第37話 鈍感チンポ野郎


 ぼくと佐倉さんは一緒にお風呂に入りました、まる。

 佐倉さんは洗面所でドライヤーを使って髪を乾かしている。お風呂上りの、バスタオルを身体に巻いている姿はとてもえろい。

 お風呂に入って血行がよくなり、白い肌が赤く染まっている。サラサラの髪が濡れて、束を作っている様子も、いつもと違って良い。


「なに?」

「なんでもないよ!」


 ぼくは先に着替え終わって、じーっと彼女を眺めていた。『エロス!』な感じだったので見入っていたから、視線に気づかれてしまったようだ。


「長い髪の人は乾かすの大変だね」


 スポーツ少女なお姉ちゃんは肩にかからないぐらいの長さしかなく、乾かすのにかかる時間はぼくとそこまで変わらない。

 でも佐倉さんは背中まで伸びる長髪だから大変だ。しかも、バサついていない綺麗な黒髪だから、きっといつも丁寧にお手入れしているのだろう。かなり時間がかかるはずだ。


「ドライヤーで乾かすの、ぼくにやらせてよ」

「いいの!?」


 いつも一人でやるのも大変だと思って何気なく提案してみたら、すごく食いついてきた。


「弟くんに髪の毛乾かしてもらうの憧れだったんだ」

「じゃあこれからは、ぼくにできるときならぼくがやるね」

「ありがとう弟くん!」


 じーんと震えて喜ぶ佐倉さんから、ドライヤーを受け取った。

 後ろにたってドライヤーをかけようとすると、佐倉さんがモジモジし始める。


「どうしたの?」

「髪の毛乾かしてもらうのって、いざやってもらうとなると恥ずかしくて」

「もっと凄いことしてるのに今さらなに言ってるんだ」

「そうなんだけど、でも違うの」


 うーん。

 ぼくが男だからだろうか。佐倉さんの言っている感覚はよく分からない。

 今さら気にするものではない気がするのだけれど。


「じゃあ始めるね」

「こ、心の準備が――あぁっ」


 いざやってみると最初こそ変な反応を見せたけれど、次第に落ち着き、リラックスしているのかとろーんとした表情を浮かべて、ぼくにすべてを委ねてくれた。

 あの佐倉さんが、ぼくのものになったような気になってしまう。


 髪を乾かし終わって、佐倉さんは着替えた。

 残念ながら彼シャツではなく、元々着ていた制服姿だ。実のところ、一度彼シャツを試してもらったら、ぼくのシャツだと小さすぎて着ることができず、双方ともになんとも言えない気持ちになってしまい、なかったことになったのである。


「これからもよろしくね、弟くん」


 ぼくと佐倉さんが恋人になっただなんて、いまだに信じられない。ぼくでは到底釣り合わないほどの、魅力的な女性だと思っていた。相手にされていないと思っていた。でも、そんな彼女がぼくのことを好いていてくれて、こうして恋人になることができた。

 まさに有頂天といった感じだ。


「そういえば、恭子って呼んだ方がいいのかな?」

「うーん……私は弟くんに佐倉さんって呼ばれるのが好きだから今のままでいいかなぁ。弟くんは? 孝彦でも、たっくんでも、なんでも呼ぶよ?」

「ぼくも弟くんって呼ばれたいかも」


 『佐倉さん』というのは苗字だから、どうして彼女がその呼び方を好きなのかは分からない。

 でもぼくの場合は、弟くんという呼び方が特別なものに思えるからだ。単純にその呼び方は佐倉さんしか使っていないということもあるし、お姉ちゃんの親友と付き合っているんだという、その関係性がはっきり感じられて好きなのだ。


