第13話 鼻歌
「そんなに寝れないんですか」
私は黙って頷いた。
「わかった。じゃあおいで」
言われてにやけそうになったが(にやけてたかも)、部屋の電気を消すことでそれを誤魔化した。これは明らかに兄妹の境界線を越えている。お兄ちゃんはどう思っているのだろうか。
ベッドにスペースを空けてくれたから、私はそこにゆっくりと挟まって、お兄ちゃんとは反対の方向を向いた。どこまでなら、リクエストに応えてくれるんだろう。
「ねえ……頭、なでてほしい」
言うと、何も言わずに頭を撫でてくれた。気持ちよくて、守られているような気がして、すごくドキドキしてきた。してきたけど、気持ちよさも相まって、すごく眠たくなってきてしまった。
……。
気が付くと朝になっていた。私はお兄ちゃんの背中に抱き着いて寝ていたようだ。お兄ちゃんのTシャツに、少し私の涎が付いている。
まあ、これは私を気持ちよくさせたお兄ちゃんが悪いよ。
お兄ちゃんを起こさないようにベッドから抜けて、洗面台へ向かう。歯を磨きながらスマホを見ていると、例のチャットルームにメッセージがあった。
『今日遊びに行こうよ』
理子からだ。特に行く場所を決めていないとき、あの子はこんな誘い方をする。私が『おけ』と書き込むと、詳しい場所と時間が指定された。朝ごはんを食べていると、真琴からも返事が来る。『かしこ』だそうだ。
適当に身支度を整えていると、あっという間に時間が来てしまった。お兄ちゃんが起きてくる気配はない。仕方ないから、書置きだけしていこう。
駅前の喫茶店に入ると、既に理子と真琴が来ていた。別に時間に遅れたわけではない。それでも何となく悪い気がしたから、「ごめんね」と一言言ってから紅茶を注文した。
「それで、どうだったの?」
開口一番がそれで、その後もずっと質問攻めだった。二人とも自分が恋人を作ろうとしているわけではないのに、私の恋路にはやけに興味がある。
きっと、本当は好きな人が欲しいのだろう。もしそれが出来たときには私がいじる側に回るのだから、今はこれでいい。
「……ふぅん。結局大した進展はなかったってわけね」
そうつぶやいたのは真琴だ。
「まあね」
カップにティースプーンを入れて、中身をくるくるとかき混ぜた。特に意味はない。
長く一緒にいると、よくこういう時間がある。同じ空間にいて、それなのに各々が好きに暇を潰す時間。こうして休みながら話すのが長く続けるコツ。頑張って矢継ぎ早に話題を変えるのは、喋るのも聞いているのも疲れる。私はそう思っている。
「あ、そういえばさっきコンビニでこれ買ってきたんだ。見てみて」
理子が鞄の中からファッション雑誌を取り出した。普通これを忘れたりすることはないと思うのだが、そういうちょっと抜けているところが、理子のかわいいところだったりする。
ページを広げると、中身はデートコーデの特集だった。
「お兄さんの服装ってどんなの?参考になるかもよ」
私が普段読むのより少し大人向けだ。多分、お兄ちゃんと同じくらい。
「どうだろ。あの人いっつも白いワイシャツとジーンズだよ」
妙に体格がいいから、それでも様になっている。
「じゃあこんな感じじゃない?」
見ると、普段私が着ないようなファッションをしたモデルが載っている。
「こんな服持ってないよ」
私の今の格好はニットのセーターにタイトな黒ジーンズの少し背伸びしたようなファッション。持っているのも似たようなものばかりだ。
「じゃあ買いに行こうよ。明日それ着てデート行っておいでよ」
「確かに、それいいんじゃない?」
賛成だった。二人も付き合ってくれるのであれば心強い。
そうと決まればここに長居は無用。荷物をまとめるとレシートを持ってレジへと向かった。
店を出て目の前の駅へ。電車に乗ってしばらくすると、繁華街へと着いた。ここには大きなデパートがある。私が普段着ないような趣味の服装だから、色々探せるようにこういう見て回れるようなところがいい。
買い物を始めて二時間、目的のものは大体揃った。見本は手元にあるから、ブランドを探ってサイズを合わせるだけ。
最後に靴を見る。店の奥の棚に置かれていた茶色のパンプスにすごく惹かれた。それを購入して、私の買い物は終わった。
……財布の中に、お金が入っていない。少し調子に乗ってしまったような気がするけど、逆に言えば全て揃えられてしまうくらいお小遣いを貯めてしまっていたのだ。たまにはいいだろう。
「いいじゃん。すごくかわいいと思うよ」
理子が言う。
「そっかな」
「うん。きっとお兄さんも気に入るよ」
すごく楽しそうに笑っていた。
ちなみに真琴は私が理子と話している間、ずっと私の髪で遊んでいた。出来上がった髪型はかなりいい感じだったけど、確実に私一人でセットできるものじゃなかったから、これはお兄ちゃんには見せられない。
デパートを出るとそのまま駅へ向かい、二人とはそこで別れて家に戻った。大して重たい荷物ではなかったけど、靴の箱がかさばって持ちにくい。返品する気はないし、箱は処分してもらえばよかったと思う。
帰ってきて箱から靴を出して、撥水スプレーをかけてからそれを玄関に置いた。お兄ちゃんに見せびらかしたい気持ちがあったからだ。
夕飯の準備をしている間、明日の妄想を膨らませて楽しんだ。どこに行こうか決めているときが一番楽しい。
料理が終わって、暇潰しに理子からもらった雑誌を読んでいた。見本にしていたページにライムグリーンの付箋が貼ってある。きっと真琴が貼ったのだろう。
……しばらく待っていてもお兄ちゃんが返ってくる様子がなかったから、先にシャワーを浴びることにした。
すごく上機嫌になっていて、思わず鼻歌を歌ってしまう。周りの音が全く聞こえていなかったのはそのせいだ。
自分の部屋から下着を持ってくるのを忘れたことに気が付いたのは、身体を拭いているときだった。上に行くとき、ついでに置きっぱなしにしてしまったあの雑誌も持っていこう。
そう思って、髪を拭いていたタオルを肩にかけて、リビングの扉を開けた。
「あ……っ」
お兄ちゃんがいた。ばっちり目が合った。服を買いに行ったのに、裸を先に見られてしまった。などと下らないことを考えて、私は静かに扉を閉めると自分の部屋に戻った。
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