第18話 2017年初夏―緑の風を追って⑤

 佐奈子が真奈美を意識したのはこの時期、中体連長崎県大会にて。息が乱れてもペースを落とさない走り方が印象的だった。

 優勝旗を抱え表彰台の上に立っても、表情は低温化していた。むしろ会場のかきどまり運動公園の先を眺め、何かを渇望しているように見えた。

 真奈美が所属する公立中学校陸上部員もまったく祝福していなかった。佐奈子が気にする要素ばかりだった。

 その日の夕方はトビヒ族本来の姿に、翌日以降は秋成、春菜他、人型のトビヒ族も加えて調査させた。ハナサキ族本来の姿には空中にて真奈美の行動範囲を特定させた。佐奈子は瑚子をはじめとする聖マリアンヌ女学園陸上部員の九州大会出場決定にともなう準備に追われていた。

 そんな状況下での調査報告が佐奈子の多忙さに拍車をかけた。合宿を中止にすることもできなければ、一刻も早く真奈美を聖マリアンヌにスカウトするべきだったからだ。

 夜間の空中移動は長崎市と佐々町間往復でも体に堪えた。佐奈子自身の走りより役目と人間の陸上スキル指導を優先する中、確実に人間並みに体力が衰えていた。だが真奈美の心を冒す闇は佐奈子を待ってくれない。

 真奈美は同性愛者だった。それがすでに地区中に知れ渡っていることから、女子だけでなく男子にも煙たがられていた。ただ、性暴力の被害がないことは不幸中の幸いだった。

 真奈美は家庭内でも孤独だった。両親が同性愛者の実情を知らず、正しい接し方を試みては娘とのすれ違いを繰り返していた。しかし真奈美は決して両親に手を挙げなかった。両親が心底憂い、愛していることを知っていたからだ。佐奈子の眼を通しても、両親の愛は本物だと分かった。とはいえ両親は地元で生まれ育ち、そのまま過程を築いた。だからこそ地元の風潮にも悩まされていた。地域差にもよるが、中心地から離れるほど、建前に生き、また建前に殉じることを義務に求められる。一度でもそれに反すれば末代まで咎められる。長崎市よりも強い傾向は、まるでロボットの増殖だった。それも他社の評価システム・チップを体内に埋め込まれたやつだ。

 佐奈子は寝相が悪い部員の寝顔をしばらく眺めた。コンタクトを装着したままの瑚子も、人間も穏やかな寝息を立てていた。彼女たちの中に同性愛者がいる可能性はゼロではない。

 陸上部員でなくても、聖マリアンヌ女学園にも同性愛者は二、三人くらいはいる。しかし彼女たちへの風当たりはほとんどない。事実を隠し通しているからだ。彼女たちの巧みな世渡り術もあるが、人前でサングラスを外せない佐奈子ほどの生きにくさは感じられなかった。もちろん佐奈子は同性愛者の問題を軽視しているわけではなかった。他社の価値観差は佐奈子の問題にも共通しているからだ。佐奈子の場合はトビヒ族・ハナサキ族と人間の間での差だが。

 これは佐々町に限ることではなく、また地域の存在が悪いのではない。どの地域にも蔓延はびこるイエス・マン社会が少数派を異端者に仕立て上げる。

 このままでは真奈美が、数少ない味方の両親と永久に和解できなくなる。真奈美が自分で自分を追い込むことにもなる。彼女の長距離選手としての才能を埋めたくない気持ちもある。

 佐奈子は待ちに待った九州大会での再見にて、真奈美に声をかけた。個人長距離にて二位に表彰されたのだ。口実として十分だった。

「聖マリアンヌ女学園にはスポーツ特待生度といぅて、授業料が全額免除になるシステムのある。谷崎さんにはその可能性、十分あるとけど」

「でも私、陸上に特別な愛着があるわけでもなかですよ。それに長崎市ですよね。寮に入るとなると、両親に生活費の負担が」

「選択肢はそいだけ? 自分で狭めて、ご両親は悲しまないだろうかかなしまんやろうか。一度お互いの希望ばよぅ聞きぅたらどがんや。願書提出日にさえ間に合えばよかけん、返事は焦らんでよかよ」

 真奈美と向き合う先で、瑚子が気恥ずかしそうに部員の祝福を受け入れていた。リレーのアンカーとして総合優勝に導いた。佐奈子は、瑚子がもう少し誇らしく堂々とすればよいのに、と思っていた。

 瑚子は目立つことを避けたがるくせに、家族を侮辱されると、別人のように立ち向かう。その猛々しさと優しさをよしとする者には愛されていた。中には若い継母を瑚子の一部として非難する者もいたが、瑚子は極力接触を避けていた。

 そんな瑚子はきっと、真奈美のサポーターになれる。聖マリアンヌ女学園陸上部の中で最も人の心に寄り添えるからだ。猛々しさでも真奈美への避難から守ってくれるだろう。

 瑚子にとってもかけがえのない友人となるかもしれない。

 佐奈子は先の全国大会総合優勝よりも、二人の出会いが楽しみで仕方がなかった。


 緑の風はすぐそこで待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る