。


 振られた理由は、聞かなかった。どうせ顔だから。


 彼女の顔。簡単に思い出せる。


 というか、今まで付き合った女性のなかで、いちばん顔が、平凡。化粧をしてない。自分の顔はだいたい毛羽毛羽しいのに人気があるんだけど、そこも違った。


「はあ」


 思い出しても仕方ないことばかり、思い出してしまう。どれぐらい付き合ったっけ。春に出会ってだから、だいたい二ヶ月か。


 なんでこんなに、傷が深いんだろう。いつも通り振られただけだってのに。


 目の前。誰か通った。


「おっ」


 衝撃が胸に来る。誰か、ぶつかってきたのか。


「あ、ごめんなさい。ぶつかっちゃって」


 化粧をした人間。


 一目で分かった。


「なにしてんの?」


「え、あ、は、はじめまして」


「いや初めましてじゃないでしょ。数日前会ったでしょ」


 そして俺を振ったでしょ。


「え、あ、な、なんのことでしょう?」


 なんだこいつ。不思議ちゃんか?


「なら初めましてでいいですけど、いまさら何しに来たんですか?」


「いやはじめましてだから今更はないです。はじめてですから」


 そこ強調すんのね。腹立ってきたな。


「じゃあ、行きますね俺は。初対面だかなんだか知らないですけど、俺は最近好きだった人に振られて心の傷が大きいんで。突然ぶつかってこられてもいらいらするだけなんで。どいてください」


