六頁 猫 参 『友達の輪』

六頁

 

猫 参

 

『友達の輪』

 

 あの女、頭がおかしいんだよ。


 きっと何処かで、人生を大きく間違えてしまったんだよ。


 頭と身体を洗い湯船に浸かると、三日目の臭いに心が和らぐ。


 あれ? 今日土曜日か。何かわんちゃんが言ってたなぁ、何だっけ? まぁいっか。死の瀬戸際にわざわざ思い出す事でも無いんだよ。


 取り敢えず、タツ兄の部屋に連れて行ったのは正解だった。おかげで、猫の部屋に置かれた小鳥のキャリーバッグの中身を確認する事が出来た。


 人生ゲームというのは、ボードゲームだったのか。意外とノーマルな物で安心したんだよ。でも、その奥にあった、大量のジャラジャラした、鉄の鎖の様な物はなんなんだよ! しかも、鉄と鉄が奇妙な絡まり方をしていて、気味が悪かったんだよ!


 あれはきっと、中世のヨーロッパ辺りで流行った拷問器具に違いない! ほ、本当にそんな事をする人だなんて思いたく無かった! でも、はっきりと、ゲームに負けたらお前は死ぬのだ! とか言うし、呪いは掛けるし。


 っていうか呪いが使えるってなんなんだよ! ふぁ、ファンタジーなんだよ。


 猫が、これから外に逃げようが、家族に助けを求めようが無意味なんだよ。無意味だから、あんなにあっさり猫を風呂場に行かせたんだよ。


 もう、詰んでるんだよ。猫を殺しても、あの呪いか何かの類いで、罪を免れて、次のターゲットを探すだけなんだよ。


 何で、何で猫なの? わんちゃんとかじゃ駄目だったの?


 何の解決策も見出せず、お風呂を出て、小鳥の居るタツ兄の部屋に向かった。ドアの前に立ち、深呼吸をしたのだけれど、ドアノブを掴もうとする手が大きく震えていた。


 勇気を振り絞りドアを開けると、小鳥は口をパクパク動かして、声を出さずに誰かと話している様だった。


 声を出さずに誰かと話すって何? 猫がドアを開けた事に気付いていないのだろう。小鳥は、猫には見えない人とのお喋りに夢中だった。そして、盛り上がっていた。


 もう猫の事は、忘れてくれないかなぁ。全て、無かった事には出来ないかなぁ。


 仕様がないので、一度ドアを閉めてノックしてみた。「あ、はーい」と聞こえたので、中に入った。


 小鳥は、真っ白な白眼をアピールする様に目を剥いて言った。


「ね、猫ちゃんあのね? 人生ゲームの話しなんだけど、あ、あれね——」


「ぴ、ぴぃちゃんも、お風呂に入ってくるんだよ」


「えっ……」


 も、もう、完全にイッちゃってる。だめだぁぁ、もう、敗者の罰ゲームの話しをしたくてウズウズしてるんだよ!


「じ、人生ゲームの話しなんだけど、あ、あれね——」


 ヒィィィィィィイッ! い、いや、怯えてる場合じゃない。


「お、お風呂に入るといいんだよ」


「人生ゲームの話しなんだけど——」


「お風呂に入ってから話すんだよ」


「人生ゲームの——」


「お風呂に入ってもらわないと、臭くて話しが出来無いんだよ!」


「えっ……」


 ヒィィィィィィイッ! こっちの話しは聞こえて無いのかなと思ったら、ちゃんと聞こえてたんだよ! の、呪われるんだよ!


「そ、そっか……分かった。何か、ごめんね」


 あ、あれっ? 風呂場に向かったんだよ。良かった、良かったよぉぉ。ずっと、昼間からずっと、綱渡りの様な状況が続いてるんだよ。


 もう猫には、これから打つ手を考える材料も頭も無かった。だから、何かしらの弱点が見つかるかもしれないと思い、お風呂場に行った。


 ゆっくりと脱衣所へ続くドアを開けると、身体を洗っていた様で、気付かれる事無く忍び込めた。曇りガラス越しであれば、猫が動かない限りこちらに気付く事は無いだろう。


 暫くすると、小鳥は身体を洗い終え、シャワーを止めた。


「さてと」


 曇りガラス越しに、湯船に浸かる姿が見えた。


「どこまで話したっけ?」


 えっ? えっ? えっ?


