第12話 天変地異
「恭子のこと、許してやってくれないか」
「嫌だ」
たとえお姉ちゃんの頼みであっても受け入れられない。
ぼくの純情を弄んだ罪は重い。
「孝彦がそんなに怒るなんて、あいつに何されたんだ?」
「言いたくない」
キスしてくれると思ったら嘘だったことを怒っているなんて言えるはずない。
正直に話したらお姉ちゃんはどっちの味方になるだろう。
多分、エロ彦って言いながらぼくのことをチョップするんだ。
「恭子も反省してる。いつも飄々としていたあいつが、まるでこの世の終わりを迎えたみたいな状態だ」
「えっ……そうなの?」
「あぁ、正直痛々しくて見てられない」
そこまで本気で反省してくれているのか。
ぼくの決意がゆらぐ。
でも、簡単に許したくない。
「もし許していいと思えるようになったら、あたしに教えてくれ。それまでは恭子と孝彦が会えないようにするから」
「ずっと許さなかったから、ぼくのこと軽蔑する?」
「する訳ないだろ。お前が許せないなら、許さなくていい」
お姉ちゃんはぼくの頭をくしゃくしゃっと強く撫でた。
「今はまだ許す気はないけど、許す方向で考えてみる」
「そうか、偉いぞ孝彦」
そして、お姉ちゃんはもう一度、ぼくの頭をくしゃくしゃした。
お姉ちゃんに免じて、しばらくしたら許してあげよう。
でもすぐに許すのは癪に障るので、1か月ぐらいはこのままでいいと思う。
――そう思っていたのに、1週間後、それどころではない事態に陥ることとなる。
◆
「ふん、ふふ~ん」
登校前に干していた洗濯ものを取り込んでいく。
今日は良い天気だったから衣類もポカポカである。
一つ一つ、畳んでいく。
今は実質、ぼくとお姉ちゃんの二人暮らし状態だ。でも家事はほとんどぼくが担当している。
洗濯もぼくが担当ということで、つまりはお姉ちゃんの下着もぼくが洗っている。
弟のぼくが下着を洗うことに関して、お姉ちゃんはずぼらだから全く気にしていない。
洗濯物を畳み、掃除機をかけた後、夕飯の準備をする。
スマホから電話の着信音が聞こえてくる。
画面を見てみれば、佐倉さんが勝手に設定した写真が映っていた。
彼女から電話があると、スマホの画面に佐倉さんの画像が表示されるようになっている。
「はぁ」
何度目の電話だろうか。ぼくは無視を決め込んだ。まだしばらくの間、許す気はない。
メッセージアプリを開けば、謝罪のメッセージが大量にきている。既読スルーだ。
お姉ちゃんが言う通り、本当に反省しているのだろう。返事をしないことに罪悪感が芽生えてくる。
モヤモヤしてソファーにうずくまって座っていると、部活が終わったのかお姉ちゃんの足音が聞こえてきた。
玄関の前までダッシュで向かう。笑顔でお迎えだ。
帰ってきたお姉ちゃんの姿を見て、あぁ、今日も良い一日だったな、と感じるのがぼくの日課だ。
「おかえり、お姉ちゃん!」
「おう、ただいま」
「何かいいことあったの?」
「え? あぁ、ちょっとな」
嬉しそうに、恥ずかしそうに笑った。
お姉ちゃんが嬉しいとぼくも嬉しい! 今日はきっと最高の一日だ!
夕飯を終えて、食器を洗う。
お姉ちゃんはソファーでテレビを見ながらスマホを弄っていた。
毎週欠かさずに見ているバラエティ番組なのに、意識の割合はスマホの方が高いように思う。
今日はバカ笑いするお姉ちゃんの声が聞こえてこない。スマホを見ながらニヤニヤとしている。
「むふ、むふふ」
お姉ちゃんの様子がおかしい!
