気心知れた男たち

 願った通り、自分の許婚と友人がどんどん仲良くなっているとは知らず。自分のことを話されているとも知らず。芳親はいつの間にか運び込まれた部屋で不貞寝していた。ぶすくれた顔を庭に向け、横臥おうがしている後ろ姿からは、不満げな雰囲気がこれでもかと放たれている。

 許嫁と久しぶりに会えたのが嬉しくて、仲良しだけれど敬語が常の相手から、親しい呼び方をしてもらえたのが嬉しかった。嬉しくてたまらなくて、つい体が動いていただけなのに、この仕打ちはどういうことか。ひどい。移動している間に、もっと仲良くなれたかもしれないのに、ひどい。他のみんなは、もっと仲良くなったのだろうか。それなら嬉しいけれど、ずるい。


 本当はもっと前に目覚めていた芳親だが、意識が戻ってもしばらく動けないよう、術を重ね掛けされていて動けなかった。故に、術をかけた宗典を恨みながら――自業自得なのだが――寝ていることしかできなかった。

 ところが実際、術はとっくに解けている。不貞寝したままなのは、枕元の「大人しく庭でも眺めてろクソガキ」という書き付けに従っているため。紀定に怒られるのが嫌なように、宗典に怒られるのも嫌なのだ。動くなという暗黙の言いつけも嫌なことに変わりはないが、怒られる方に軍配が上がる。


 けれども、あんまり容量のない芳親の我慢、その限界は着実に近づいている。悶々と不機嫌をり回しながら、面白みもない庭を律義に眺めるのは、退屈を通り越して拷問になりつつあった。さっぱり整えられた庭は変化もなく、野良猫どころか鳥も虫もいない。

 目を開けていることすら億劫おっくうになり始めた矢先、背後から救いの足音がやって来た。


「いかにも不機嫌そうだな、芳親」

「……元助もとすけ


 寝返らず、仰向けになった芳親の視界に、四大補佐家が一角、熊井くまい家の長子である元助の顔が入ってくる。彼は彫りが深く精悍せいかんな顔立ちと、細身が多い兼久隊の中では目立つ、大柄でがっしりとした体躯たいくの持ち主だった。


「ん? 何か紙が……ははあ、動かなかったのはこれか。お前も変な所で真面目な奴だな」

「……だって……宗典、怒ると、容赦ない、し……」

「確かに、あいつは怒らせない方が正しい。と言っても大体、お前や隊長殿のこととなると、いつも不機嫌そうにしている奴だが。……まあ、宗典のことは置いて、だ。寝たままでは腐ってしまうぞ。私と一戦でも交えようではないか」


 提案された途端、芳親は目をカッと見開いたかと思うと、機敏な動作で跳ね起きる。「その意気や良し!」と笑う元助は、既に木刀を携えており、芳親にも渡して別の庭へ移動した。


「術はなるべく使ってくれるなよ。対処は出来るが、純粋に剣を交えたい」


 辿たどり着いた白砂利じゃりの庭で向き合った元助に、芳親はこくりと頷いた。万能に近い効果を誇る牡丹の術ばかり使わないよう、よく相手役を買って出てくれた元助との戦い方は、充分なまでに心得ている。

 彼の注意以上の言葉は交わされず、互いに正眼せいがんの構えを取る。そして――ほぼ同時に砂利を蹴る音が鳴り、打ち合いが始まった。無風の中、木刀がぶつかり合う音と、踏まれ蹴られる砂利の音が、迫力を持って響き渡る。


「術に頼り切りの戦いはしてこなかったようだな」


 攻撃を受け流し、間隙かんげきをつくように刀を振るいながら、元助は余裕で分析もしてみせる。が、芳親もまだ全力ではない。剣戟けんげきの裏で相手を観察し、冷静に攻防を重ねていく。

 十合目を数える頃、刀はがちりと交差し、拮抗が始まった。尋常でない膂力りょりょくが押し込まれ、木刀と腕が小刻みに震える。これ以上は動けないと見ると、双方共に一度退いて、再びにらみ合いが始まった。


 不敵な微笑を浮かべる元助はしかし、こちらを見据える牡丹色の瞳に、正負どちらの面もある緊張を覚える。――普段の姿をそぎ落とした、どこまでも深く妖美で、畏怖せずにはいられない目。これまで元助が相手にし、これからも相手にする、人ならざるモノの目だ。

 乾いた笑い声をこぼしかけて、押しとどめる。心拍すら雑音になる中、声など立てたくない。そんな元助の胸中を知ってか知らずか、芳親も静かに微笑した。

 ず、と。小さくも確かな踏み込みの音が、再戦の合図になった。互いに一歩も譲らない打ち合いは、術を使えども己が身一つを武器とし、積み重ねた経験も厚い元助の方に軍配が上がり始める。


「ッ!」


 巧妙な力加減とさばきで受け流され、芳親の体勢が崩れる。防ぐ間もなく追撃が叩き込まれるが、寸前で止められた。


「ここまで、だな。上出来だ、芳親」


 勝者として笑う元助に、敗者となった芳親は、むすっと不満げな顔をした。彼の不満は負けた悔しさが大半だったが、勝負への名残惜しさも含まれている。


「……負けた、のに……」

「何を言う。術を全く使おうとしなかっただろう。それだけでも成長しているのだ、お前は。最後に私と試合をした時は、まだ術に頼ろうという考えが体に染み込んでいたからな」