 なんなんだよ。

 顔がいいだけでこんな思いするのなら、普通の顔がよかったよ俺は。


「あ、待っ」


「どけ」






「で、腹が立ってしかたないから俺のところに来たと」


「そういうわけ。奢れよ」


「奢らねえよ」


 友達。いつも通りの、ふたりともハンバーガーセット。


「いいよな、お前は。普通の顔で」


「そうか?」


 友達。水を飲みながら、外を見ている。


「普通の顔で得したことなんてないけど。お前はイケメンだから、ほら、ハンバーガーセットも俺より早く来る」


 俺の前に置かれる、ハンバーガーセット。


「同じもの頼んだんだぜ。なのにお前のが早い。なんでだと思う?」


「店員が女性だから」


「そうなんだよ。それだよ。まったくもう。やってらんねえよ」


 置かれたハンバーガーセットを、友達のほうに置き直した。


「でもお前はこうやってさ」


 友達。ハンバーガーセットのポテトをつまむ。


「先に来たハンバーガーセットを必ず俺によこすんだよ。そういうところが、本当のおまえの魅力だと思う」


「ありがと」


 この友達は、思ったことをすぐ口にするくせに、言葉選びがうまい。誉めるときはストレートに。けなすときはオブラートに包んで。


 優しいやつだ。平凡な顔だけど、俺なんかよりよっぽど人格ができている。


「お、来た来た」


 友達の彼女が来た。


「じゃあ、俺は行くぜ」


「おいおい。会っていけよ。さすがにそろそろ頃合いだろうが」


 友達にできた恋人。話に聞いた限りだと、とてもいい人だった。


 だからこそ、会うことはできない。


 自分の顔のせいで、友達との関係を壊したくなかった。友達の恋人なんて、こわくて会えない。


「とりあえず、な、座ってくれよ。おまえのために呼んだんだ」


「俺のために?」


「大丈夫だから。まず、まず座ってくれ。ハンバーガーセットもじきに来るから。な?」


 立ち上がりたかったが、友達の目が、本気だった。


「少しだけだぞ」


「ありがとう。おおい、こっちこっち」




 友達の彼女。


 予想通り、とても美人だった。そして、おそらく魅力は顔じゃない。


「どうも。あなたが」


「イケメンだろ?」


「うん。かっこいい顔」


「ありがとうございます」


 一応、直視はしなかった。惚れられると後が困る。


 友達を、失いたくない。


「こいつが、顔で悩んでるんだ。数日前も振られたらしい」


「振られた理由は?」


「知らないですよ。勝手に惚れられて、勝手に振られての繰り返しです」


「だからこいつは女性と手を繋いだことすらない」


「おいおまえ、それは言わんでくれよ。はずかしいよ」


「あはは」


 友達の彼女。いい気なもんだ。自分たちはいちゃいちゃしてよ。俺の前で見せつける気か。


「私たちも手、繋いだことないよね」


「ないな」


「は?」


「どうした」


「いや、付き合ってるんだから手ぐらい繋げよ」


「その言葉そのままそっくりお前に返すよ」


「うっ」


「あはは。仲良いのね」


 仲は良い。それは、友達が優しくしてくれるからだった。自分が何かしたわけじゃない。


「ああ。こいつはとにかく優しいんだ。さっきも、先に来たハンバーガーセットを、俺に譲ってくれた」


「あれは店員が悪い」


「そういう、なんというか、とにかく人のために優しくするようなやつなんだよ。顔のせいで喧嘩吹っ掛けられても、反撃しないで殴られ続けたりする」


「えっ」


「いや違います。喧嘩弱いだけです」


 嘘だった。喧嘩はめちゃくちゃ強い。ただ、それに意味を感じないだけ。反撃しないのは、角が立つから。


「まあ、そうだな。喧嘩は弱い」


 こうやって嘘に乗ってくれるのも、友達のいいところだった。気立てが良い。


「なんで、反撃しないんですか?」


「弱いからです」


「いやそうじゃなくて。振られて悲しいんですよね?」


「はい。まあ」


「なんで追いかけないんですか。一緒にいたいって、自分から言わないと」


 刺さった。


 たしかに。


 告白される側だから、特に誰かを追ったことはない。


「あなたは、顔がいいのをコンプレックスだと思って、前に進むのをやめている。好きな人がいるなら、自分からあらためて言わないと」


 友達の彼女。立ち上がる。


「ごめんなさい。私、あなたを振った女の子と友達なんです。これだけは言いたくて。振られたのは、あなたのせいです」


 友達の彼女。注文もせず、歩いて去っていく。


「と、まあ、こういう女の子が、俺の彼女です」


「気が強いな」


「ね。すごいの。押しが強いの」


 良い組み合わせかもしれない。直情径行だが優しくて言葉選びがうまい友達と、気が強く友達思いの女。


「いいなあ」


 俺には、無理な恋愛だった。きっとこの二人は、お互いの顔ではない部分で惹かれて、付き合ってるのだろう。


「あ、そういえばお前、手を繋いだことがないって」


「うん。なんかさ、俺と正式に付き合うのは、友達の恋が成就してからなんだってさ」


「義理堅いな」


 やくざかよ。友達の花道を用意しないと自分も付き合わないとか。


「ん、ちょっと待て。その友達って」


「うん。たぶんお前を数日前に振った相手」


「うわあ」


「たぶん今から、おまえを振った相手を連れてくるぜ」


「すまん。お前にはもうしわけないんだけど、たぶんもう、修復不可だと、思う」


 さっきぶつかったときに、かなり邪険に扱った。


「そうか。じゃあ、まあ、しょうがないな」


「ごめん。おまえの彼女とおまえの関係も」


「そこだ。お前は優しすぎる。俺と彼女のことは気にしなくていい」