「でも佐倉さんがぼくのことを好きだなんて思いもしなかったよ」

「結構アピールしてきたつもりだったけど気がつかなかったの?」


 今振り返ってみれば、思い当たるふしはいくつもある。

 そのほとんどを、ぼくはからかわれているだけだと思い込んでスルーしてしまっていた。

 なんという失態だろうか。


「その、ごめんなさい」

「弟くんも鈍感チンポ野郎だね」


 ぐはっ。ぼくは死んだ。

 武田のことを鈍感チンポ野郎と呼んだこともあったけれど、まさかぼくこそがそうだったなんて。情けない限りだ。


「でも弟くんが気づいたら誤魔化してただろうしちょうどよかったと思う」

「どうして?」

「綾乃に恋人ができるまではどうこうするつもりなかったから」

「お姉ちゃん、佐倉さんにコンプレックス持ってるもんね」

「しかもブラコンだから。弟くんからはそこまで実感ないだろうけど、綾乃は超がつくほど重度のブラコンなの。2つのコンプレックスがかけ合わさって、それはもうとんでもないことになってたから」


 ぼくは自他ともに認めるシスコンだ。でも佐倉さんが言うには、お姉ちゃんのブラコン具合はぼく以上だという。


「だから綾乃に遠慮して、ずっと弟くんに手を出さずに待ってたの。でも綾乃に恋人ができたなら、もう義理立てする必要もない。だからもう我慢しないからね」

「……お手柔らかにお願いします」


 いい笑顔で佐倉さんが宣言した。

 返答に困る。


「もう、弟くんは可愛いんだから」


 そう言いながら、ぼくを抱きしめた。

 以前はぼくを子どもと思ってからかっているのだと思っていた。

 でも佐倉さんの行動は恋愛感情によるものだと判明している。そう思うと嬉しくなってしまう。


「1番にはなれないのは分かってるけど、3番は許さないからね」

「大丈夫だよ。あ、でも子どもができたら3番になっちゃうかもね」

「気が早いぞ弟く~ん」


 うりうり、と言いながらぼくの両頬を手で挟んでくる。


「早くなんてないよ。ちゃんと責任とってね」

「……ねぇ弟くん。もう一回お風呂入る?」

「入らないよ!」


 ギラギラした目で迫ってくる。その目に宿っているのは、間違いなく性欲だった。

 思春期の男子中学生みたいだ。


「佐倉さん……どすけべチンポ野郎だね」


 佐倉さんは消沈した。




    ◆




「弟くん、記念に写真とろうよ」


 佐倉さんは大事な人と一緒に写真を撮ることが好きなんだと言っていた。


「佐倉さんがこうして写真撮るのって、他に誰がいるの?」

「家族と綾乃と弟くんだけかな」

「おおぅ」


 ぼくと写真を撮ろうとすることは、彼女にとっての愛情表現だったのだろう。こども扱いされていると思って、ぼくは全然気がついていなかったけど……。


「気がついても良かったと思うけどね、鈍感チンポ野郎の弟くん」


 むむむ。

 なにも言い返せないじゃないか!

 やりこめられて悔しくなったぼくは一計を案じる。


「じゃあ撮るね、弟くん。はい、ちーず――ッ」


 佐倉さんがスマホで自撮りの写真を撮ろうとしたときに、ぼくは不意を打ってほっぺにキスをした。

 にひひ。恥ずかしがるがいい!

 佐倉さんはすぐには何が起きたのかに気がつかなかったのか、目を大きく開けて驚いて、やがて顔を赤面させた。

 そしてスマホで撮れた写真を見て、


「素敵な写真をありがとう」


 おおぅ。そういう反応か。

 素直に喜ばれるとこっちも恥ずかしい。


 佐倉さんは、ぼくがキスをしたほっぺを指でおさえた。熱い視線を写真に注ぎながら、その指をツーっと移動していく。やがて、指はぷるっとした唇へとたどり着き、ゆっくりと唇を撫でまわした。

 佐倉さんが無意識にとった行動を見て、ぼくは提案する。


「もう一回お風呂に入ろう」


 より一層顔を真っ赤に染めて、佐倉さんは頷いた。

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