 芳親の強みは、もちろん妙術である。妖雛ならではの身体の強さもあるが、牡丹の妙術が優れすぎているため、未だ剣術では他者に劣ってしまうことも少なくなかった。

 事実、夜蝶街で志乃と派手な喧嘩をした際も、彼女が刀を投げるという奇襲を繰り出したとはいえ、劣勢に追い込まれている。志乃に押し負け、元助にも押し負ける理由としては、他の要因もあるにはある。しかし結局、身体面での技量に穴があることは変わらない。


「……でも……妙術を、使わなかった、のは……元助が、相手、だったっていうのも、ある」

「私と戦う時はそうしなければならないと、体が覚えていたということか? なるほど、そうなると大きく成長しているかどうか微妙ではある。だが、進歩していることは間違いないぞ。その調子ということだ」


 元助は大きな手で、芳親の頭をわしわしと盛大に撫でた。体まで揺らされるが、元助の撫で方は変わらずこのままと受け入れているため、芳親は文句を言う気などない。そもそも芳親は志乃と同じく、撫でられることも褒められることも好きなため、文句が浮かぶことすらない。


「お、ちょうどいいところに。隊長殿のご帰還だな」


 後方へ飛んだ視線を追い、芳親も振り返ってみると、見覚えのある集団がすぐさま現れた。やってきたのは直武と紀定、そして彼らを先導しているのは兼久。その兼久は芳親たちに気付くなり、だらしないほど満開の笑みを咲かせたかと思うと、すさまじい勢いで突進してきた。


「久しぶりだねぇ芳親ぁ! 義兄上あにうえだよおおお!」

「義兄上!」

「うぐほぁっ」


 芳親もまた笑顔を咲かせ、久しぶりに会う義兄を呼ぶ。前髪で遮られていても分かるほど、純粋な表情を真正面から食らった兼久は、急に胸を押えて体勢を崩した。しかも、それをやったのは庭に降りる直前だったため、盛大に転げ落ちてしまっていた。

 みっともない事この上ない挙動に、直武と元助が呆れた苦笑を浮かべている。まだ優しさが残っている二人と違い、紀定は片手で目元を覆い、ため息をついていた。


「……義兄上、大丈夫? ……痛そう」

「大丈夫。久々に芳親の輝く笑顔が見られてむしろ幸せなくらい。あっでもちょっと心臓止まりかけたかもしれない。芳親の笑顔、久々すぎたから」


 とてとてと歩み寄った芳親が、凄まじい転び方をして倒れた義兄を覗き込む。最初こそ心配の色を浮かべていたが、兼久の方は安らかな表情と声色をしていたため、問題なさそうとすぐに笑った。


「うっ、可愛い。僕の義弟おとうとがこんなにも可愛い」

「相変わらず芳親を前にすると気持ち悪くなるなぁ、隊長殿は。副官殿について惚気のろけている時より気持ち悪い」

「容赦ないこと言わないで元助。そういうこと言うのは宗典だけで十分だから。ただでさえか弱くて傷つきやすくて、癒しを求めがちで貧弱な僕の精神がボロボロになっちゃう」

「そうやって、芝居がかった弱々しい態度を取るからだ。わざとらしくていらつく」


 胸を押さえつつ立ち上がりかけていた兼久は、「直球!」と叫ぶなり、再び崩れ落ちた。彼が一人で茶番を続ける間に、直武と紀定も庭へ下りてくる。紀定の方は冷たい目を兼久に向けており、その冷気は芳親の肩までびくりと震わせた。


「久しぶり、元助君。君も元気そうでよかった」

「ありがとうございます。直武様も紀定殿も、お元気そうで何より。……ところで紀定殿、後で手合わせでもどうだろうか」

「芳親殿より楽しませられるかは分かりませんが、それでも良ければ」


 勝負を持ちかけられるなり、冷たさを引っ込め、紀定はにやりと笑ってみせる。慇懃いんぎんが常の彼にしては珍しい表情だった。が、いつの間にか復活した兼久が、二人の間に割って入る。


「二人ともちょっと待った! まずは部屋に案内してからだよ」

「おっと、そうだった。では、また後ほどここに参られよ、紀定殿。隊長殿は早く案内を果たされるがよろしい」

「そうですね。早く案内していただけますか、兼久様」

「ねぇ何か二人とも冷たくない? 冷遇されると悲しくなるんだけど……あっごめんなさいそんな目で見ないで」


 再び紀定から冷たい視線を向けられ、元助からはどこか圧のある笑みを向けられて、兼久はすぐ情けない顔になった。本来の立場は兼久が上、ということを忘れてしまうやり取りである。年が近く、気の置けない仲だからこそのやり取りでもあるのだが。


「……義兄上、案内、終わったら……僕と、遊ぼう」

「分かった! そうと決まれば義兄上、さっさと案内終わらせちゃう! 紀定の目もどんどん怖くなってるし!」


 氷柱つららのごとき視線をグサグサ刺されながら、兼久は空元気と言わんばかりに、明るい声を張り上げる。そんな一連の光景を、好々爺こうこうやと化した直武は微笑ましげに眺めていたが、薄遇と厚遇にさらされている兼久は泣き出したい気分になっていた。二重の意味で。


「じゃあ芳親、また後でね! 先生と紀定はこっちへ」


 案内を再開した後も、芳親にぶんぶんと手を振り、紀定から白い目を向けられながら、兼久は屋敷の中へ消えて行った。続く二人の姿も見えなくなったところで、芳親は元助を見上げる。


「……暇つぶし、の、再戦……する?」

「そう言ってくれると思っていたぞ。では構えよ、芳親」


 にやりと笑う元助に微笑を返すと、芳親は距離を取って向き直る。間もなく、術を挟まぬ一対一の手合わせが再開された。

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