68話 充実した疲れは己の身体を心地よくいじめてくる。

 重たい体に鞭を入れて、ゆっくりと歩を進めてようやくショッピングモールの外に出たときにはすでに日は落ちかけていて、夕日が眩しく俺の顔面を照らしつけてきていた。


 いや、今日は本当に疲れた。駅までの道のりをゆっくりと歩きながら振り返る。

 いろいろとありすぎたけど、ほとんど最後のフードコートで記憶は埋め尽くされている。


 なんかやってはいけないようなことをやったような気もしたけど、もう覚えてない。先輩にも会ってないし、店員さんにも怒られていない。

 そんな過去はなかったんだ。


 レイはよほどはしゃぎ疲れたのかフードコートから出るころには、俺の首に腕を回し全力で俺にしがみつきながらも、すやすやと眠っている。


 着ている服はパーカーではなく、フードコートで着たワンピースのままだ。

 よっぽど気に入ってくれたということだろうか。


 まあそれは買い物冥利に尽きるというか全然嬉しい事なんだけど、一人だけぐっすり寝てるのはずるいと思う。


 いや別に俺の背中に乗っているとかは全然いいんですよ。

 重いとかそういうことはないし、俺の足取りが遅いのは俺も単純に疲れているからであって、レイが背中にいるのは全然関係ないんだけど。


 まあ時折にへらって笑いながら、凍てつくような冷気をぶつけてくるのはやめてほしいんですけど。

 いったいどんないい夢を見てるんだか。


 そもそも今日俺がこんなに疲れている大半の理由はレイがついてきたからだと思うんだけど。


 レイが家でおとなしく待ってくれていたら、こんなに時間がかかることもなかったし俺が変態みたいな恰好しなくても済んだわけだし、こんなに疲れて帰宅することもなかった。


 まあ家に帰ってから体力満タンのレイに付き合ってたら同じくらい疲れてたのかもしれないけど。


「まあでも……楽しかったなあ」


 四の五の文句は言っているが、今日一日はこの一言に尽きる。

 一人で来てたらこんなに感情が揺さぶられることもなかったし、普段しないような経験をすることもなかった。


 疲れ以上に充足感と満足感で心は満たされていた。


 まあ結果オーライ。レイも外に出てちょっとは人になれたかもしれないし、これからはもしかしたらいろんな場所に一緒に行けるのかもしれない。

 すべてはレイの気分次第なんですけども。


 そんなことを考えていたらもう電車がホームについた。

 行きは随分と時間がかかってけど、帰りはすんなり帰れそうだな。


 まだ帰宅ラッシュの時間にはぎりぎり差しかかっていないからか、乗っている人の数はまばらだ。

 これなら座れそうだ。


「……あ」


 しかし座ろうとしたところで気づいてしまう。

 このまま座ると、レイが完全に椅子にめり込んでしまう。


 別に問題ないのかもしれないけど、見た目的にどうなんだろうか。

 なんか人間的な倫理観が俺にそれはよくないといっているような気がする。


「レイ、隣に移動してくれ」


 効くのかどうかわからないけど、動き出した電車の揺れに合わせるようにして自分の身体を揺らす。

 それと一緒にレイの身体も左右に揺れるのだが、そんなことはお構いなしといわんばかりに彼女は眠り呆けている。


「頼むよー。俺も座りたいんだよー」


 レイには申し訳ないが、俺もずっと立ちっぱなしはさすがにしんどい。

 家まではちょっとでも休憩したいし、ここは何としてでも座りたい。


「んーんーー」


 体の揺れを大きくすると、俺の顔の横でがくんがくんと顔を揺らしながら、不満げな音を発する。


 それと同時に俺の首を絞めているレイの腕の感覚が急に強くなったような気がする。

 いや、これはまずい。俺このままだと永遠の眠りについちゃう。電車の中でレイにノックアウトされそう。


 生命の危機を感じた俺はレイのことを考える間もなく、目の前の空いていた座席に急いで腰かけた。


 びくっと一瞬体を震わせたレイはそれと同時にパチッと目を開き、俺の肩の上に顎を乗せながらこちらを恨めし気に見つめてくる。


「な、なんだよ」


「あほぉ……」

 

 え、なにそれ可愛い。

 寝起きで頭が回っていないのか、そもそも彼女の頭はいつも回っていない気がするけど、眠気眼のままレイはのそのそと俺の肩の上に登ってくる。


 そして俺がまさかの不意打ちに呆けているうちに、彼女は肩の上からストンと膝の上に着地する。

 そして俺の方に体を向けてそのまま腰に手をまわすと、何事もなかったかのように再び目を閉じた。


 ……いやいやコアラじゃねえんだから。俺は木じゃないよ? 感触も重みもないのが何とももどかしい。

 まあ逆になくてよかったかもしれないけど。


 とにかく首が絞まる感覚から解放された俺は、ようやく一息ついて背もたれに深く腰掛ける。

 今まで歩いていた分の疲労が一気に襲い掛かってきたのか、全身がひどい脱力感に襲われる。


 あー、しばらくは動けそうにもないな、これは。


 レイの方に視線を向けると、彼女は俺の胸を枕のように使い眠り呆けている無防備な寝顔を見せながら、すやすやと眠っていた。

 本当に気持ちよさそうに寝るよな。


 ためしにほっぺのあたりを突っついたりつねったりしてみるが、一つも反応はない。

 まあそもそも、突っつけてないし指めり込ませるのは悪いかなと思ってぎりぎりを攻めているから、ずっと空中に指突き出してるだけなんですけど。


 カモン、ぷにぷに感覚!


「ふあああ……」


 レイの気持ちよさげな寝顔を見ていたらこっちまで眠くなってきた。

 レイの感覚があったら絶対に眠れないような彼女の座り方だけど、残念ながら……いや幸いにも彼女から伝わってくる感覚はない。微量な冷気のみ。


 それも火照った体をいい感じに冷やしてくれていて、どんどん瞼が下がってくる。

 まあ駅までには距離もあるし、一眠りしても大丈夫か。




 そのまま眠りについてしまった俺は駅員さんにたたき起こされるまで爆睡してしまっていた。

 自分の家の最寄りのホームなんてのはとっくの昔に通り過ぎていて、たどり着いたのは終点。


 コアラのようにしがみついたまま眠り続けるレイに恨み言を言いながら俺は逆路線の電車に再び乗りこみ、そして無事自宅につくことができた。


 ショッピングモールを出るときはうっとうしいくらいに眩しく俺の顔を照らしていた日の光は、家に着くころにはすっかり姿を隠してしまっていた。



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