第32話 あたしはフラれたんだ
クッキーを一緒に作った次の日。
本当はすぐに家に帰ってお姉ちゃんを待ちたかったけれど、中学校で用事があって少し帰るのが遅くなってしまった。家についたのは午後5時前で、もうすぐ空が赤くなり始めそうなころだった。
お姉ちゃんには部活があるから、帰ってくるのはまだしばらく先だ。お姉ちゃんが好きなハンバーグでも作って待つことにしよう。
「あれ……?」
玄関の鍵が開いている。
今日の朝、最後に家を出たのはぼくだ。鍵をかけ忘れたのだろうか。
いや、違う。
ぼくは確実に鍵をかけた。
鍵をかけるという行為は毎日行っているものだ。日々のルーティーンで、半ば無意識にやっているようなものだから、ちゃんと行ったかどうかを改めて考えたとき、確信をもてないこともある。
でも今日は違う。鍵をかけたことははっきり覚えている。お姉ちゃんが無事にクッキーを渡せるだろうかと考えながら施錠した記憶があるのだ。その記憶は今日の朝しかありえず、他の日と勘違いしている可能性はない。
「まさか、泥棒!?」
親は海外にいるし、お姉ちゃんは部活中だから、他にこの家の鍵を開けられる人はいない。とすると、泥棒が侵入しているのかもしれない。
すぐに警察に連絡ができるようにスマホを取り出し、恐る恐る玄関の扉を開けた。
家の中は灯りがついてないし、誰かが動いているような気配もなかった。
少し安心する。でも、泥棒が気配を消してコソコソしているかもしれない。
なるべく音をたてないように家の中に入る。土間で静かに靴を脱ごうとして、あるものに気が付いた。
「お姉ちゃんの靴だ」
いつも学校に行く際に使っている革靴だ。今日もこの革靴を履いて登校していた。
でもここに靴があるということは、お姉ちゃんが既に帰ってきたということだろうか。
「ただいま~。お姉ちゃんいるの?」
大きい声で呼びかけても返事はない。
リビングをのぞいても、お姉ちゃんの姿は見当たらなかった。
お姉ちゃんの部屋にいるのだろう。返事がないから、もしかしたら寝ているのかも。
「入るよ?」
部屋の扉をノックするけれど反応はない。
仕方ない。ぼくは無断で扉を開いた。
「お姉ちゃん?」
部屋の灯りをつけると、ベッドの布団が膨らんでいた。
おそらくお姉ちゃんが頭から布団をかぶっているのだろう。返事がないので強引にその布団を引っぺがす。
「何があったの?」
「うるさい」
ぼくとは反対側を、つまり壁に顔を向けて、身体を抱え込むように丸めている。
うーん。
これはいったいどういうことだ?
部活が大好きなお姉ちゃんが、部活をサボって家で不貞寝しているだなんて、とんでもない事態だ。
周囲を見回すと、机の上には昨日綺麗にラッピングしたクッキーが置いてある。
「クッキー渡せなかったんだね」
「放っといて」
お姉ちゃんは恋愛に関しては相当奥手のようだったから、クッキーを渡せない可能性もあると思っていた。
でも、それでここまで落ち込むとは予想外だ。
「あと2、3日は味は落ちないだろうし、また明日渡せばいいんじゃない?」
チャンスはいくらでもある。
今日を逃せば明日挑戦すればいいだけの話だ。
「もういいんだ」
「どうして? 武田って人のこと好きなんでしょ?」
「好きだけど、あたしじゃダメなんだ」
「何かあったの?」
「それは……」
言い淀んでいる。どうやら単純に勇気が出なくてクッキーを渡せなかった、という訳ではなさそうだ。
「僕だってクッキーづくりに協力したんだ。何があったのか聞く権利があるはずだ」
我ながら暴論である。
でもその暴論が通じたのか、お姉ちゃんは語り始めた。
「あたしは……武田にフラれたんだ」
「えぇ!?」
まさかの展開だ。
佐倉さんは2人が両想いだと断言していた。ぼくは彼女には人を見る目があると思っていたから、きっと2人が結ばれるとばかり思っていた。しかし、どうやら違ったようだ。
節穴だよ佐倉さん! 両想いだって言ってたじゃん!
「でも、お姉ちゃんも頑張ったね。クッキーを渡す前に告白したんでしょ?」
直接告白する勇気がないから、クッキーを作って渡すのだと思っていたから意外だ。
結果は伴わなかったけど、その行動力は称賛に値する。お姉ちゃんもやるじゃないか。
「別にしてないけど」
「えっ?」
「あたしは告白する前にフラれたんだ……バカみたいだろ」
「どういうこと?」
「授業が終わった後、武田にクッキーを渡そうとしたときに見たんだよ。武田と恭子の2人が話しているのを」
「そりゃ同級生なんだから話すこともあるでしょ」
「違う。武田が恭子に好きだって告白してたんだ」
「……えぇ!? そ、それでどうなったの?」
「分からない。すぐに逃げ出したから、その後どうなったかは見てない」
なにやってるのさ佐倉さん!
佐倉さんは武田に興味がないと言っていたから、その告白にオッケーの返事をする可能性はないけど、告白場面をちょうどお姉ちゃんに見られてしまうというのは最悪だ。佐倉さんとしても予想していない事態だろうけど、なんてことをしてくれたんだ。
「もういいんだ」
「お姉ちゃん……」
すっかり落ち込んでしまって、再び布団を頭から被ってしまう。
どうしたものか。
布団で形作られた小山を見ながら、ぼくは腕を組みながら悩んだ。
とりあえず佐倉さんに事情を確認しよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます