第十四話:湖面の波紋

 屋敷に着くと、ハンクが青い顔で腹を押さえていた。


 食あたりにあったのだろう。苦しそうに呻きながら机に突っ伏し、ジョッキを片手に倒れている。

 倒れながらも酒を手放さないその執着心は、私とて見習うべき点がある。

 まぁでもそれ、ただの泥水なんだが。


 シェリアはというと、お花を摘みに出かけているみたいだ。

 多少どんな様子なのか興味はあったが、私は紳士なことに定評のあるナイスガイである。

 あまり触れないであげるとしよう。


 ……イズ、そんな目で私を見るんじゃない。



「ハンク殿、これを飲むといい」



 私は虚空に手を入れ、宝物庫から霊薬を取り出す。

 友人のベル君が昔複製した《万能薬エリクサー》だ。

 オリジナルのように不老不死となる効果はない劣化品だが、傷や病の類はこれを飲めば全て治すことができる。


 以前ブブ君に「引きこもってばかりいると心が病んじゃうよ」と怒られたベル君が、「じゃあ心の病を治す薬があれば引きこもっても問題ないよね」と、私から万能薬の原液を借りて作った複製品だ。


 そもそも悪魔の心が病むことなんてないので、結局使うことなく大量に余ってしまった万能薬の複製品は、そのまま当然のごとく私が全部いただいたのである。


 そんな宝物庫に大量にある《万能薬エリクサー》の中から三つほど取り出し、倒れているハンクに手渡す。


 虚な目で受け取ったハンクはゆっくりと霊薬を飲み干し、やがて目に光を取り戻していく。



「お……おぉ……おおお?痛みが治まった……!」



 ハンクは驚いた様子で顔を上げ、自分の身体の調子を確かめる。

 やがて体調が完全に回復したことを確認したハンクは手をついて頭を下げ、お礼の言葉を述べる。



「……また助けられちまったみたいだな。マモン殿、不甲斐ない姿を晒してすまなかった……。…………毒でも盛られていたのか……?」


「もう一つはシェリア君に渡してあげるといい。それと、セシル君は二階の個室で眠っているから後で様子を見に行くときに渡してあげてくれ」



 彼の体調が治ったことを確認した私は、扉を開けて立ち去ろうとする。


 そして一緒について来ようとするイズを手で制止し、ハンクの方へ顔を向け声をかける。



「……それと私は少し用事があって出かけてくる。その間、イズのことを頼みたい」 


「…………え?」



 突然の言葉に衝撃を受けた様子で、イズが私を見つめてくる。

 私はその視線から目を逸らし、ハンクの返答を待つ。


 暫くの沈黙の後、やがてハンクは豪快な笑みを浮かべながら胸に手を当てて言う。



「おう、任せてくれ。……マモン殿がどこに行く気かは知らないが、そんな真剣な顔で言われちゃあ断れねえよ。……嬢ちゃんは俺が命に代えても守ってやるから安心してくれ」



 その言葉を受けて私は身を翻し、部屋から立ち去ろうとする。

 しかし部屋から一歩出たところで、後ろから掠れるような小さな声が聞こえ足を止める。



「…………わたしがいたら、足手まといですか?」



 感情を必死に押し殺したかのような声を受け、私はゆっくりと振り向く。

 どうしたものかと考えた後、イズの頭を撫でながら慎重に、言葉を選ぶようにして言う。



「……そんな顔をするな。……今はまだ足手まといだとしても、今後そうならないよう少しずつ強くなっていけばいいんだ」



 イズは割れ物を扱うかのように優しく頭を撫でる私を見て、キョトンとした表情をする。

 そして苦笑いを浮かべながら、その小さな手で瞳に浮かべていた涙を拭い取って言う。



「……あはは……そこは、嘘でもそんなことないって言うところですよ……。でも……わかりました! “次”はついて行きますから!」



 顔を上げた彼女は、いつもの屈託のない笑顔を取り戻し、華のような笑みを浮かべる。

 後ろではハンクが温かい目で私達を見ていた。


 コホン、と咳払いを一つして背を向ける私にイズが言う。



「師匠、いってらっしゃい」


「……ああ、行ってくる」



 イズの声に見送られ、私は山頂へと足を進めた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 山頂に行くと、山の天辺が抉れたような場所に湖面が広がっていた。湖は夜の理想郷ディストピアを照らすかのように神秘的な光を放ち、煌々と輝いている。


 絶壁が湖を取り囲み、湖面は波一つ立たないその静かな佇まいは見る者の心を魅了させる。


 そんな幻想的な湖面の中心では、空に浮かんでいる一人の女性が透き通った声で歌を歌っていた。


 <水歩アクアライド>の魔術を使い彼女の方へ歩いていくと、私に気づいた彼女が歌を止めて振り向く。

 そしてその静謐な瞳で私を見つめてゆっくりと口を開く。



「────魔術師というのは不憫です。幻妖桜の花が効きにくいのですから。知らなければ幸せなことだって、あるというのに」



 彼女は憐れむような視線を送り、空を見上げながら語りかける。

 杖をカツカツと湖面について静かな波紋を広げながら近づき、私は彼女の言葉を鼻で笑う。



「私はそうは思わない。知ることで人は本当に欲しいものが何かを理解し、進むことができる。何も知らされずに与えられただけの幸福には……欲が生まれない」


「欲深きことは罪となります。天上におわす我らが主は、人の欲を認めていません。その最たるものが混血です」



 黒翼を広げながら荘厳な口調で彼女は言う。

その目は瞳孔を縦に細め、竜のようであった。



「故に、私には彼らをこの地で永遠に縛り続ける義務がある。汚れた魂が死して天上へ還ることなど、許容できません」



 混血の魂を縛り続けるためにこの地下でゾンビとして永遠に管理する。

 魂を癒着させたままアンデッド化することで、輪廻転生の機会さえ与えられない。

 なるほど、その傲慢で一方的な態度は私の知っている神の使いにとても似ている。



「だったら、どうすると言うのだね?」



 烏面を歪ませて杖をクルクルと回しながら私が言うと、彼女の静謐な顔が嫌悪で歪む。

 そして私に向かい、辺りが凍りそうなほど冷たい声で言う。



「貴方が彼らを何処かに匿っているのは知っています。返さないのであれば────殺すまでです」





 ────彼女の身体がミシミシと歪み、やがて黒い翼を持つ漆黒の竜となった。

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