99+1

 包帯に覆われた肌は見るからに痛々しく、翼に添える固定具は鉄パイプを短く切った物だ。風を浴びる彼女はやはり物憂げで、俺は会話のきっかけを探していた。


「あー……その、名前は? いや、先に俺から名乗るわ! 俺は九十九ツクモ。99じゃなくて……」

「アインズ、です。落ちてきました。よろしくお願いします」

「……うし、アインズ! ちゃんとシートに掴まっとけよ。タンデムとか、慣れてないんだよ」


 当てのない旅だったのは、最初からだ。目的などない、ただ風を浴びるためだけのツーリング。そのために設計されたホバーバイクは、摩擦や空気抵抗を排してスピードを追求するためのデザインだ。惜しむらくは、形骸化した法定速度である。


「……アインズが元々居たのは、どういう場所だったんだ?」

「普遍的な、狭い世界です。無数のビルが林立して、どれもがその高さを競い合うように天を衝いているんですよ。空の果てなんて開発され尽くして神秘でもないし、どこに行っても同じ景色なんですよ。統一と平等に重きを置いた、本当に普通の世界です」


 アインズは静かに憫笑した。彼女が追放されたとすれば、故郷に対して聞いたのは不躾だったかもしれない。俺は数秒言葉に詰まり、次の話題を探そうとした。


「……違いますよ? 私は、自分の意思で落ちてきたんです。自分で翼を折って、選択肢のない世界から逃避したんです。だから、なんの未練もありませんよ」


 俺の逡巡を察したのか、アインズは心を読むかのように自らの出自を訂正した。やはり、天使に隠し事は通用しないのかもしれない。

 同時に、彼女の憂いの理由の一端が掴めた気がした。彼女が最初に言った言葉は……。


「選択肢が欲しい、って言ってたよな。上はそんなに窮屈なのか? ハードワークで過労死寸前、みたいな」

「私たちは、運命さだめが決まっています。生まれてすぐに適性を測られ、“適切な”労働と“適切な”休息を与えられます。そのまま、老いるまで決まった役割を全うするんです。規律の元に、厳格に、一本の道を。そこに、分岐点や選択肢はありませんから……」


 下の世界なら分岐点があると聞いた、と彼女は笑う。ここは広いので何処かには行けるはずだ、と。


 俺は、静かに口を開いた。


「残念だったな。ここも、同じようなもんだよ。この道に分岐点なんてない。どこまで進んでも真っ直ぐな道だ。進むか、降りるか。俺たちに提示された選択肢は、それだけなんだよ」

「……じゃあ、なにか目的があって旅をしているのではないんですか?」

「あるとすれば、一周することくらいか? この惑星ほしは丸いから、真っ直ぐ進んだとしても同じ場所に帰ってくるんだ。山を突き抜けて、海の上を渡って、荒野を乗り越えて。そうやって、俺は俺の背中を追ってるんだよ。いつか追い越せるように、ってな」


 前進ではなく、停滞だ。果ての無い円環を廻りながら、限りある人生をただ消耗している。

 そんな批判など、とっくに自分自身が脳内で行っている。だからといって立ち止まるのは以ての外で、俺は自らが決めたルールにかえって安心感を覚えていた。ルート254に沿ってアクセルを踏みさえすれば、ハンドルを切らなくても終わりのない疾走を続けられるのだ。


「でもなぁ。例え一本道だったとしても、どう進むかは俺たちの裁量に任されてるんだ。低速でノロノロ進むのだっていいし、全速力で進んだっていい。逆走もいいな……」

「……詭弁ですね。法定速度だってありますし、逆走はルール的に許されていないはずです。私が求めているのは、もっと劇的な……」

「……劇的じゃない選択肢さえも許してくれなさそうな輩が追ってきてるが、どうする?」


 背後で聞こえる不吉なサイレンの音は、交通規則を破ることを先読みした訳ではないだろう。ただのスピード違反の取り締まりに、わざわざ俺と同型のホバーバイクなど使うはずがないのだから。


『運転手、止まりなさい! 上層からの客人は保護されるべき人材で、我々は全力を尽くして歓迎する必要がある! これ以上警告を無視する場合、公務執行妨害として……』


 ミラーに映るホバーバイクに搭載されたスピーカー越しの轟音は喧しく、耳をつんざくハウリング音までついてくる始末だ。俺は耳を塞ぎ、声を張り上げてアインズの意思を確認する。


「この一本道が気に入らないなら、ここで降りるのも立派な選択だと思うぜ? 俺も厄介払いができて、ちょうど良い!」

「……それは嫌です! 逃げた意味がなくなるじゃないですか!」

「……それが選択なら、仰せの通りに!」


 搭載した違法エンジンの出力を確認すると、俺はアクセルを強く握った。このための改造、このためのゴールド免許だ。

 空いた手で背後の追跡者に中指を立てると、圧縮大気の排出機構を駆動させる。放出されたエネルギーが速度を生み出し、相棒は急加速した!


「ハンドル切らなくて良かったよ! 速度さえ出せば撒けるんだから!」


 俺とアインズは車体をしっかりと掴み、速度が発生させる衝撃に耐えた。ホバーバイクは一陣の風となって、視界を過ぎる景色は目まぐるしく変わる。時速500km、何かに接触すれば死は避けられない速度だ。

 サイレンは遠い後方で聞こえるが、まだ油断できない。バッテリーの消耗が凄まじく、車体にかかる負荷は確実に相棒の寿命を縮めているのだ。このまま身動きが取れなくなれば、確実に追いつかれるのだ。


「なぁ、アインズ。選択がしたくて落ちてきたんだよな? 俺からすれば、落ちること自体がとてつもない選択だと思うんだ。その為に自分の翼を折って死ぬ気で飛び降りるなんて、俺には無理だよ。大きな流れにはなるべく逆らわないようにしてきたし、今もなるべく楽な選択肢を選んでる。格好付けて協力したはいいが、今も心のどこかでやっちまったって思ってるんだよ」

「じゃあ、なんで違法パーツなんて付けたんですか? 余計に言い逃れできない気がするんですけど」

「……ルールの無視、一回はやってみたかったんだ。誰かのためなら、その一線は超えれるかなって!」


 俺がそううそぶくと、アインズは声を上げて笑った。そこに憂いの色は無く、芳醇なワインのような滑らかな声だけが耳に届く。

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