第30話 解放

 現場は更にヒートアップしている。俺は二人の間に割って入った。




 「落ち着け」




 まずはトラの方を向いて宥める。




 「フミ……」




 俺の顔を少し見て落ち着いたようだ。俺の為にキレたのだと考えると、あまり強くも言えない。




 「嬉しいけどよ、な?」




 褒めて咎める。トラに言われた通りの方法だ。本来喧嘩くらい好きにやればいいと思うが、それは当事者しかいない場合に限る。周りに迷惑がかかるようならば、プロレス以外やるべきではない。




 「わかったよ。お前がそういうなら」




 「おい、突っかかっといいて勝手に終わってんじゃねえぞ!」




 金髪は俺など気にも留めない様子でトラを怒鳴りつける。だがトラの頭は冷えているようで、その声に対しても周りに対しても申し訳ないと謝っていた。




 「まあまあ。向こうも謝ってんだ。あんたも落ち着けよ」




 「しゃしゃり出てきて何言ってんだ?つーか誰だよ。すっこんでろよ」




 そういうと、彼は俺の顔面に唾を吐いた。夢子の声が、やけにクリアに聞こえた。




 トラは拳を握りしめているが、何も言わないで俺たちを見ている。




 「なんてことしてんのよ!ねえ、あんたもういいでしょ?文也君は何も悪くないし、虎緒だって謝ってるのよ?」




 那子さんが口を挟んだ。やはり元ヤンなのだろうか?だが、その距離はまずい。




 「るせえ!ぶっ殺すぞ!」




 那子さんに向けて金髪が手を伸ばした。




 ……ごめん。竹藤先生。




 瞬間。俺は金髪の顔面を鷲掴みにすると、すぐに左手で首を掴んでそのまま少し持ち上げた。




 「まっ……っ」




 金髪は俺の手を掴んで引きはがそうとするが、そんなものでは俺の握力は解けない。動けば動くほどこめかみと喉に指が食い込んでいく。じたばたと暴れて俺の足や腹を蹴るが、それを受けるたびに強く力を込めた。




 「やめっ……っ。ごはっ!」




 それを聞いて俺は彼を投げ捨てた。地面に叩き付けられて咳き込んでいる。しゃがんで顔面をのぞき込むと、彼は充血した目で俺を見た。睨んでいる訳ではなさそうだ。




 「あんた、これはよくねえよ。ん?」




 首を傾げて訊く。




 「てめえ、……ごっほ、あん時の……っ」




 再び咳き込み下を向いた。さっき言っていたことと違うような気もするが、意外にも彼は俺の顔を覚えていたらしい。やった方はそういうことを覚えていないものだと思っていた。




 「変な因縁だよな。だが今のはこの前とは訳が違う。分かるだろ?」




 「……あの動画はもう広まっちまってる。消せねえぞ」




 「そんな話してねえんだよ」




 沈黙。少しして、金髪は俺から目線を外した。




 「わぁった。もう来ねえよ、クソが」




 俺が顔をどけると、金髪は起き上がってフラフラとどこかへ向かって行く。その後に続いて、どこから出てきたのか前に俺にカメラを向けていた男もついていった。




 次第に緊張が解け、ポツポツと口を開く者が出てきた。周囲を見渡すと、トラは那子さんを背中に隠している。きっと、あの瞬間手を引くなりして彼女を守っていたのだろう。




 「あ、あの」




 集団の中の一人がトラに話しかける。




 「今あいつについていった奴、俺が誘ったんだ。知り合いも連れてこいとか言って。……ごめん」




 どうやらそういうことらしい。聞きながら俺は顔を拭った。タバコの混じった唾液の臭い。最悪の臭いだ。




 そんな彼をトラは「お前が悪いわけじゃない」と言って慰めていた。同感だ。それに俺は、金髪の彼だってトラに絡まれた一種の被害者だとさえ思っている。口に出したら周りがうるさそうだから、そんなことは言わないが。




 などと考えてしまっている辺り、俺もかなり興奮しているのだと思う。しばらくは黙っておいた方がいい。沈黙は金だ。




 しかし冷静になってくると、とんでもない罪悪感に苛まれてきた。あの恩師に顔向けができない。




 「文也君。ごめんなさい、私のせいで」




 手を出させてしまって。那子さんはそう言いたいのだろうか。




 トラから事情を聞いたのかもしれない。俺が喧嘩をしない理由を直接知っているのは、この世界の中でもトラだけだからな。




 「とんでもない。むしろ俺の方こそ申し訳ないです。こんな騒ぎになってしまって」




 それを聞いて何かを言いかけたが、彼女は何も言わなかった。きっとそうしてくれると思った。俺はあの人の優しさに甘えたのだ。




 事態の収拾を付けようと尽力するトラを見てから「手伝ってあげて下さい」というと、彼女はそちらへ向かった。




 見送ると、どっと疲れが出てきたから俺はそこから少し離れた場所に置いてある椅子に座った。




 「お兄ちゃん」




 気が付くと、夢子が泣きそうな顔で俺を見ている。




 「……ごめんな。他に方法を思いつかなかった」




 「ううん。お兄ちゃんは悪くないよ。でも」




 夢子は隣に座って、その震える手で俺の肩にしがみ付いた。




 「すごく、怖かった」




 心に楔を打ち込まれたような感覚があった。痛い。




 こんなに痛いと思ったのは人生で始めてだ。俺は夢子にそう思われないようにする為に努めていたのに、全て台無しだと思うと切なくて仕方がなかった。




 「でもね」




 ……。




 「人を守るってこういうことなんだって。今までお兄ちゃんが私にしてくれていた事ってこういうことだったんだって。わかったの」




 「……夢子」




 顔を上げると、夢子は涙目で微笑みを浮かべていた。




 「前にあの人にナンパされた時、私はお兄ちゃんを信じきれなくて泣いちゃったの。覚えてる?頭撫でてくれたよね」




 覚えているとも。




 「お兄ちゃんの怖いところ見たくなかったの。でもね、私もう決めたの。だから今回は覚悟してた。ちゃんと、みんなの事守ってくれるって信じてたよ」




 決めてるとは、一体何のことだろうか。いや、そんなことは今重要ではない。




 「でも、結局怖がらせちゃったしな」




 「大丈夫」




 「大丈夫って」




 「私、お兄ちゃんの事大好きだよ」




 そういって、夢子は俺にキスをした。

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