「人生ゲームが終わって、その後の事だよね?」


 あぁぁぁあ、あぁぁ、あぁ……


 バレてるんだよ。猫がここに居る事バレてるんだよ。


「そうだね、今のところ悪かった点は見当たらないかな?」


 へっ?


「でも、これからが大事だから、気は抜けないね」


 あぁ、また猫には見えない人と喋っていたんだよ。バレて無くて良かったんだよ。でも、いい加減気味が悪いんだよ! 


「この後の事は、どこまで考えているんだい?」


「一応、考えてはいるんだけど……猫ちゃんが、喜んでくれるかどうか……」


「勿体ぶらないで早く教えておくれよ」


「知恵の輪で、遊ぼうと思う」


 知恵の輪? 何だその輪っかは。手錠の様な物だろうか? ね、猫ちゃんは、そんな物で縛られて喜んだりしないんだよ。


「なるほど、あれは楽しいよね! 小鳥は良いとこ突くなぁ」


「なかなか外れないから、猫ちゃん焦るだろうなぁ」


 ヒィィィイッ!


 ね、猫にどんな枷をはめて、弄ぶつもりなのか。


「よく思い付いたね」


「でしょぉ? 私が小学生の頃から集めてたコレクション全部持って来たんだから!」


「だからキャリーバッグだったのか! お風呂の後が楽しみだなぁ」


 盛り上がってるんだよ。そんな大量の器具で、猫が悶える様を想像して盛り上がってるんだよ!


「でも、意外と猫ちゃん簡単に解けちゃったりするかも!」


「そうだね。でも、流石にあの数は全て解けないよ」


「そうかなー? 猫ちゃんが全て解けるまで、寝かさないんだから!」


 ニィヤァァァァァァァァァァァア!


 ま、まさに、恥辱の限りを尽くされて殺されるんだよ。


「それにしてもこの湯船、臭くないかい?」


「そう? 恐子は鼻が良いからなぁ」


 三日目のお風呂の臭いに気付いたんだよ。


「優子は、何も感じ無いのかい?」


「んっ? まぁ、臭いよぉ。でも、良薬は口に苦しって言うじゃん? きっと、私が泊まりに来るから、滅茶苦茶高い温泉の素を使ってくれたんだよ!」


 全くもって的外れなんだよ。お母さんは、誰が泊まりに来てもサイクルを変えないんだよ。それは、高い温泉の素の臭いでは無くて、猫のアレの臭いなんだよ。


「こんなに透明というか、薄い緑色の温泉の素があるのかい?」


 き、きょうこさんは、余計な事を言うんじゃ無いんだよ。


「色で誤魔化さないのが、本物っぽいじゃん」


「でも、ほぼ無色で臭いってのはちょっと……」


 きょ、きょうこさんは黙ってて欲しいんだよ!


「こういうのってさぁ、きっと身体にとても良いんだよ」


 そ、そんな事は無いんだろうけど、良い方向のQEDが成されそうで一安心なんだよ。


「そっか、そうかもしれないね」


「そうだよきっと!」


 きょうこさんも納得してくれて良かったんだよ。


「そういうのって、飲んだら効能あるって聞かない?」


 きょうこさんは余計な事しか言わないんだよ!


「あっ、確かに!」


 や、やめといた方が良いんだよ。いくら猫でも、そんな事はしないんだよ。


「すくってみてごらんよ」


 促すんだよ! きょうこさんはとっても促すんだよ。


「これを口に入れるのかぁ……さぁっ! ズッ! オエッ、オェェェェェェエ」


 オェェェェェェエッ。ハッ、アァ、アァア、オェェェェェェエ、オエッ、オッ、オッ、オッ、オエッ。


「これ、ヤッベェ」


 き、きょうこさんどっか行ったのかな? オエッ、もうすぐお風呂上がるかな? オッ、オッ、こ、ここに居たらヤバいか、か、かぁ、オッ、オエッ! に、逃げないと。


「アッ、アァ、これヤベェ」


 っ、ってか、クレイジーなんだよ! ひとの家に泊まりに来て、ひとの湯船のお湯飲むって、滅茶苦茶クレイジーなんだよ!

 

 猫は、タツ兄の部屋で待っている事はどうしても出来なくて、自分の部屋で毛布にくるまった。身体の芯が冷えきっているせいか、いつまでも震えが止まる事は無かった。

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