第二話 呼出 2
彼女が話の場として選んだ実習棟とは、僕達が普段授業を受けている本校舎の南に位置し、主に家庭科や音楽などの道具類が必要となる教科や特定の選択授業で使用される建物である。
造りとしては本校舎とさして変わらず、また、本校舎と実習棟を繋ぐ廊下も
何より実習棟の名を
つまるところ、今回のような密談を行うには最適な場所という事だ。
「それで、話っていうのは」
僕達が足を止めたのは実習棟四階東側の非常階段扉前。 口火を切ったのは僕だった。
「この前の授業中の席替えの話なんですけど、あれって、綾瀬くんが取り計らったんですか?」
開口一番、古谷さんにせんだっての席替えの件を
「どうして、そう思ったの?」
「実は、席替えをした三浦くんと神くんから席替えの
三浦というのは、竜之介と席替えをした男子生徒の名前だ。 しかし、なるほどそういう事かと僕は自身の詰めの甘さと古谷さんという人物像を読み違えていた事を心中で認め、反省した。
確かに僕は今回の件において、古谷さんには何の情報も伝えていなかった。
けれど、竜之介や三浦君に対して別段の口止めを
ただ、古谷さんにそれが知れたところで僕や竜之介の
だからこの件は彼女にとって "最後部座席に居た三浦という生徒の視力の悪い事を知った
しかし古谷さんはその筋書きが気に入らなかったのか、僕を実習棟に連れ出してまでこの件に関する何かを知りたがっているように思われる。
どうやら彼女の真意を知るには、こちらもある程度彼女の方へと踏み込まなければならないらしい。
「なるほど、二人に聞いたんだね。 なら別に隠す必要もないかな。
この前たまたま三浦君が目が悪いって事を聞いてね、先生によっては黒板に書く字の大きさも違うし、眼鏡をしてても最後尾からだとよく見えなくて不憫してたらしいんだけど、そこで僕と竜之――神君とでその事について色々相談してて、そういう事だったら俺が代わってやるっていう事で、神君がその役を買って出てくれたんだ。 それで先生にも経緯を話して、この前の席替えに至ったって訳」
あくまで古谷さんの事情には触れず、僕は事のあらましを彼女に説明した。 すると古谷さんは、何かを
「どうして神くんは、すんなり三浦くんと席を替わってくれたんでしょうか」と、僕に投げ掛けてくる。
一体彼女は何を知りたいのだろうか。 若干の
「もしかしたら神くんは、私が授業中に神くんの体で黒板が見えづらくて困ってる事、知ってたのかな。 だったら余計な気を遣わせちゃったのかなって思うと申し訳なくて。 それで、神くんに直接聞こうと思ってたんですけど、やっぱりそんな事本人に聞くのは気まずいし、席替えの件を聞くので精一杯だったんです。 でもその時に綾瀬くんがこの席替えに関わってたって教えてもらって、じゃあ綾瀬くんなら何か知ってるかもと思って、綾瀬くんから話を聞く事にしたんです」
古谷さんは、僕が思っている以上に
会話どころかまともに顔も合わせた事のない僕を唐突に呼び出した事といい、彼女のこれまでの行動力には積極性を感じさせられていたけれど、見当違いも
だから、彼女の積極的に見えた行動力は積極でも何でも無く、自身の
だとすれば、彼女は本来積極性など持ち合わせておらず、彼らから席替えの件を聞き出すのにすら相当の勇気を振り絞ったに違いない。 その時の彼女の心持を想像すると、ひどく心苦しい気分に
これが、古谷さんが自ら問題を解決しようとしなかった理由に相違無い。
「――古谷さんの言う通り、確かに神君は自分の体格のせいで古谷さんが授業中黒板が見え辛くて困ってるんじゃないかって言ってた事はあったよ。 だからこそ神君は今回の席替えを
で、ここからは神君の友達としての僕の憶測なんだけど、神君は今回の席替えの事に関しては何も気にしてないと思うよ。 まぁ、神君の体の大きさは神君が一番分かってるだろうし、古谷さんに負い目は感じてたかも知れないけど、今回の席替えでその負い目が無くなってむしろ喜んでるぐらいじゃないかな。
だから、古谷さんがこの席替えに関して気に病む事なんて何も無いよ」
僕がきっぱりそう言い切ると、古谷さんは口元を緩ませ「そうですか」と柔らかな口調で安堵をこぼした。 彼女の表情を見るに、ようやく知りたい事を知れたのだろうと手ごたえを感じた僕は、思い出したかのような空腹感に襲われながら、
「それじゃ、友達待たせてるからそろそろ行くね」と言い残して彼女に背を向けた――
「あのっ!」
――直後、実習棟の静けさにはまるで
「お礼が、言いたいんです」
若干震え気味の声音だったけれど、そうなってしまうほどに古谷さんは竜之介が席を替えた事に対し、気が
「じゃあ、僕から伝えておこうか? どうせ今から神君に会うし」
良かれと思ってそう言ったものの、彼女は無言でかぶりを振った。 やはり自分で直接言いたいのだろうか。
「違うんです。 私がお礼を言いたいのは――綾瀬くんです」
しかし、その推察は彼女の言葉によってまったく否定されてしまった。
僕の名前を呼ぶ直前まで
「僕に、お礼?」
彼女からの意想外な申し出に、僕はすっかり言葉と空腹感を失ってしまった。
ようやく掴んだと確信していた彼女の真意は、まるで雲を握った如くに虚しく
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