メッセージの着信音がする度に、嬉しそうに反応してスマホを触っている。
「お姉ちゃん、テレビ見ないの?」
「んんー? 見てる見てる」
テレビには目もくれず、スマホを操作していた。
不信に思って、後ろに回り込み、スマホの画面を覗きこむ。
「ばっ!? 何やってんだ!」
お姉ちゃんは素早くスマホを隠す。
おかしい。友だちとのやり取りを見られても、特に気にしていなかった。にもかかわらず、ぼくにメッセージを見られることを恥ずかしがっている。
一つ、最悪の可能性が思い浮かんだのでカマをかけてみた。
「もしかして、好きな人でもできた?」
「げっ!? いや、まぁ……そんな感じかな」
隠しごとが苦手なお姉ちゃんは、あっさり白状した。
ポリポリと頬をかいて頷いている。
なんてことだ。
ぼくの顔から血の気がひいていく。
――この世の終わりだ。
「お、おい! 孝彦!」
呼び止める声を無視して、家を飛び出た。
◆
絶望のままフラフラと彷徨う。
気が付けば佐倉さんの家にたどり着いていた。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。インターホンを連打する。
「弟くん!」
部屋着姿の佐倉さん――お姉ちゃんと違って部屋着もお上品だ――が家から飛び出てきた。
門のところまで走ってきて、はぁはぁと息を整えている。
その吐息が妙に色っぽくてドギマギしてしまう。
「あ、あの、この前はごめんね、弟くん」
佐倉さんが謝ろうとしているが、そんなことはどうでもいい。ぼくの小さなプライドなんて大した問題ではない。
世界が崩壊しようとしている今、小さなことに煩わされる訳にはいかない。
「できちゃった」
「えっ? 赤ちゃん?」
驚いてぼくのお腹を凝視している。
男のぼくが妊娠するはずがない。
「違うよ! お姉ちゃんに好きな人ができちゃった!」
「え、えぇっと……?」
興奮して訳が分からなくなっているぼくと、律儀に対応しようとして戸惑っている佐倉さん。見かねたメイドさんがぼくたちを屋敷の中へと誘導した。
「ふぅ」
紅茶を飲んで、心を落ち着ける。
美味しい。
メイドさんの紅茶スキルは中々のものだ。弟であるこのぼくをも上回っているかもしれない。
今度教えてもらおう。
「綾乃になにがあったの?」
ぼくはことの顛末を長々と語った。
まだ見ぬくされチンポ野郎への罵倒が大半だった気もする。
「へぇ、あの綾乃がねぇ……」
「感心してる場合じゃないよ!」
机を叩く。ティーカップがカタカタと音を立てた。
これは最重要事項だ。国家的案件なのだ!
「明日、学校で綾乃に詳しく聞いてみるね」
「おぉ! さすが佐倉さん!」
持つべきものはお姉ちゃんの親友である。
くされチンポ野郎に対して、どういう対応をするかはまだ未定だ。先に情報収集が必要だろう。
「今日、泊っていく?」
「それは……」
「綾乃と会うの気まずいんじゃない?」
「ぐっ」
言い返すことができない。
ぼくがお姉ちゃんと会うことをためらう日がくるとは思ってもいなかった。
明日はきっと天変地異でも起こるだろう。
「綾乃には私から伝えておくね」
そうして案内されたのは佐倉さんの寝室である。
さすがに謎のカーテンがついているようなお姫様ベットではなかったが、高級ホテルにでも置いてありそうなベッドが置いてあった。
マットレスもきっと有名ブランドのものだろう。
「一人で寝ていたら辛くなっちゃうでしょ? 辛い気持ち、全部私に吐き出して?」
ぼくの心は非常に弱っていたため、佐倉さんの優しさに負けて、ほいほいと一緒に寝てしまう。
佐倉さんは隣で寄り添いながら、相談相手になってくれた。
お姉ちゃんに好きな男ができてしまった怒りや悲しみを、嫌な顔一つせず受け止めてくれた。まるで聖女のような人だ!
現金なぼくは、佐倉さんへの怒りをすっかり忘れて感謝した。
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