第五章 義理の妹と結婚するまで
第44話 出発
年が明けて二月の中旬。本日は予てから計画されていたジレンマの冬季旅行の日だ。
大学生活は単位の取得も滞りなく、これなら二年生に上がって教員免許取得に必須の講義を増やしても問題なく卒業出来るペースだ。それだから、今回は気兼ねなく遊びに行ける。(ちなみに夢子は学年で五指に入る成績だったようだ)
「二泊三日だよね?」
夢子が訊く。今朝の朝食はオニオンスープとトーストだ。
「そうだよ、ご飯ちゃんと食べるんだよ」
「お兄ちゃんじゃないんだから、大丈夫だよ」
そう言って、夢子は笑った。
一月末、俺に新しい妹が出来た。(とは言っても俺が父親でもおかしくない歳だから、妹と言う感覚はかなり希薄だ)
ある日父から連絡があり、俺が現場に駆けつけた頃には既に出産が終わっていて、それは元気な女の子だった。かなりの安産だったようで、父もほっと胸を撫で下ろしたことだろう。
名前は琴子。彼女が健康に育ってくれる事を願おう。
夢子はというと、最後の最後で意気地がなく病院の下で俺の事を待っていた。時子さんが無事だったと伝えると安心した様子だったが、俺が思うより二人の溝は深いらしい。何とかしてやれるといいのだが。
洗い物を済ませて、鞄の中身の最終チェックを済ませた。忘れ物はない。
「それじゃあ、行って来るよ」
挨拶すると、夢子は炬燵の上にスマホを置いてから俺を見て、「ん」と言って両手を伸ばした。
これは夢子がハグを求める時の仕草だ。最大まで簡略化されていて、且つ断れない最強の技。ずりいよ、こんなん。
たち膝を付いてその体を抱きしめると、夢子もそれを返す。耳元で寂しそうに「いってらっしゃい」と囁かれて、俺は少し緊張してしまった。
鞄を持ち上げて玄関へ向かう。夢子は炬燵から出たくないようでそのまま俺をじーっと見ていたが、家を出てから振り返ると玄関の扉を開けてこちらを見ていた。
小さく手を振るその姿に返事をして、俺は大学へ向かった。時刻は七時過ぎ。
「お疲れ様」
「うい、お疲れ〜」
この場に疲れている人間はほとんどいないはずだが、大学生の共通認識として挨拶は「お疲れ」となっている。俺はこれが不思議でならない。
出発は大学構内の駐車場からで、旅館はワンフロアと宴会場を二日間貸し切り。バスは二台をチャーターしたかなり大規模な企画となった。
トラブルの起きないように、出発前に集金を済ませる。メンバーの料理の好みでメニューを増やし、カラオケや卓球台、麻雀卓等ののレンタル料金を含めると予算からオーバーしてしまったから、その分を徴収しているのだ。
最初から文句もなくそれらで遊んだりしないと言う人もいるだろうから、そこは返金で対応する事にした。イベント事で出鼻をくじかれるとその後全てグダグダになってしまうから、こうして決めておくのが吉だ。
「文也、こっちは集め終わったよ」
業務部のメンバーが作業を終えて、順番に俺の元に集まる。各々が集計してくれた金額を合計すると、正しい数字となった。問題なく全て集まったようだ。
そこからしばらくバスに揺られ、俺達は北陸地方へ向かった。
みんなのテンションは既に最高潮で、車内の盛り上がりは凄まじい物であった。(この人たちのパワーは本当に凄いと思う)
一方の俺はと言うと、スキー場に電話をかけて予約の確認とレンタルの手配をしたり、バスの運転手さんと帰るときの時間や場所を決めたり、とにかく色々と雑務をこなしていた。
「文也君、私にも何か手伝える事ある?」
隣でそう言ったのは三年の島崎先輩。ジレンマらしからぬおっとりした性格で、茶色いパーマと性格とは対照的な悩殺ボディが特徴だ。業務部に加入してくれていて、入部理由は友達に紹介されたからのようだ。
「いえ、もう作業も終わりますから」
なるべく自然な笑顔を心掛ける。
「そう言って終わってる試しがないよ。僕も手伝うから、三人で終わらそう」
後から声を掛けたのはニ年の黒羽先輩。黒の長髪で、細身の体と黒いフレームの眼鏡が知的な印象だ。面倒見がよくて、頼られているのをよく見る。彼も業務部に所属してくれている。ちなみに酒が入るとオネエになる。
「そうだよ。文也君、いっつも一人で仕事してるんだから」
歳上にそう言われると俺も弱い。大人しくまとめておいた資料を手渡して、それぞれに指示をした。
途中で何度か休憩を挟みながらバスは進み、昼を少し過ぎた頃に目的地に到着した。
俺は二人にお礼をしてバスを出ると、別号車に乗っていたトラに報告に行った。
「助かる、本当に任せっきりになって悪いな」
「いいよ、大丈夫」
トラにはトラの仕事がある。気にする必要はない。
まずは旅館に荷物を置く。他のみんなとは違うシングルの部屋だ。その理由は簡単で、部屋を均等に分けられず一人余ったのだ。(ちなみに四人部屋がオーソドックスだ)
だから業務部長権限で一人部屋を確保できたという訳だ。表面上は、恋人のいる人間を割り当てるとあまり良くないという理由で独り身の俺が割り当てられた事になっている。
準備を終えて再びバスに乗る。程なくしてスキー場に着いた俺達は、着替えてから再度ゲレンデに集合した。
「フミは借りモンか」
このダサいウェアは、トラの言う通りレンタル品だ。
「まあな、ボードも借りてきた」
一方でトラは有名なストリートブランドのオーバーサイズのパーカーとネックウォーマーにゴーグル、それにストレッチの効いたチノパンを履いていた。こいつ本当にお洒落だな。
しばらく二人で話していたが、次第に秘書の面々やトラといつも行動しているメンバーが揃ってきたから、俺はしれっとその集団から離脱した。
トラが適当に挨拶を済ませると、次の集合時間まで自由となった。俺はまずロッジに入ると、ホットコーヒーを購入して窓際に座り、今晩の宴会の最終調整をした。
「やっぱり、そんな事だと思った」
中根が正面に座る。白のマウンテンパーカーとピンクのチノパン。その可愛らしさから自前であることは明らかだった。
「お疲れ」
「疲れてんのはあんただけだっつの」
そう言って肘を付いてため息を吐いた。
「そうは言っても誰かがやらないとな」
プログラムを確認する。必要ないとは思うが、旅館に電話をかけて向こうの状況を把握した。予定通りに事が進みそうで一安心だ。
「よさそうだ。あとは好きに飲み食い出来る」
書類をまとめて、ジレンマ全体のグループチャットに宴会内容を報告してから俺はスマホを仕舞った。
「文也ってどうしてそんなに仕事が好きなの?」
「だから好きじゃないって、誰かがやらないと……」
言いながら俺は父の事を思い出していた。そうか、あの人もきっとこんな気持ちで毎日仕事していたのだ。やはり、俺は父の息子なのだと再認識した。
「どうしたのよ」
「何でもない。まあ、少しは楽しいかな」
立ち上がってコーヒーを飲む。暖房が効いているはずだが、既にぬるくなっていた。
「行こう」
そう言って、俺はロッジを出た。
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