 友達。真剣な目。


「お前自身のことだけ、考えろ。重要なのはひとつだけだ。よりを戻したいかどうか。それだけ。どうだ?」


「そうだな。復縁したい。でも、俺から告白したわけでもないし、振ったのは相手だ。だから、相手の気持ちを尊重したい」


「よし。それでいい。がんばれよ」


 友達が、立ち上がる。


「おい」


 一緒にいてくれないのか。


「後ろのほうで見てるよ。大丈夫。お前なら大丈夫だ」


 友達が去っていく。そして、それとすれ違って、数日前に自分を袖にした女が、来る。



 向かい側に座った女。化粧は、してない。

 そして、目が、赤い。


 さて。何から話したものか。化粧と目を見るに、どうせ泣いてたんだろう。


「あの、さっきは、ぶつかって、ごめんなさい」


「ああ」


 俺が謝るべきではない。あのぶつかりかたには、目的と悪意がある。


「あわよくば俺とよりを戻そうって思って、ぶつかったんだろ」


 彼女。無言。


 これは、言いたくなかった。でも、こうやって対面した以上は、向き合わないといけない。


「ごめんなさい」


「謝らなくていい。顔が良いってだけの、俺が悪いんだ。君は何も悪くない。ただ」


 どう言えばいいのか。


 言葉を、慎重に、選んだ。


「ただ、そうやって、数日前に振ったのに、すぐ化粧とかして懐に飛び込んでいけば簡単に復縁できるなんて思われるのは、正直、とても、いやだ。腹が立つ」


「ご、ごめ」


「謝るな」


 遮った。仕方ない。修復不可能な関係だから。


「腹が立ってるのは、自分にだ。これが、こうなると、こうなるって最初からわかっていれば」


 そう。すべて、自分が悪い。


「最初から、告白されたときから、俺が悪いんだ。断ればよかったのに、中途半端な気持ちで告白を受けるから、こうなる。だからおれのせいだ。すまん。もう、忘れてくれ」


***/


「待て。行くな。耐えろ」


「でもっ。これじゃあの子が」


「あいつはちゃんと人のことを考えられるやつだ。こういう喋り方をしてるのは、あいつにちゃんと伝えたい思いがあるからだ。待ってくれ。頼む」


「手」


「うん?」


「手を握って。緊張に、わたし、耐えられない」


「分かった。これでいいか」


「うん」


「待とう。できるだけ、いい解決になるのを」


「あ、あの、すいません、ハンバーガーセット」


「店員さんも。ちょっと待っててください。今がいちばん大変なところなんです。もう少しだけふたりで話させてやってください」


***/


 彼女。涙。


「わたし。つらかったの」


 嗚咽をこらえて、ゆっくり、喋っている。


「見てくれて、ないって思って。私から告白したくせに。振り向かせることが、できなかったって。だから、つらくて。離れたかったの」


 彼女。涙を拭って、それでも、とまらなくて、どうしようもなくなっている。


 そして、いやになるぐらい、冷静な自分がいる。


「でも。離れたら、さびしくて。振り向いてほしいって思って、ひっしにお化粧して。がんばったの。わたし。がんばったのに。会ったら、どうしようもなくなっちゃって。振ったのは私なのに。我慢できなくて」


「それで、ぶつかってきたのか」


「う、ぐ」


 彼女。ごめんなさいという言葉を、呑み込んだのが分かった。


「告白したのは私だけど、何もしない、興味もない、っていうのは、違うと、思います。わたしの想いに、せめて、反応してください」


「ごめん」


「わたしも。わたしも、あやまって、いい、ですか」


「どうぞ」


「ごめんなさい。わたしが告白したから。中途半端な気持ちでいたから。きずつけてしまって、ごめん、なさい」


 限界が、来た。さすがにもう、耐えられない。

 なのに、頭のなかはおそろしく、透明。こわいほど、冷静。


「今度は。俺から、言わせてくれ」


「はい」


 彼女。身を縮めている。修復不能な関係を、受け入れようとしている、小ささ。


「好きだった。告白されたとき、顔じゃなくて、中身をみてくれたのかなと思って、ひとりで浮かれてた。振られて、悲しかった。でも、振られて当然なんだ。受け身だから」


 彼女。顔が見えない。

 立ち上がって、席を移動した。顔が見えるところに。隣に。


「だから、俺から。付き合ってほしい。ああいう、初対面ぶってぶつかってこないで、普通に、よりを戻してほしい」


 彼女の顔。


「うええええ」


 抱きついてくる。冷静に、なるべくやさしく、受け止めた。


 彼女は、耐えきれなくなったら、ぶつかってくるのがなんとなく分かった。なんとか、受け止めよう。これからも、何度でも、受け止められる。冷静に。


 嘘だ。


 冷静でいるなんて、嘘だ。緊張で頭がフリーズしてるだけだ。人に告白したことなんてないから、いっぱいいっぱいだ。


 彼女を、抱きしめた。


「いたい…」


 彼女の呻き声。


「あ、ご、ごめっ」



「よし、よくやったっ。なんとかなったな」


「ちょっと。強く抱きしめすぎよ。やさしく扱ってよ」


「うええええ」


「あ、ちょ、やめなさっ、こらっ。はなみずっ。まずはなみずをかみなさいっ。いだだだだっ」


「ありがとう。お前に相談してよかった」


「俺はなにもしてない」


「それでも」


「俺はなにもしてない。店員さん、こっちです。はい。待ってもらってありがとうございます。ハンバーガーセット。ここに。あとで二人の分も注文しますので」


「うええええ」


「なんで店員さんも泣いてるんですか」



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